重低音のBlue Canary

♪ 思いつくままを、つたない文と photo で …

蓮の花が…。

2007-06-28 | つれずれ


まだ一輪だけでしたが、
蓮の花が咲いているのを今朝、
今年初めて見ました。
毎朝立ち寄る名古屋市北区「名城公園」の蓮池で。


カメラを向けていると、
同世代と思しき男性が近づいてきて、
声を掛けてきました。
「今年は、(咲くのが)少し遅いようですね」と。



私にそう話し掛けながら彼は、
手にしたメモ帳に何かを書き込んでいます。


「毎年観察なさっているんですか?」
「ええ。バードウオッチングのついでに」

たしかに、双眼鏡を首からぶら下げていました。

今朝の会話がきっかけになり、
次にまた会えば、挨拶を交わすことになるのでしょう。

最近、「公園でのお友達」が、だんだん増えています。


ところで、
「蓮」と「睡蓮」の違いが良く分からなかったので、
調べてみました。



「蓮」は、葉や花が、水面からさらに伸びて立ち上がりますが、
「睡蓮」は、葉も花も、水面上に浮かんだままです。

なるほど、
花はそっくりでも、
違いを知れば一目瞭然だったんですね。


もう1つの違いは、葉っぱです。

「蓮」の葉は、撥水性があるので水をはじき、雨が降れば葉の上に水の球を作りますが、
「睡蓮」は、水をはじかないので、水の球ができません。

この違いも、激しく納得です。
もうこれで、見間違えませんよ。


それと、
「一蓮托生」という言葉がありますよね。
たとえば時代劇で、悪代官と悪徳商人が、

「この企てがバレたら、オレもお前も一蓮托生、牢屋入りだ。絶対に漏らすでないぞ」

などと、最近はダーティな意味合いで使われることが多いですよね。


実は、
そんな使い方をしているのを仏様に聞かれたら、怒られそうです。



仏像・仏画には釈尊が蓮華の上で瞑想している姿をとらえたものが多いのは、
仏教の世界で「蓮」は、「極楽浄土」を象徴・意味する、とても崇高な花だからです。

ですから「一蓮托生」というのは本来、
良い行いを積んだ者が、
生まれ変わってもまた同じ浄土で出会おうねという
願いを込めた言葉なのだと、
調べてみて分かりました。



今日もまた少し引きずっていて申し訳ないのですが、
美しく、気高いこの蓮の花をファインダーから覗いていると、
やはり、想ってしまいました。
誰かがこの池に投げ込んだらしいという、捨て子ネコたちのことを。


彼らはいま、
天国の蓮華の上で、
互いにじゃれ合いながら遊んでいるのでしょうか。


もしかすると彼らのために、
この池の蓮は今年、
いつもより少し遅めに花を咲かせてくれたのかも、知れません。




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忘れ物。

2007-06-27 | つれずれ
初めてでした。
毎朝、金色塗装の愛車「マツケン・サンバ」号の助手席に必ず乗せて出掛けるカメラバッグを、
忘れてしまったのは。


持って行っても、
いつも立ち寄る名古屋市北区「名城公園」の「ネコ溜まり」で、
「しずく」のほかにも実は「ポタリ」とか「コロリン」とか私が勝手に名付けていた何匹かの子ネコたちに
もう会えそうにないことが分かっていたから、ではありません。

たしかに、
足を向ける気は、あまりしませんでした。
気が、少し重くて。


でも、見には行きましたよ、やっぱり。
けれども、やっぱり、
子ネコたちの姿を目にすることはできませんでした。


カメラもなく、
まして愛すべき被写体たちも居ないのでは、
長居は無用です。

いつもなら30分近くとどまっている「名城公園」を10分で後にし、
職場に向かいました。


ただ、
公園を出る前に1度だけ、携帯のカメラを近づけました。
木立の陰でひっそりと咲いていたこの野草に。



以前、名を知らないまま載せた後、
いつも優しいコメントをいただくPさんから、わざわざ名前を教えていただいた花、
「ムラサキカタバミ」、別名「キキョウカタバミ(桔梗片喰)」です。

