年末の読売新聞のこどもの詩、可哀そうで涙が出で切り取ったが、それがピクチャー
を整理していたら入っていた。昨年母を亡くして「空の高いところにいるママに近づき
たくて」」なんて・・・今また読んでも胸が痛くなった。私が30代初めに兄嫁が小学生
と幼児3人残して急死した。その直接の原因はある薬を常用していたことで、手術の
ための麻酔ショックだった。当時小学生の娘と幼稚園児の息子がいた私は大家族
のストレスのためか、毎日頭痛がひどいため、頭痛薬を浴びるように飲んでいた。
突然母を亡くした甥や姪が可哀そうでならなかったが、私はその時何があっても
子供達が成人するまでは絶対に生きなければならないと心に決めた。
そのため、痛くても我慢して薬をできるだけ飲まないようにしたが、その時代は「薬の弊害」
はまだあまり知られていなかった。私は生後7か月の時に生母から離され、それを15歳の時に
「青天の霹靂」のように知った、その日のショックは今でも決して忘れない。
そのため、この詩が心に強く響いたのかも知れない。いずれにしても・・・
命に代えてもと愛した子供でも、時代の流れと共に、親子の関係は希薄になること
が多いのも事実だが、幼子にとって母は「絶対的な存在」であるのは間違いない。
でも、やさしい祖母に育てられて、きっと幸せであって欲しいと、祈るような
気持ちになった。