和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

誰の作品で音読?

2015-07-16 | 短文紹介
黒柳徹子著「トットひとり」(新潮社)を
とりあげた神山典士氏の書評に、


「森繁88歳の時、
『徹子の部屋』の収録中に黒柳は声を張り上げた。
『森繁さん、ちゃんとやって頂かないと困るんです。
森繁久弥という俳優が、どんなに魅力的で、
ステキな方か、という事を知って頂きたいのに(後略)』
すると森繁は突然居住まいを正して、
萩原朔太郎の詩を朗々と語り始める。」

この箇所が印象に残ります。
この書評では、『詩を朗々と語り始める』
とあります。知識人が朗々と語り始めるといえば、
解説・説明となります。俳優ならば、詩を朗々と
朗読し始めたということでしょうネ。

そういえば、朗読・音読ということで
最近読んだ箇所に、印象的な場面がありました。


まずは、田村隆一。
「田村隆一 詩と批評A」(思潮社)。
その本の最初に「詩について」の文が並びます。
「ぼくの苦しみは単純なものだ」と題した文から引用。

「九篇の散文詩によって、ぼくの『戦後』が
はじまったわけだが、その当時の模様を、
北村太郎はつぎのように書いている。
『戦後の40年代後半、田村隆一は散文詩をつづけて
書いた。(中略)彼は、これら一篇一篇を書き上げたとき、
太いが、よくとおる、きれいな声で、ぼくに読んで聞かせてくれた。
散文体なのに、独特なリズムがあって、聞いていて快かった。
そして読み終ると、大声でけたたましく笑うのが
田村の癖だった。ぼくも感銘し、いっしょに笑った。
・・・・これらすばらしい音楽をみつけた彼の無上の喜びと、
そして無上の絶望が、いっしょに笑いながら、
ぼくにははっきり分かった。』・・・」(p17)


もうひとつ。
小泉信三著「ジョオジ五世伝と帝室論」(文藝春秋)
の最初をひらくと、現在の天皇陛下の若い頃のことが
でてきます。

「私が毎週殿下と御一緒に本を読んだり」という
箇所なのでした。そこに音読が出てきます。

「・・読む本で一番長く続いているのは、英人
サア・ハロルド・ニコルソンの『ジョオジ五世伝』
だが・・・御一緒に読んだ本のことをいえば、
福澤の『帝室論』と露伴の『運命』とは、
殿下と私とで、交る交る音読した。
(殿下が、喉が痛い、とて途中でおやめになったこともあった)。
音読して見て、今更のように感じたのは、この二大文豪の
文章が、いかに格調正しく、いかに音読に適しているか
ということである。西洋の平和な家庭で、暖炉の前で、
夫は妻のために本の朗読し、それを聞きつつ妻は
編み物をするというような場面がよく文学にも描かれるが、
そういう場合、今日の日本では一体誰れの作品を
読んだら好かろうか、というようなことを考え、
殿下にもお話ししたことがあったと思う。
こういう情景は『ジョオジ五世伝』の中にも
描かれているのである。」(p9~10)

ちなみに、これは
1959年1月雑誌掲載の小泉信三氏の文。
その題名は「この頃の皇太子殿下」。


半世紀も過ぎた現在。
2015年の日本では一体誰れの作品を
読んだら好かろうか(笑)。
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遥かに怠惰な作業である。

2015-07-14 | 短文紹介
ひさしぶりに
伊藤正雄著「文章のすすめ」前篇をひらく。

その5ページに
こうありました。

「読むことは好きだが、書くことは苦手である。
という人が多い。しかし読むことは、
書くことや、また考えることよりも、
遥かに怠惰な作業である。
いかに良書を読んでも、それはただ
他人の思想や知識におぶさっているにすぎない。
他人のものだから、じき消えて行ってしまう。
のみならず、単なる読書は、悪くすると、
自分で考える能力を放棄した、
散漫な頭脳の持主を作りかねない。
本さえ読めば勉強だと思うのは、大きな迷信である。
あるいは、自分の頭で幾らすぐれたアイデアを思い
ついても、考えていただけでは、まだ漠然としていて、
ハッキリした形をなさない。これも跡形もなく
忘れてしまうことが多い。」


さあ、仕切り直し。この夏。
伊藤正雄の本を読むことに。
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同じ匂いがする仲間。

2015-07-13 | 書評欄拝見
7月12日(日曜日)の読書欄で
私が気になる書評。

読売新聞では
渡部一史(ノンフィクションライター)に
よる書評で
鵜飼秀徳著「寺院消滅」(日経BP社)
すこし引用。

「著者は京都の寺に生まれ、実家の副住職も
兼務するという異色の経済記者である。それだけに
『消滅しないために僧侶は何をすべきか』という
問題意識が全編を覆い、迫力あるルポルタージュ
となっている。・・・」

