この時期にオーストリアの皇太子がボスニア・ヘルツェゴビナ、帝国領内でセルビア人の多く住む場所を訪問した。
「第2次バルカン戦争の結果、セルビアの領土と人口は2倍になり、セルビアの野望は大いに鼓舞された。そして、1914年6月20日、ハプスブルク帝国帝位継承者フランツ・フェルディナント大公がボスニアの州都サラエヴォでセルビアが支援(引用者註:セルビア政府は関与を否定)する黒手組(ツルナ・ルカ)によって訓練され武器を供与されていたテロリストによって暗殺されたのである。」
(マイケル・ハワード『第一次世界大戦』より抜粋)