わじこSCHOOL

個性の強い先生と、個性の強い生徒が集う西多賀の寺子屋。

日本人らしさ?

2011年03月16日 22時49分42秒 | 非日常の出来事

地震と津波から数日、いまいちどれだけの時間を過ごしてきたのかも曖昧な日々である。アフリカの動物はもとより、自然界の動物たちは、いつもこんな「生きること」に直面して生きているのかと思うと、人間としての日々の甘さが痛感される。

被害の大きさはここで語るにあたらないが、懸命な作業をしてくれている技術者やそれを取り囲む現地の人々のチカラで、水が通り、電気が流れ、ガスもある程度機能し始めている。先生も電気がなく寒く、ぼんやりとした不安感を抱えて夜を過ごしました。依然として水が通らない地域も相当数あり、ガスに至ってはほとんど回復していない。通りを一つ挟むと水がでない地域があるのだが、昨日まで水が出ず困っていたはずの人たちは、いったん水が通ると、水を分けてあげたり運んであげたりしないのである。日本人はここまで駄目になってしまったのだろうか。

もちろん、一部の人たちはボランティア活動や出来ることをやっているのであろうが、ほとんどの人は見て見ぬ振りである。避難所や、もしくは避難すら出来ていない人たちのことを思うと胸が痛むはずなのだが、それをなんとかしようと立ち上がる姿は日本人からは消えてしまったのだろうか。仙台は100万都市である。22万人の被災者がいるのなら5人で一人を守ってあげたら全員人間らしい生活ができるはずである。それができない日本人とはいかなる生き物なのか。

津波現場で寒空の下にいる人たちのために、損壊した車からバッテリーをあつめて発電を行ったり、ブルーシートでお風呂を作ったり、そんなことも出来ていない救助とは名ばかりに見える。陣頭指揮をとっている人間の差で、助かる命も助からないのであれば、日本の教育方針そのものが間違っていると確信するしかない。適地適任ではなく、ただのダーツのような人事によるものであれば泣くになけない。人の痛みを理解し、その一部を自分の痛みとして引き受けることで社会全体の平和を維持するような人間を育てることも教育であると思う。それが欠落した社会が顕著に現れてしまっている。このヒズミがもとに戻るだけでなく、これを契機に、日本人らしさのベクトルが良い方向に進んでくれることを願ってやまない。

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