さらにテキストを読みすすめていこう。「第11章 毛沢東時代の終焉」。


「まずいことに、アメリカが1974年11月にウラジオストクでのフォード大統領とブレジネフ書記長の首脳会談に合意したことによって、米中関係は複雑なものになった。」
「フォードは新大統領として、 ソ連書記長との会談を望んだ。フォードが欧州に行けば、米国の新大統領との関係を築きたいと願っている何人かの欧州指導者と会わないわけにいかないことは明らかだった。」
「そうなれば、フォードのスケジュールは過密になる。大統領の日本と韓国への訪問は、ニクソン政権の際にすでに決まっていた。ウラジオストクに24時間立ち寄るだけならば、大統領の日程にほとんど負担にならなかった。」

「決定の過程でわれわれは、ウラジオストクは中国が常に厳しく非難していた不平等条約の一つによって、わずか一世紀前にロシアが取得したこと、またウラジオストクはほんの数年前に中国とソ連の軍事衝突が起き、その結果、米国の中国政策の見直しが行われることになったロシア極東に位置していることを、見逃していた。」
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