それで、書評のしめくくりはというと、
「優れた取材力と思索が脈打った好著である。」


産経新聞では、
神山典士(ノンフィクション作家)の書評で
黒柳徹子著「トットひとり」(新潮社)
そこから引用。


「今また傘寿を超えて、戦後の芸能史に刻まれるべき
『自分と同じ匂いがする仲間』の生き方と別れ方を
鮮やかに切り取った。」


具体的な例も、ありました。

「森繁88歳の時、『徹子の部屋』の収録中に
黒柳は声を張り上げた。
『森繁さん、ちゃんとやって頂かないと
困るんです。森繁久弥という俳優が、どんなに
魅力的で、ステキな方か、という事を知って
頂きたいのに(後略)』
すると森繁は突然居住まいを正して、
萩原朔太郎の詩を朗々と語り始める。
連れ合いを亡くした沢村貞子は、87歳で
『老いの道ずれ』という著書を出版した直後、
『徹子の部屋』でこう語った。
『人間て、一生懸命やると後悔しないものよ。
だって、出来るだけの事、やったもの。・・』
・・・・
黒柳徹子は・・こうつづる。
『今味わっているような寂寥感を身をもって
知っておいた方が、人生の様々なことを理解し
判断でき(中略)もっといい表現ができるのかも
しれない』
軽妙な文体ながら、別れを代償に・・
『ひとり』行ききることへの覚悟の書でもある。」


う~ん。「窓際のトットちゃん」から、
傘寿を超えての著作。私なら、
「トットひとり」より、語呂合せみたいに、
「トットとひとり」という題名が浮かぶ(笑)。




もう一冊気になったのが
「秋山祐徳太子の母」(新潮社)でした。
こちらは、
読売新聞「著者来店」欄と
産経新聞「聞きたい。」欄の
二つに同じ日に同時掲載、その記事を
読みくらべ。母について考えさせられました。
ちなみに、この千代おかあさんは
「平成9年、91歳の生涯を閉じた」とあります。

どれも、私は、買わないけれど、
書評を読めてよかった。
新刊本の谷間で、ちょいとした深呼吸。
そんな気分にひたれました。
これは、本を読まない贅沢(笑)。
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竹山道雄と田村隆一。

2015-07-12 | 詩歌
竹山道雄は明治36年生まれ。
昭和20年は42歳でした。
田村隆一は大正12年生まれ。
昭和20年は22歳でした。

竹山道雄と田村隆一は
ほぼ親と子ほどの年齢差。

昨日のブログで
平川祐弘氏が引用する竹山道雄の文に、
「ビルマの竪琴」を書いた頃への言及がありました。
そこをもう一度引用。

「書きはじめたのが終戦翌年の夏で、
本になったのが昭和23年だった。
あのころは何もかも混沌としていた。
ラジオは行方不明者の消息をたずねつづけていた。
・・・・
帰還兵や引き揚げ者の姿は毎日見た。
そして、われわれはいったいどうなるのか、
国はほろびるのか再建ができるのか、
と胸をいためた。あの当時の気持ちは、
経験しなかった人にはわからないだろう。
その中で私にとって気になったのは、
遠い異国に屍(しかばね)をさらしている
人々のことだった。バイロンの句をかりれば、
『知られず、柩(ひつぎ)におさめられず、
葬(とむら)いの鐘も鳴らされず』
にいることだった。ことに前に自分の学生だった
若い人々がどこかで野曝(のざら)しになっている
ことを思うと、堪えがたかった。
・・・・・
何とかして葬いをしなくてはーー
これがあの物語りの動機である。」


この箇所を、ブログに引用していた私に、
思い浮かんできたのが、田村隆一の詩「立棺」。

ちなみに、
田村隆一には「路上の鳩」というエッセイがあり、
ご自身で、自分の詩「立棺」をとりあげておられます。

そこから、すこし引用してゆきます。
「立棺」についてです。

「この詩は、『荒地詩集』1952年のために
わたしが書いたものです。・・・
この詩が書かれるほぼ一年前、ある雑誌に
鮎川信夫氏が『裏町にて』というリリカルな
作品を発表したことがありました。その詩の
・・・なかにある『立棺』という言葉が
わたくしの想像力をつよく打ったという訳です。
・・・さて、わたくしが一篇の詩『立棺』を
書きたいというはげしい欲望を感じたのは、
実は中桐雅夫氏の詩を見たときからなのです。
・・・中桐氏の『立棺』という詩は、
たしか二十行たらずのように記憶しております。
或る冬の夜でした。『こんな詩を書いてみたよ』
といって、氏から『立棺』という詩を見せられた
・・・中桐氏の二十行たらずの詩の第一行は、
 『わたしの屍体を地に寝かすな』
であります。この一行を見た瞬間に、わたくしの
九十行の詩ができてしまったのです。・・・」