江戸時代に渡来した南アメリカ原産の帰化植物。
花言葉は、
「喜び」「心の輝き」だそうです。


おかげで、
ほんの少しですが、
気持ちが和らぎました。

「ありがとうな」
と心の中で声を掛けながら立ち上がった時、

「ムラサキカタバミ」の可憐な薄紫の花が一瞬だけ揺れたのは、
「どういたしまして」の返事を
風に乗せて届けてくれたからなのでしょう。


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怒っています。

2007-06-26 | つれずれ
ためらい、
迷い、
悩みましたが、

やはり、
ご報告することにします。


今朝もいつも通り名古屋市北区「名城公園」に立ち寄ってきました。

まず足を向けたのは、
昨日のブログでも触れた園内の「ネコ溜まり」です。



蓮池の近くにあります。

しかし、
子ネコたちはやはり
居ませんでした。


それでも、ベンチに掛けられた雨よけシートの中を覗き込んでいると、
顔見知りの「公園の住人」さんが通りがかり、声を掛けてきました。

「居なくなっちゃったねえ、子ネコたち」
「そのようですね。誰かが、保健所へ持って行ったんですって?」

「…………」 
困った顔を、していました。

「えっ? 違うの?」

「………先週の金曜日だか土曜日だかに、池に…子ネコが数匹……浮かんでたっていう話だよ」
「ええっ! 落ちたの?池に」
「落ちるわけ、ないだろ、数匹が一緒になんて。誰かが放り投げたんさ。前にも同じこと、あったし…」




それから数分後。
昨日教えてくれたオバチャンが近づいてきました。

「子ネコ、保健所じゃなかったみたいですね」
「………誰からか、聞いたの?」
「はい」
「そっかぁ。……おたく、可愛がってたみたいだから、言えなくてさ。ごめんね」


なんて、
優しい人なんでしょう。


悲しむというより、
怒っています、私は。

激しく、
怒っています。
怒っています。
怒っています。


なので、
今日はここまでしか書きません。

というより、

書けないですよね。



また会おうな、
「しずく」……。


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何処へ…。

2007-06-25 | つれずれ
昨日のブログで「月曜日の朝に見るのが楽しみ」と書いた、
名古屋市内のメーンストリートの中央分離帯に植えられた「アガパンサス」の花が、



予想通り、ほぼ満開に咲いていました。


「アガパンサス」。
アフリカ原産のユリ科で、
和名は「紫君子蘭」(ムラサキクンシラン)。

花言葉は「誠実な愛」「恋の季節」「 恋の便り」「恋の訪れ」だそうです。
う~む……、
残念ながら、
私にはまったく縁がありませんな、
目下のところは。




ともあれ「アガパンサス」の花が咲いているのを見られて、嬉しいには嬉しかったのですが、

実は、

その数十分前に知った悲しい出来事のせいで気持ちがすっかり落ち込んでいて、
信号待ちの運転席から切ったシャッターの手応えが、
あまり定かではありません。。


それは、
その少し前にいつも通り立ち寄った名古屋市北区「名城公園」の
私が「ネコ溜まり」と呼んでいるベンチ付近から、



子ネコが、
消えていたからです。


もちろん、
私が勝手に名付けた子ネコの

  

「しずく」の姿も、
見当たりません。


先週の木曜日には、
その後さらに仲間入りした赤ちゃんネコを守るような、



ちょっぴりお姉さんぽくなった姿を見かけていたのに。


茫然として佇んでいると、
最近この場所でよく会うオバチャンが、気の毒そうに、声を掛けてきました。

「先週の金曜日、誰かが子ネコばかりを、持って行っちゃったらしいんだよね、保健所へ」

………。

確かに、
周囲にいるのは大人ネコばかりで、
子ネコが、一匹も、いないんです。


誰が、何のために、子ネコたちを持って行ったのでしょうか?
避妊手術を施すため?
だったのなら、もう帰してくれてもいいんじゃないですか?


諦め切れずに周囲を探していると、
足元で「ミャ~」。

驚いて見下ろすと、
一匹のネコが、私のズボンの裾に身を摺り寄せていました。

いままでも「しずく」たちと一緒に居るのを何度も見掛けたけれど、
決して私には近寄ってこなかった、たぶん生後6カ月ほどの、まだ子ネコ――。




気を落としている私を慰めに来てくれたのか、

それとも、

身の回りに起きた恐怖体験から学習し、
自分を守ってくれそうな人間を探しておこうとして、
愛想を振りまき始めたのか……。


ともあれ、
先週会った時の「しずく」の、
初めて見せた上目遣いで何かを訴えているような表情が、



脳裏に浮かんで消えません。


いえいえ、
諦めたわけじゃありませんよ。
一生懸命探しますから、
待っていてくださいね。


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呼び捨て。

2007-06-24 | つれずれ
昨日の晴天と暑さがウソのように、
今日の名古屋地方は朝からまた雨が降り始め、
今夜もこのまま止みそうにありません。

おかげで、
晴れていたら久しぶりにカメラ片手に近所を散歩してみようと思っていた思惑が外れ、
また一日中、家に閉じ込められました。


お気に入りのウエッジウッドのマグカップにコーヒーを入れ、
カメラを手にウッドデッキに出てはみたものの、
金曜日に写したばかりですから、
さすがに今日は向けるべき被写体もなく、
ただただのんびりと、
大好きな雨だれの音を、ひねもす聞いていました。


