重低音のBlue Canary

♪ 思いつくままを、つたない文と photo で …

春になる前に…。

2007-02-06 | つれずれ
今日の名古屋地方は最高気温が16.2℃。
3月中旬の暖かさだそうです。

だからなのかどうか、
今朝も立ち寄った名古屋市北区「名城公園」内の、
少し高い場所から名古屋駅方向を見ると、



木立越しにそびえて見える高層ビル群が、いつもより霞んで見えました。


園内の木々の間を漂う空気も



どことなくモヤッとしていますし、

昨日は夕焼けが鮮やかだった帰り道の自宅付近も、



遠景の輪郭が、はっきりしません。


「春霞」なんでしょうね、これが。
今年の春は、ずいぶん早足のようです。


今日は、
疲れました。
身体が、ではなく、気持ちが。


職場で、私が指導に当たっていた後輩A君の、4月からの配置転換が内定したからです。
「記者」という専門職から、総務部一般職への異動。
事実上の降格で、当然、給料も、かなり下がります。

妻女と、間もなく3歳の子供が居る4×歳の彼はまだ、
その決定を知りません。


小さな会社が発行する小さな情報紙ですが、
彼をこれからの主筆記者に育てようと、
ここ2年、マン・ツー・マンで指導してきました。

けれども、
残念ながら、
本当に残念ながら、
彼はその期待に、
応えてくれませんでした。

指導する側の立場から言えば、
求めるレベルに、達してくれなかったということです。


彼の、何が一番の問題だったのかを、ひと言で言うのはとても難しい性質の職種です、「物を書く」という仕事は。

記事・文章の構成力や表現力というテクニックの前に、
世の中の何に目を向けるか、
何を感じ取るかの感覚・感性が、何よりも問われる職種だからです。


しかも、
そういう感性や感覚というものは、
各人が持つ、モノに対する「好き・嫌い」と同様、
他人が口を挟んだり、指導したりすることでどうにかなるというものでは、
必ずしもない点に、この職種ならではの難しさがあります。

それはたぶん、
DNAの問題もさることながら、
むしろ、その人がこれまで生まれ育ってきた過程で、
何を感じ、何を学習してきたかという「生き方」そのものが、
資質や適性の基礎になる職種だからでしょう。


偏見かも知れませんが、
物を書くという仕事に向いているか否は、
もしかすると、
その人が、心の奥底に「劣等感」を持っているかどうか、
あるいは、「貧乏人のヒガミ根性」を持っているかどうか――
ではないかと私は思っています。

もしそうならば、
文章を書くことの上手下手とは全く別問題として、
自分が劣等感の塊りであり、ヒガミ根性が身体に染み付いているという点で、
私はたまたま、物を書く仕事に、向いていたのかも知れません。


その点、幸か不幸か彼は、
劣等感やヒガミ根性を抱かずに、これまでの人生を生きて来られたのではないかと、ハタからは見えました。

それはそれで、私から見ればとても幸せで、羨ましいことなのですが――。



――などと、自分に都合良く書いてしまいましたが、

結果としてのA君の配置転換は、
彼を育てるべく指導してきた私の指導力不足にも当然、
問われて然るべき重大な責任があることは充分承知しています。

その責任をどう取ればよいのかと、
考えています。

この歳になって、
また1つ、重い十字架を背負うことになりました。


………。

公開「日記」とはいえ、
楽しくない話題をお目に晒して、
ごめんなさい。


名古屋の市街地の真ん中にあるテレビ塔近くの小公園では、
花壇の菜の花が満開です。



人間世界の出来事とは無関係に、
「春」は、待ったなしで、やって来るのですね。


--------------------------------------------------------------------------