では、田村隆一の詩「立棺」を
ちょっと引用してみることに(笑)。


【  Ⅱ

 わたしの屍体を地に寝かすな
 おまえたちの死は
 地に休むことができない
 わたしの屍体は
 立棺のなかにおさめて
 直立させよ

   地上にはわれわれの墓がない
   地上にはわれわれの屍体をいれる墓がない

 わたしは地上の死を知っている
 わたしは地上の死の意味を知っている
 どの国へ行ってみても
 おまえたちの死が墓にいれられたためしがない 】



ところで、
「ラジオは行方不明者の消息をたずねつづけていた」
という箇所が気になります。いったい、
昭和の何年ごろまで続いたものなのでしょうか。





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終戦翌年の夏。

2015-07-11 | 古典
伊藤正雄著「福澤諭吉論考」(吉川弘文館)に
「小泉信三博士の福沢論(1966)」がありました。

そこには、小泉信三著「福沢諭吉」(岩波新書)が
出た際に、お礼状をお送りし、それが届くかと思われる
数日後に博士の訃報が報ぜられたということから
書き出されておりました。

その次に、こうあります。
「広汎な博士の全著作の中で、福沢諭吉が占める率は
さまで大きいものではないであろう。しかしながら、
近年博士ぐらゐ頻繁に且つ熱心に福沢諭吉を語った
学者はおそらく類がなかったと思ふ。けだし天下に
誇るべき慶應義塾の伝統、福沢精神の発揚を以て
終生の使命とされてゐたのであらう。福沢先生自身、
『大切な問題は、世間に一度や二度訴へただけでは
駄目だ。何度でも繰返せ』と言はれたといふ。
事実『時事新報』の論説などを見ても、重大な主張は
再三再四反復された跡が著しい。
博士の福沢論もまた同様の観があった。」(p551)

ここに、
福沢諭吉の言葉として、『大切な問題は、
世間に一度や二度訴へただけでは駄目だ。
何度でも繰返せ』と引用されております。



『何度でも繰返せ』といえば、
雑誌「正論」8月号に、平川祐弘氏が
「『ビルマの竪琴』再び ・・」と題して
22頁の文を載せておりました。

そこから、最後の方を引用させて
いただきます。

「どういう動機であの物語りを書いたのだ、
とひところしきりに問われたので、私は
『〈ビルマの竪琴〉ができるまで』という文章を
書いたことがある。ひさしぶりで読みかえして、
あの息もできないほどにこんだ電車で勤めに通い、
腹もすいて、夜は停電で蝋燭の下で書きつづけた
ころを思いだし、感慨がふかかった。
書きはじめたのが終戦翌年の夏で、
本になったのが昭和23年だった。
あのころは何もかも混沌としていた。
ラジオは行方不明者の消息をたずねつづけていた。
・・帰還兵や引き揚げ者の姿は毎日見た。そして、
われわれはいったいどうなるのか、
国はほろびるのか再建できるのか、
と胸をいためた。あの当時の気持ちは、
経験しなかった人にはわからないだろう。

その中で私にとって気になったのは、
遠い異国に屍をさらしている人々のことだった。
バイロンの句をかりれば、
『知られず、柩におさめられず、
葬(とむら)いの鐘も鳴らされず』
にいることだった。
ことに前に自分の学生だった若い人々が
どこかで野曝(のざら)しになっている
ことを思うと、堪えがたかった。
戦時中から方々の葬儀に行くと、
柩は空(から)で、その上に剣がおいてあったり、
見なれた姿の写真がかざってあったりした。
ある葬儀で、一人の海軍士官が声をひそめて、
『きょうの葬式には遺髪も遺骨もないのです』
といった。ちょうどそれが私が考えていたことだった。
何とかして葬いをしなくてはーー
これがあの物語りの動機である。
・・・・・・・
当時は、世間に戦死者の冥福を祈るような
気持ちはなかった。それどころか、
『戦った者はみな一律に悪人である』
といったような調子で、
日本軍を罵倒するのが流行で正義派だった。
義務を守って命を落とした人の鎮魂をねがうことと、
戦争の原因や責任の解明とはまったく別なことであるのに、
おどろくべく軽薄な風潮がつづいた。・・・」
(p226~227)


これは、竹山道雄の文
「戦野に捨てられた遺骨へのとむらいーー
『ビルマの竪琴』」(読売新聞・昭和39年8月26日夕刊)
からの引用でした。
平川祐弘氏は、ご自身の文の最後を
この文を引用することで結びとしておりました。
では、引用された竹山道雄氏の言葉の
最後の箇所を、ここに繰返すことに。