ということで今日アップした「自己満足アルバム」は、
昨日久しぶりに顔を出した、
拙宅から5kmほど離れた実家の、



やはり坪庭で写した何枚かです。


いずれにせよ変わり映えがしなくて恐縮ですが、
よろしかったら、また見てやってください。




              



               



              



              



              



              



              




姉と私の2人姉弟です。

両親がすでに他界した実家には、
一度も結婚したことがない5歳離れた姉が、
一人で暮らしています。



気が付けば、
親戚の伯父や叔父、伯母や叔母のほとんどがすでに他界し、
私の名前を「呼び捨て」にするのは、
この姉ぐらいしか、居なくなりました。


姉もまだ、とりあえず元気そうです。

ただ、
姉が先か、
それとも、もしかすると私のほうが先になるかは別にして、

私が名前を呼び捨てられる状態を、この先いつまで続けられるのだろうかと、
そんなことを考えながら帰りの車のエンジン・キーを回すことが、
少しずつ多くなってきたように思います。


最近、気分が少しウエットなのは、
梅雨の季節柄、ということにしておきましょう。




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ストレス解消。

2007-06-23 | つれずれ
パソコン環境を変えました。

いえ、
換えたのは「パソコン」ではなく、
「環境」だけです。




左が、いつもは2階自室で使っているメーンのXPデスクトップ、
右が、1階居間に置いているサブの98ノートです。


まず、ネット接続を、これまでのADSLから「フレッツ光」に換えました。
拙宅は最寄のNTTから直線距離で3km余あるため、
従来のADSLでは充分な効果を得られていなかったからです。

そこで「光」に換えて、
2階へはこれまで通り無線で飛ばし、
1階はルータに直結することにしました。

両機とも、それだけで速度が体感的には3割ほど速くなった気がします。


ついでにこの際、
XPのメモリーを512MB追加して768MBにしました。


この2つの改善効果で、とくにXPの動作は、がぜん若返りました。

というか、
これまでXPを256MBで動かしていたほうが、おかしいんですよね。

しかも、
「タダ」という言葉にめっぽう弱い私は、
いろいろなところから面白フリーソフトを見つけてきては溜め込んだうえ、
無意味に常駐させていたアプリケーションも少なくありませんでしたから、
動作が鈍くなること、鈍くなること。

結果として、
大きなストレスを抱え、イライラしていたのは、
私よりも、実はパソコン自体だったのでしょうね。


ということで、
いまこのメーンマシンはストレスから解放され、
快調そのものです。体感的には7割方、早くなったように思います。
気分爽快です、私も、マシンも。


それにしても、です。
ストレスや、体力の衰えを感じたら、
新しい部品をパチンと嵌め込んで一気に若返る――というような具合には、
人間はならないものでしょうかね。

えっ? 科学技術がこれだけ激しく進歩しているのだから、
人間だって、そのうち可能になるかも知れない、ですって?

うーん……。
そうまでして長生きしたいとは、
私は、思いませんけどね。



昨日かなり降った雨で
わが家の坪庭の一角に出来た水溜りの中に、



今朝、
もう一つの空を、
見つけました。


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雨だれを聴きながら。

2007-06-22 | つれずれ
今日の名古屋地方は、
午前8時ごろから午後8時ごろまで、
雨が降り続きました。

やっと、
梅雨らしい1日になったのです。




会社を、
休みました。

「用事ができた」と会社には申告しましたが、
それは、
何か理由を付けなければ、労働者の当然の権利である有給休暇を取ることを
どうしても後ろめたく思ってしまう世代、もしくは性格だからで、
格段の事情があったわけではありません。


強いていえば、
ここ数週間、仕事がとても忙しく、
イライラが溜まって心が破裂寸前だったから、
……などというキザなセリフを吐かせてもらっても、よろしいでしょうか。


一日の大半を、
居間のソファと
ウッドデッキ周辺の
半径約3mの範囲内で過ごしました。

そして、
そこから見える物の手当たり次第に、
カメラを向けていました。

こんなふうに、です。



  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  


今日は、
雨だれの音を、
いっぱい、
いっぱい、
聴きました。

私は、
雨の日が、
好きです。




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はいのう。

2007-06-21 | つれずれ
まずは、
マイカー通勤途上の車内などから最近撮った
何枚かの「街角スナップ」をご覧ください。


  

  

  

  



もうお分かりですよね。

近ごろ、パックパックや、かばんの「斜め掛け」スタイルで通勤する男性サラリーマンの姿を、
よく見かけるようになったとは思いませんか?

