ワニなつノート

なぜと問わなくてすむように 2021(その6)


なぜと問わなくてすむように 2021(その6)

《「なぜ」の出発点》



       
《長期入院した子が学校に戻ったとき、「ゆっくり説明して」「助けて」と言えないのは、「援助希求」のスキルがないから…。》

そこで反射的に「怒りの感情」が湧く。

「教育の助け方」は子どもを助けない。
それを知っているから、言えないんじゃないのか。


       □


「助けて」と言えば、助けは来るか? 

6歳の子が閉ざされた小学校の前にいる。

「教育の助け方」は子どもを助けない。

その子が7歳になり、8歳になり、9歳になっても、どんなに「助けて」と言い続けても、「教育の助け方」は、子どもを助けない。



それは15歳も同じ。

どれだけ定員が余っていても、「教育の助け方」は、子どもを助けない。


       □


『助けてと言えない』というNHKの番組があった(2009年)。

《孤独死した39歳の男性。傍らには「たすけて」とだけ書かれた一枚の便箋が残されていた。男性は母親の位牌の前に敷かれた布団で亡くなっていた。》

なぜ助けてと言えなかったのか? 
その答を見つけることが取材の出発点だったという。


助けが「届かなかった」ことへの「なぜ」でなく、「助けて」と言わなかった人への「なぜ」。


       □


また、『居場所を探して』(長崎新聞・2012年)という本。

《知的障害があり、刑務所の入出所を繰り返すが、福祉の支援を拒否する女性(41)》。

《裁判で弁護士や裁判官が問う。
「どうして虹を飛び出したの?」
「お金がなくなったらどうやって生きていくの?」
「障害年金はいらないの?」
「生活保護は?」
「反省してる?」
「これから、どうやって生きていく?」。》


「助けが届かない」制度への「なぜ」でなく、「助けて」と言わない人への「なぜ」。

どれも、「なぜ」の「出発点」が違うと思う。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「手をかすように知恵をかすこと」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事