「住んでいた家の近くに鎌倉の寿福寺があり、
私はよくここに行った。そこの岩窟の一つに
源実朝の墓があり、そのむかいに白木の墓が
立っていて、それに『昭和二十年四月二十四日
南洋群島セントアンドレウ諸島ソンソル島二於テ
戦死行年二十三歳』と書いてあった。
その木はもう朽ちてなくなったが、
私はいまだに心の隅で自分が喪に服している
ような気がときどきする。」
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辞典作りの大好きな。

2015-07-10 | 前書・後書。
山口仲美編「暮らしの擬音擬態語辞典」(講談社)
の「はしがき」から引用。

「歴史の重みを背負った擬音語・擬態語辞典の
必要性に気づいたのは・・拙著『ちんちん千鳥の
なく声はーー日本人が聴いた鳥の声』を刊行した
時でした。拙著は、予想を超え・・それまで一顧だ
にされなかった擬音語の歴史に、豊饒な日本の文化
史が息づいていることに驚きを示してくれたようで
した。文化史の透けて見える擬音語・擬態語辞典を
つくりたい、それは私の念願でした。
平成12年秋のこと。講談社の編集者高橋光行さんから
言葉に関する単行本を出さないかというお話をいただ
きました。私は、単行本ではなく、念願の『擬音語・
擬態語辞典』を提案しました。辞典作りの大好きな
高橋さんは忽ちこの話にのってくれました。
まず、最近の新聞・雑誌1カ月分を収集し、それを
基礎資料にして項目の選定を行いました。一人で
執筆するのは時間的に無理ですので、13人の方に
協力していただきました。執筆陣は、月1回集まっては
コンセプトを統一し、原稿の質を揃えるという作業を
しました。基礎資料で不足している用例は、執筆者各自
が独力で調査し補い、新しい事実の解明に力を注いで
原稿を書いてくれました。・・・」


こうして、「擬音語・擬態語辞典」の
嚆矢(?)となる一冊が生まれ。
このたび、その文庫入り。
また、楽しからずや(笑)。
辞典であるにもかかわらず、
初々しさの息づかいがたちこめ。
それが、手軽な文庫に馴染みそう。
とりあえず、パラリと、ひらけば、
「山口仲美の擬音語・擬態語コラム」が、
辞典の中に20回分まぎれこんでいます。
それを拾い読みして、私は満腹(笑)。
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感覚的に分かる言葉。

2015-07-09 | 前書・後書。
幻冬舎新書(2014年3月)の、山口仲美著
「大学教授がガンになってわかったこと」
を昨年読んでおりました。

今になって、ネット検索すると、
現在も、しっかりしておられるようです。

さてっと、
最近、講談社学術文庫に
山口仲美編「擬音語・擬態語辞典」が
(1760円)入って気になっておりました。

この辞典が出たのが、2003年11月。
函入りで税別3800円。

ありがたいことに、
今年めでたく、文庫本になる。

さっそく、古本での
単行本の値段を確認。

高尾文雅堂書店へと古本注文
1500円+送料460円=1960円

ぱっと、頁をひらくと
漫画のカットが目をひく。

山口仲美の「はしがき」の最後には
こうありました。

「この辞典に花を添えて下さった
コミック作家の赤塚不二夫・あさりよしとお・
植田まさし・うえやまとち・東海林さだお・
蛭田達也・松本零士の諸氏には心より
お礼申し上げます。」

ということで、辞典の数頁ごとに
添えられた花が、たのしい。

もうちょっと、「はしがき」から引用。

「実は、日本語の擬音語・擬態語に
大いに悩まされている人々がいます。
日本語を学ぶ外国人と日本語を他の言語に
翻訳する人たちです。日本語の相当うまい
外国人でも、擬音語・擬態語は苦手です。
日本語の達者な留学生が腹痛で医者に行ったら、
『しくしく痛むの?きりきり痛むの?』と
聞かれてとても困ったと訴えます。
『しくしく』と『きりきり』の意味の違いが
全く分らなかったそうです。擬音語・擬態語は、
発音の響きが意味に直結しています。だから、
日本語の中で育った人には感覚的に分る言葉
なのですが、そうでない環境に育った人には
意味の類推がきかない。・・・」


講談社の漫画と本とが
合体したような発想の辞典となっておりました。

文庫は、見ていないのですが、手軽で、
楽で、簡単に引きやすいだろうなあ(笑)。
小さな漫画の一コマを、文庫にする際に、
どう配分したのかも気になります。

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この風潮に動かされ。

2015-07-07 | 道しるべ
たしか読まずに、あったと思って、家の中を探していた、
小泉信三著「福沢諭吉」(岩波新書)を昨日見つける。
買ってあっても、未読本(笑)。
この機会にパラパラ読み。