それも、
20~30代の若い世代に限らず、
40代、50代のオジサンまで。

なぜなんでしょう?


背に負うバックパックはもちろん、かばんの「斜め掛け」も
両手が使いやすくなるので楽でしょうし、
安全だとも思います、たしかに。

とりわけ 梅雨の季節は、かばんを濡らすことも少なくなりそうですしね。


でもね……。

戦闘態勢で職場に向かうサラリーマンの姿としては、
何か、そぐわないとは、思いません?


もちろん自分が「時代遅れ」だとは充分自覚しつつも、
やはりどこかにモヤモヤとした思いを胸に抱きながら、
車の中からそっと、
彼らを見ている最近の私なのです。


ちなみに、
「バックパック」と、
私が若い頃にはそう呼んでいた「リュックサック」との区別が、
よく分かりません。

「rucksack」はドイツ語、
「backpack」は英語という、
ただそれだけの違いだと理解してよろしいんでしょうか。


そんな旧世代人間の私ではありますけど、
すさがに、
「バックパック」あるいは「リュックサック」を、
兵隊さんが昔、背負っていた「背嚢」(はいのう)とまでは言ったりしませんので、
そこんとこは、ぜひひとつ、ヨロシクです。


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気のせい?

2007-06-20 | つれずれ
今日は帰りが少し遅くなったので、
テーマをアップする準備が整いません。

というので、
毎度々々で恐縮ですが、
毎朝立ち寄る名古屋市北区「名城公園」に
最近捨てられた子ネコ「しずく」の、
プチ報告をさせてください。


▽18日月曜日の「しずく」です。




▽19日火曜日の「しずく」です。




▽そして今日20日水曜日の「しずく」です。



たった3日間なのに、
ほんの少しずつ、
大人びてきているような気がします。

でも、
同時に、

だんだん寡黙になっているような気も、
するのです。

それが、
「野良ネコ」として生きる、ということなんでしょうか。


何もしてあげられなくて悪いけど、
がんばれ、「しずく」!!




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オーラ。

2007-06-19 | つれずれ
午前中、
仕事の資料を借りるため「名古屋鶴舞中央図書館」へ出掛けた際、
隣接する「鶴舞公園」内を少しだけ歩いてみました。


テレビニュースで時々紹介される園内のバラ園はいま、



時季がまだ少し早いのか、
全株が咲き揃ってはいませんでした。

それでも、
とりあえずこんなふうには咲いているバラを仕事の合間に眺めるのは、

  

  

  

少し贅沢な気分になって、いいものです。


………とは書きましたが、
本当は、
気になって足を向けた目当ては、
バラ園ではありませんでした。



今年の2月17日付のブログ「いつかは…。」で、



さらに同4月13日付ブログ「いしずえ。」でも見かけて触れた「彼」を、



探しに行ったのです。


すると、
その同じ場所に「彼」は、



居ました。

むしろ、
以前よりもっと、
くつろいだ雰囲気で。


4月のブログで、私はこう書きました。

「彼はなぜ、何にこだわって、この場所を選んでいるのか――
 そのワケを、尋ねてみたい気がします。」と。

もしも今日また「彼」に出会ったら、
本当にそれを聞いてみよう、と思っていました。

でも、
聞けませんでした。

というより、
近づけませんでした。

人を近づけさせない「オーラ」を、
彼は放っているようにさえ感じたのです。


「格差社会」が問題になっています。

誤解を恐れずに言えば「彼」は、
格差社会の「底辺」ではなく、
もしかすると
一番てっぺんに居るのかも知れない……

……そんなふうに思いながら、
私は、
勤務時間をほんの少しサボったことを後ろめたく思いながら、
そして、
今日中に果たさなければならない仕事と、
守らなければならない規則と、
気を使い合わなければならない上司・同僚が待っている会社へ、
急いで戻って行ったのです。


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