ソ連封じ込めに対する中国の対応、いわゆる「上海コミュニケ」は毛沢東とキッシンジャーによる2度の会談により形成された。
最初の会談が行われたのはベトナム戦争終結のパリ和平協定から一ヶ月足らずの時である。この協定によって、 中国は北ベトナムに対して共産主義の連帯を示すための努力を新たにする必要がなくなった。
2回目の会談は第四次中東戦争でアメリカが決定的役割を果たし、その結果としてアラブ側、とりわけエジプトが、ソ連依存からアメリカ依存に転換し始めた後に開催された。
1973年2月、毛沢東はメディア関係者の前で「中国とアメリカは『二つの敵国』であったが、われわれは今、両国間の関係を友好関係と呼ぶ」と語った。