ちなみに、
伊藤正雄著「福澤諭吉論考」(吉川弘文館)には、
この本を指摘して、こう語られておりました。

「 福沢諭吉 小泉信三 弘文堂アテネ文庫
  福沢諭吉 小泉信三 岩波新書

二書同名であるが、内容は全然別である。
前者は四編の短い論文から成り、
後者は八章に分かれて、
これまた各章一応独立の主題を扱ってゐるが、
通読すれば、おのづから小伝ともいへるやうな
形になってゐる。著者は慶応派の学者中、
戦前から最近まで、おそらく福沢を論ずること
最も多く、幾多の著者中に所見が散見してゐるが、
この二書によって、著者の慎重で公平な福沢観の
典型を知ることができよう。特に後者の
『福沢の歴史観』などは、圧巻と思はれる。」
(p579)

圧巻の「福沢の歴史観」は第四章。
その前に、第三章を、パラリとひらく。
その第三章から引用。

「福沢の言論がいかに当時孔孟尊崇の人々を怒らせたかは、
例えば後年の日本でマルクス批判の言論がいかに
マルクシストを立腹させたかの事例に徴して、
遡(さかのぼ)って想像することができよう。
福沢はそもそも何故に漢学者の怒りを冒して、
尊厳無視の言説を弄したのであるか。
後年福沢はやはり自伝の中にそのことを説明している。
『いまの開国の時節に古く腐れた漢説が
後進少年生の脳中にわだかまっては、
とても西洋の文明は国にはいることができないと、
あくまでも信じて疑わず、いかにもして
かれらを救い出してわが信ずるところに導かんと、
あらんかぎりの力を尽し、私の真面目を申せば、
日本国中の漢学者はみんな来い、
おれがひとりで相手になろうというような
決心であった。云々』(自伝193)」(p91)


この文で思い浮かぶのは、
小泉信三著「共産主義批判の常識」(講談社学術文庫)
そこには、新潮文庫の文庫版序も掲載されておりました。
その文庫版序(昭和29年8月下旬)のはじまりを引用。

「『共産主義批判の常識』は、私の書いた本の中で、
一番多く売れ、一番広く読まれたものである。
したがって、それだけ世間的影響もあったと見てよい。
始めて出たのは、昭和24年3月のことであった。
その直前、総選挙が行われて、自由党と共産党とが
急に進出した。日本はまだ占領下にあったが、
当時、何故か人々は、ことに知識階級と呼ばれる
ものの間には、共産党または共産主義に対する批判を
はばかり、何か一目置いて議論するという風が見えた。
自然、この風潮に動かされ、別段の所信もなしに
これに追随するものが少なくないように見えた。
私はこれに不満であった。・・・・」(p6)


「おれがひとりで相手になろうというような決心」
それが、今の私の発想には、どこをさがしても、
どこにも見あたらない。




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シニアに贈る、最後の詩集。

2015-07-06 | 書評欄拝見
読売新聞の読書欄(7月5日)。
松山巖氏の書評では、詩集が
取り上げられておりました。
詩の書評ならば、詩が一行でも
引用されていることを期待(笑)。

書評のはじまりは、

「5月3日に亡くなった詩人は、
没する直前の『長田弘全詩集』を、
そしてこの度『最後の詩集』を出した。
彼はまるで自分の死を予期していたか
のように二冊の詩集をまとめていた。」

書評の最後は

「そして『最後の詩集』は『One day』の
『人生がよい一日でありますように』という
詩句で締められる。この詩は今年の元旦に
決定稿としたようだ。
私は長田さんの賀状が〈よい日々を〉という
言葉だったと、今思い出している。」


うん。詩の最後の一行
『人生がよい一日でありますように』が、
これから何気なく、私の口をついて出そう。


松山巌氏の書評のその下に、
平松洋子氏が書評を載せておりました。
新潮新書の「小林カツ代と栗原はるみ」。
その書評の最後は

「読みながら励まされてくるのは、
著者の目がつねに地面から離れないからだ。
料理研究家を通じて、現代を生きる無数の
女性たちの息遣いが届き、私は連帯感を抱いた。」

気になる言葉ですが、
そういえば、長田弘には
詩集「食卓一期一会」があったなあ。

無料で送られてくる
「みすず書房の本棚」№⒖2015夏にも
「詩人がのこした贈り物」と題して
長田弘著「最後の詩集」を紹介しておりました。
その最後の箇所を引用。

「そして、『One Day』という短い詩。
『昔ずっと昔ずっとずっと昔
 朝早く一人静かに起きて
 本をひらく人がいた頃』
と始まり
『人生がよい一日でありますように』
と終わる詩で、
この『最後の詩集』は静かに閉じられる。
青い空のようにあくまで明るく、
なおかつ深い、75年をまるで
一日のように生きた詩人がのこしてくれた、
本の贈り物である。
《 詩集・日本文学・シニア本 ≫」

