エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

文字なんて下手でもいいじゃない

2008-03-29 | 「生き方」「在り方」みたいなもの

筆文字にはじまり、最近はボールペン字等でも「文字の上手な書き方」とか「上達方法」なんて関連の書籍や、通信教育等でも「上達方法」みたいのがありますよね。

俺自身、あまり上手な方じゃないなあとは思っていて、そりゃ下手なよりは綺麗で格好いい文字を書きたいとは思っているのですが、これがなかなか。
時間も労力もあまり必要とせずに、すぐに身に付くというならば、そりゃ下手なよりは上手い方が良いのですが、自分の文字を根本から変えるとなると、時間も労力も、そして金銭的にも色々と必要になるのだろうと思うと、「まあ別に下手でもいいじゃないか」とか開き直ったりもしちゃいます。
「それも、自分の個性ってもんでしょ」
なんて、よく分からない理屈を展開したりして(笑)

ただ、ここまでだと何の根拠もない、本当にただの個人的な開き直りなんですけど、最近ちょっと思うところがあって、この開き直りにも自信が持てるようになったというか。

というのも、発端は先月函館市へ小旅行してきた際の事です。
函館市の函館市文学館と言うところに立ち寄り、色々と見てきました。
文学館では、石川啄木を筆頭に函館市縁の文豪の年表や作品紹介、そして直筆原稿などが展示されていたワケですが、その直筆原稿を見てふと思ったのです

『そう言えば、文豪と呼ばれる人達の直筆の文字って、決して「上手い」とか「綺麗」って文字じゃないなあ。というか、なかなか読めない文字も多いぞ?(笑)』

と、言うことです。
そうして思い返してみると、夏目漱石や太宰治等と言った文豪の直筆原稿を見たこともありますが、確かに決して「上手い」とか「綺麗」という文字じゃなかった。
むしろ、書き殴りで、読むのもちょっと苦労するくらいの文字。
そう、彼らは「文字」ではなくて、その「作品の内容」で勝負しているわけであって、文字の上手い下手は関係ない。
(注:かと言って彼らの文字が「下手だ」と言ってるワケではありませんが、少なくとも綺麗で読みやすい字では無かったと言うことを言いたいのです。そう言えば「上手い」って表現にしちゃうと、これって人によって判断基準が異なるから線引きが難しいことになりますね。今回は「上手い」=「綺麗で読みやすい」と捉えてください。)

だとすると、彼らに習って(俺は文豪じゃないけど)「文字じゃなくて書いた物の内容で俺を評価してくれ」と訴えたっていいじゃないか!
なんて事を思いました。
まあ、「じゃあ、そんなに内容が素晴らしい物を書いてるのか?」と言われても困るんですけど(笑)、でも「文豪の人だってそんなに上手い文字書いてるってワケじゃないよ」と言うのは、俺にもちょっと元気が出たかな?とか。そんな感じです。

要するに、そりゃ文字は上手いに越したことはありません。出来るなら上手くはなりたいです。でも、そんな簡単なものでもないし

下手だったら下手でも、別にそれでいいじゃない。