竹山道雄著「京都の一級品 東山遍歴」(新潮社・昭和40年)
のなかで竹山氏が空也の和讃に触れてる箇所がありました。
「空也作といわれる長い和讃があり、
今でもその初めと終りがうたわれるが、
その起句は次のようである。
『長夜の眠は独り覚め、
五更の夢にぞ驚きて、
静かに浮世を観ずれば、
僅刹那のほどぞかし』。—――
このように人生ははかない。それだからこそ、
生きているうちに仏に参じ、仏にみたされて、善をなせ。
ふしぎな機縁によって人間に生れてきたということは、
それをするための千載一遇のチャンスである。
人生が夢幻のごとくあることを痛感することこそ、
積極的な活動のもとであるという考え方は、
さまざまなヴァリエーションをなしながら
日本人の精神の一つの基調になっていたように思われる。」
(p130・第七章「六波羅蜜寺」)
はい。ここにでてくる空也和讃がよくわからないので
武石彰夫著「仏教讃歌集」(佼成出版社・平成16年)を
ひらいてみる(この本は素人にもわかりやすい一冊です)。
この本のp82に、空也和讃「鉢たたきとおどり念仏」が
どうもそれのようです。武石氏の本からそのままに引用。
長夜(じょうや)の眠(ねぶり)は独り覚(さ)め
五更(ごこう)の夢にぞ驚きて
途中ですが、p86から、その鑑賞がありまして、
「『五更の夢にぞ驚きて』の五更は、いまの午前三時から五時、
『驚く』は目が覚めること。夜明け方に目覚めるのは、老いの常。」
とあります。以下、和讃の3行目からも引用
静かに憂き世を観ずれば
僅(わず)かに刹那(せつな)の程(ほど)ぞかし
時候(じこう)程なく移り来て
五更の天(そら)にぞなりにける
念々無常の我が命
・・・・・・
はい。この箇所も武石さんの鑑賞から引用
「『憂き世を観ずれば』は、頼りになるものもない
つらく苦しい世間を心中に思い浮かべて本質を見きわめる。
『刹那の程』は、きわめて短い時間の間。
『念々無常』は刹那に移り変わること。」
はい。和讃は、これから続くのですが、
うん。私はといえば、仏教和讃を長く引用するのは
はばかれます。
たとえば『念々無常の我が命』『人命無常停まらず』
『明日の命は期し難し』『三界総て無常なり』などと
いう言葉がつづくので、
それが真実なのでしょうが、現代に生きていると
その言葉が痛く響くようで、引用をはばかられます。
なんてことを思っていたら、
そうだ、村野四郎氏の詩が思い浮かびました。
現代詩は、わかりやすい言葉で、短くて簡単に読めるのですが、
さらりと読めても、それがなんだろうかと内容がくみとれない。
ということがよくあり、そんな詩人に村野四郎氏がおりました。
それがどういうわけなのか、今回、思い浮かんできたのでした。
たとえば、こんな風に私は思い浮かべました。
仏教の教えは中世の人は身近なのでしょうが、
現代人からは、壁や堀で遠く隔てられている。
そんなことを思い浮かべると、村野四郎氏の
詩がにわかに浮かびあがるような気がします。
ということで、詩を二篇引用。
花を持った人 村野四郎
くらい鉄の堀が
何処までもつづいていたが
ひとところ狭い空隙(すきま)があいていた
そこから 誰か
出て行ったやつがあるらしい
そのあたりに
たくさん花がこぼれている
堀のむこう 村野四郎
さよならあ と手を振り
すぐそこの堀の角を曲って
彼は見えなくなったが
もう 二度と帰ってくることはあるまい
堀のむこうに何があるか
どんな世界がはじまるのか
それを知っているものは誰もないだろう
言葉もなければ 要塞もなく
墓もない
ぞっとするような その他国の谷間から
這い上がってきたものなど誰もいない
地球はそこから
深あく虧(か)けているのだ
ちなみに、私が村野四郎の名前を知ったのは
高田敏子著「月曜日の詩集」の序文を村野氏が書いていたからでした。
ここには、その村野氏の序文のなかの最後の言葉を引用しておきます。
「この詩集のすべての作品に通ずる精神的な主題は何かといえば、
それは『生活の中の知恵』です。それは、やさしい母の愛と
美しい詩人の心だけが人間に教えてくれる知恵なのです。
この知恵の本質は、現代を・・救うことのできる唯一のものですが、
それが、私たちの生活のどんなに些細な場所にも、
どのように息づいているかを、この詩集ぐらい、
やさしく温かく教えてくれるものはないでしょう。
私は、現代の一人でも多くの人が、
この詩集の美と愛とに心をうるおされながら、
現代という不安と危機の時代に、
自分をも隣人をも救う精神的要素を
汲みとられることを心からのぞみたいと思います。」
特に村野さんと高田敏子さんの魂の響き合いは感動ものです。 さっぱりわからぬ村野さんの詩と、誰にも分かる高田さんの温かな詩の底に共通のものがあるだなんて・・・
コメントありがとうございます。
はい。のりさんは詩に興味がおありのようで、
詩について、あれこれボーッと思い描くのは、
そんなに読まない癖して、わたしは好きです。
今回はどういうわけか、村野四郎さんの
詩が思い浮かんだのでした。そうこれは、
のりさんのおかげなのかもしれませんね。