うん。最後にある本の分類に
《 シニア本 ≫とある(笑)。
すると、これは、
シニアに贈る、最後の詩集。


詩集は、読んでも、
思いだせなかったり。
詩の一行が、
忘れられなかったり。

ということで、
いつか、この詩集に
出会えることができますように(笑)。

そういえば、
田村隆一詩集「新年の手紙」に
「一篇の詩は
かろうじて一行にささえられている」
とはじまる詩がありました。
そして、
田村隆一詩集「言葉のない世界」の
一行といえば、
「そしてまた夢のなかへ『次の行』へ」。
その次の行へと、
長田弘氏は入って行ってしまわれた。
さあ夏。ぼくの『次の行』を探しに。
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浅草観音附近の空気。

2015-07-05 | 書評欄拝見
家にある、未読新書を見てたら、
小泉信三著「読書論」(岩波新書)があった。
帯に「アンコール復刊」とあるので、
その時買ってそのままだったのでしょう(笑)。

パラパラとめくると、
書評についてでは、こんな箇所がある

「書評雑誌として私のなが年購読したのは、
ロンドン・タイムスの週刊文芸附録(リテラリー・
サップレメント)であった。
無論戦前のことで現在の状況は知らないが、
開戦までは殆ど続けて読み、
それを読んで注文した洋書では、
一度も選択を悔いたことがない。・・
このリテラリー・サップレメントが、
よく書評誌の責任と権威とを思い、その評論を
商業主義の流弊から護るために充分に心を配り、
例えば、掲載に値しない書籍の広告は受け付けない
と公言したごときはさすがというべきである。
・・・・」(p126~127)


気になったのは、
久保田万太郎を書いている箇所でした。
そこを引用していきます。

「・・・久保田万太郎である。・・
今日になってみると、彼れは驚くべき
夙成(しゅくせい)の作家で、処女作
『朝顔』『遊戯』の頃から、すでに
定まる特有の境地を持っていた。
彼はみずから永井荷風、小山内薫を
模倣したと称し、それも事実であろうけれども、
出来上った作品はどこまでも久保田独特のもの
であって、模擬踏襲の跡は見られない。
彼れの作品にはしばしば遠慮深い、
人の気をかねる人物が描かれているが、
作者自身はそうでなく、制作上どこまでも押し強く、
我が好む題材を我が好む言葉で書いている。
久保田と私とは同じ東京に生れ、
同じ学校を出ながら、生活環境も生活態度も
全然ちがい、浅草と三田とで、お互いの言葉も
通じないかと思われるほど離れた生活をして
来たのであるが、しかも四十年来、久保田の作品を
見れば私は常に必ず読む。彼の評論や感想文を見ると、
いつまでも中々本題に入らないので私はじれったくなって、
言うことがあったらさっさと言ったらいいじゃないか、
と言いたくなる衝動を抑えかねるのであるが、
小説と殊に戯曲は、何時になってもいいものだといつも思う。
久保田の文学は東京または江戸の産物だといわれるけれども、
その東京は極く限られた浅草の一地区で、その作中の人物は、
ときとして同じ東京に生れたものにも解し難い方言で語り
合っている。今は大部分過去のものになったが、
年季を入れた職人親方、それに仕事を与える『お店(たな)』
と称する商人の階級、この人々やこれと交わる人々の営む
回顧的保守的の市井の生活、浅草観音附近一帯の
土地の特殊の空気、四季折々のその変化。
それらのものを描くことにおいて久保田の前にも後にも
久保田はないというべきであろう。
ただ作中人物の、陰影の細かい言葉の端々にただよう
寂寥と余哀の情に至っては、それはひとり浅草の市井の
人を動かすものでなく、時と処とを超えて
人の心そのものを動かすものである。
そうしてその特色は彼れの出世作以来今日まで変らない。
極めて地方的な久保田の作品が意外に多くの普遍性を持ち、
存外広い範囲に読者を持つというのはそのためであろう。」
(p145~147)


う~ん。
小説を読めない私ですが、
これを機に、久保田万太郎の
小説・戯曲が読めますように。
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その人気というものは。

2015-07-04 | 道しるべ
昨日、古本届く。
佐々木邦全集15巻揃い(昭和50年・講談社)。

浪月堂書店(函館市駒場町)
5000円+送料1200円=6200円。

古本を買っても、私は
読むとは限らない(笑)。
まず、購入の記録として
備忘録を、このブログに。

さてっと、
この古本全集の元の持ち主は、
本の見返し・遊び紙に、
書き込みをしておられました。
各巻を函から取り出し、
それを、読んでみる。


昭和50年5月○日と購入日付と
住所が記されております。

「50.5.1」というように簡略な記載。
住所は「函館市戸倉町」。
姓は・・。これは伏せておきます。

後ろの見返しに、月報が糊付してある。
それで、全巻各本ごとに月報を読めます。
見返しに、前の持ち主の文字は、
ペン・鉛筆・ボールペンと
その時々に、身近なもので
書かれておりました。
その何気ない感想を読める、
という、稀有な巡り合わせ。

