Dデイ(1944年6月6日)以来連合軍は破竹の進撃をつづけ、8月25日にパリを開放、9月4日にはアントワープに入った。ドイツ軍は敗走につぐ敗走をかさね、もはや反撃の余力を残していないかのように見えた。
連合軍のなかには「クリスマスまでには戦争が終わる」と公言してはばからない将軍もいた。そんな楽観ムードのなか9月10日の会議で、モントゴメリー元帥よる作戦計画が説明された。
「マーケット作戦」 空挺部隊(第1空挺軍)は敵前線の後方に降下し、そのうちイギリス第1空挺師団はアーネム、アメリカ第82空挺師団はナイメーヘン、アメリカ第101空挺師団はアイントホーフェンの橋頭堡をそれぞれ確保する。
「マーケット作戦」 空挺部隊(第1空挺軍)は敵前線の後方に降下し、そのうちイギリス第1空挺師団はアーネム、アメリカ第82空挺師団はナイメーヘン、アメリカ第101空挺師団はアイントホーフェンの橋頭堡をそれぞれ確保する。
「ガーデン作戦」 イギリス第30軍団(機甲師団を中核とする3個師団)は空挺作戦の開始と同時に国境をこえ、1日目にアイントホーフェン、2日目にナイメーヘン、3日目にアーネムの友軍と合流する。移動距離は約90km。
作戦開始日を1944年9月17日とする。