まずは、
全集第4巻の書き込みを引用。

「私の中学時代(昭6~11)、
二年生か三年生のころだったか、
田中比佐良装幀の花やいだ表紙の
佐々木邦全集が二、三冊あって、
その中の嫁取り婿取りや、奇物変物を、
喜んで読んだものだ。
父もいた、母もいた、
姉も、兄も、弟も、
取りっこして読みふけった。
二階家の、三間しかない借家で、
貧しい生活の一日一日だった。
米屋が米びつにいっぱい
米を置いて行った日は、
『あとしばらくは大丈夫だ』と、
ほっとするような日々だった。
佐々木邦の小説の人物は、
私たちの当時の生活から見ると、
はるかにハイクラスのものだったから、
それだけ、あこがれの気持も強かったし、
感銘も深かった。今これを手にして、
昔を思い、あこがれの心を思い起し、
悲しくまたうれしい。
 昭 50.5.1  ( 姓名 )

当時は奇物変物にひどく感心したものだ。
おそらく 漱石の坊ちゃん以上だ、
と思っていた。今から考えると、
おかしいが、・・・・・」

ちなみに、
この巻の月報はというと、
最初が、池波正太郎。
その文の、はじまりは、

「私ども年代の男たちが、佐々木邦氏の小説に
なじんだのは、なんといっても少年倶楽部に連載された
『苦心の学友』や『村の少年団』など、少年向きの
ユーモア小説からであった。
その人気というものは、漫画や劇画に夢中になっている
現代の少年たちからは、『想像もつかぬ・・・』
ほどのものだったといってよい。
中でも『苦心の学友』は、私どもを熱狂させた。
・・・・
私どものような東京の下町に育った少年たちにとって、
佐々木氏の小説が知らず知らず、笑いのうちに、
『大人の世界』へ、みちびいてくれることが、
たまらなく好奇心をさそったのである。・・・」

月報を、引用しはじめると、
どれも引用したくなって、
収拾がつかなくなりそうです。
ここは、池波さん一人で終了。


最後に、前の持ち主の
見返し書き込みを、もう一カ所紹介。
全集第7巻にありました。

「1975‐5‐28
  ・・・・・・・
 `98- 3-22 再読
中学時代、やはり佐々木邦全集の一巻で、
嫁取り婿取りを読み、上の学校に行くのに
なにも経済的な問題のなかった主人公の
家庭(p216)を、うらやましく思い憧れた
ものだった。今、○○たちの子供が三人
大学に行くことになり、感無量、半世代後に、
かの憧れが実現したことになる。

 2005‐1‐8
嫁取婿取を部分読み、中学時代に読んだ時の
憧れがもどって来て、なつかしく、
感慨深いものあり 」

こういう、長い書き込みは5~6冊探せました。
佐々木邦が、どのように読まれていたか、
読者の雰囲気に、じかに触れた気がします。
ということで、
味のある「見返し書込み」の、
余韻にひたりました。
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質問する松野頼久。

2015-07-03 | テレビ
雑誌「WILL」8月号の
蒟蒻問答は、こうはじまります。

堤】 ・・・維新の党代表に就いた
松野頼久が安倍に向かって言う。
『総理、こんな重要な法案は国会を
二つか三つ跨いででも、議論を尽くして
決めるべきじゃないですか。この夏いっぱい
までに仕上げると仰るが、なぜそんなに急ぐ
んです?いまの日本にそんなに危機が迫て
いるんですか?』・・・


これなどは、古田博司氏がいうところの
「中立性を客観性だと誤認したり、
偽装したりしている・・」
という指摘に、あてはまりそうな発言。



この松野氏は、テレビの国会中継を録画して私も見ました。
WILLでは、この後、堤堯氏の歴史的指摘が素晴らしい。
ここでは、雑誌「正論」8月号の中西輝政氏の文
のはじまりを引用して、現在の危機が迫っているか
状況判断材料のひとつを提供。
うん。こういうのは当たり前だといわれると、
当たり前のことを引用するのみ。

「・・・ウクライナをめぐる米露関係の悪化を
『新冷戦』と表現する向きもあるが、そんな言葉が
生ぬるく感じるほど、米中関係ははるかに大きな
スケールで危機的な局面を迎えている。その危機とは、
言うまでもなく、中国による南シナ海、南沙諸島の
埋め立てである。広大な埋め立て地に軍事施設を建設
すると公言してはばからない中国の姿勢は、アジアに
おけるアメリカのプレゼンスへの真っ正面からの挑戦
である。警戒を強めるアメリカとの間では、
『軍事衝突』の可能性を言い立てる当局関係者の言葉の
応酬がなされ、一触即発の事態を招来している。そこに
・・・6月12日~13日にAP通信など米メディアが
そろって報じた中国による対米サイバー攻撃である。
総合すると、この攻撃で、アメリカの情報機関である
CIA(中央情報局)やNSA(国家安全保障局)など
の要員に関する個人情報が流出、その数は『数百万人分』
に達する可能性もあるというのである。
情報機関とは、文字通り国家の生命線であり、国家の安全
を支える最も有力な土台(インフラ)の一つである。・・
情報機関の活動には情報収集のノウハウと共に、要員の
安全に関わる個人情報には最大限の秘匿性が求められる。
この最高機密が中国の手に渡った時点で、世界中に展開する
アメリカの情報関係要員たちは中国の監視下におかれ、
特に北京や上海、成都や西安に身分を偽って潜入している
要員は一網打尽にされかねない。・・」(p60~)

とはじまる13頁。「いまの日本に、
そんなに危機が迫っているのですか」
という方にチェックしてもらいたい文。


話題をかえて、
新聞広告の見出し力。
7月2日の週刊誌の新聞広告。

週刊文春の右見出しは
「自民党は死んだ」

週刊新潮の右見出しは
「うぬぼれ『自民党』の構造欠陥」

これじゃ、週刊誌購買欲わかず、ゲンナリ。


気になるのは週刊新潮のなかの、
百田尚樹氏の「私を『言論弾圧』男に
仕立てあげた大マスコミに告ぐ」。





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本の世界もそうなのだ。

2015-07-02 | 新刊購入控え
正論8月号は、1日発売。
古田博司氏の連載「近代以後」。
そのはじまりは、

「国際関係論の講義で私は、
『すでに消えたもの、これから
消えつつあるもに敏感になりなさい。』
と、よく学生に教える。」(p52)

次のページには、

「『君たちは、ネット世界の情報が正誤、
清濁入り乱れていることはよく知っている。
だが、本当はネットだけではない。
本の世界もそうなのだ。
大塚久雄の『欧州経済史』、
宇沢弘文の『自動車の社会的費用』、
隅谷三喜男の『韓国の経済』、
小此木政夫の『朝鮮戦争』など、
明かに間違った左翼有名人の本が
ダマのように入り混じっている。
それが事実なのだ。』
では、何をどう読めばよいのか。
まず、中立性を客観性だと
誤認したり、偽装したりしている本
には気を付けなければならない。

アーロン・L・フリードバーグ『支配の競争』
(日本評論社、2013年)は米中衝突を
予言する良書なのだが、米中双方に
中立的な立場を偽装するので
何を言っているのかよく分からない。
このような本では読者が著者の本音を
文中に探す必要がある。
すると、あった!五十五頁、
『アメリカ人にとって、中国政府が
権威主義的な支配と市場主義をともに
取り入れていることは理解しがたく、
侮辱的とすらいえるものだ』。
これがアメリカ人の本音であり、
中立的でない部分の探索に客観性が宿る。」


うん。これで、
雑誌三冊が揃いました。
「新潮45」「WILL」「正論」と、
時に、パラパラひらく。
また、楽しからずや(笑)。



今安いのは、古本の全集。
これはもう、現在の常識(笑)。
それだから、古本一冊を買うより、
計算すると、全集を買う方が、
お買い得く、という発想が、
誘惑として、頭をもたげてくる。

「渡部昇一青春の読書」(ワック)
は、新刊で3996円。
WILL連載時は読んでおりませんでした。
でも、雑誌はとってあるので、
古雑誌を読み返す手もある(笑)。

この新刊を買ったことにして、
それと、古本で
佐々木邦著「珍太郎日記」を
買うのであれば、
古本の全集が、まるまる手に入る。
ということで、
それでもって、私としては、
小説嫌いの癖して、
佐々木邦全集を注文することに。
全集5000円+送料1200円=6200円
月報も揃っている。
全集10巻+補巻5巻=合計15冊。
ということで、目がくらみました。
一冊あたり、413円ほど。
函入り。シミあり、
本文以外に書き込みあり。
うん。読んでも数巻でしょうが、
持っているのと、いないのを
秤にかけると、持っている方が重い(笑)。
佐々木邦は、といえば、
鶴見俊輔・外山滋比古・渡部昇一と
三人が、それぞれ触れておられる。
私には、それで十分。
ということで、
昨日、送金をすませました。
本を注文する楽しみはここまで、
手元に届いたら、さっそく、
ブログ報告いたします(笑)。
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