昨日の拙ブログ「歴史的大発見?」でご紹介した、お友達のpa-man31さんが発見なさった名古屋城の石垣にあるこれの、
正体が判明しました!
これは、
掲載後のコメントに「真・善・美」さんが推理なさった通り、
「宇宙人の出入り口」でした!
……てなワケはやっぱりないわけで、
これは、築城時に石垣の石を割るために彫った「矢穴」の跡であることが判明しました。
つまり、発見者のpa-manさん自身が、やはりコメント欄で推察なさったのがほぼ正解でした。
「何か分かったら、教えてください」と昨日、名古屋城管理事務所の方にお願いしてあったのですが、
今日の午前、早速電話をいただきました。それも、市の学術員Sさんから。
「昨日電話を受けた職員と一緒に、さっき見に行ってきました。たしかに、人の顔に見えますねえ。あそこにあんなものがあったなんて、初めて知りました」
「で、名古屋城の石垣は、自然石をそのまま積み上げる<野面(のづら)積み>ではなく、大きな石を割り、面を平らにしてから積み上げる<打ち込みはぎ>という工法を多く用いていますが、その石を割る際、<矢>つまりクサビを打ち込むための<矢穴(やあな)>を、まず石に彫ります」
「ただ、中には<矢穴>を彫ったものの石を割るのを止め、そのまま使うこともあったようです。その際は普通、彫った穴が表に出ないよう内側に回して積み上げるものなんですが、たまに、<矢穴>を表にしたまま積んでしまう場合もあったようです。あの石垣の、目のように窪んでいる部分は、その<矢穴>の跡ですね、十中八九」
それに、
「あの場所の石垣は、豊前藩の、あの細川忠興が工事を担当した箇所です。その後、震災や災害などで崩れたため修理したとかの記録もありませんから、おそらく400年前の築城当時から、あの石はあそこにあったと思われます」
――だそうです。
そんなに長い間、あの石はあんな人目につきやすい場所にあったにもかかわらず、
「人の顔に見える」などと誰も言い出さなかったのが不思議なくらいですよね、と私が言ったのに対し、
学術員氏が電話の向こうから返した言葉が、私の胸に残りました。
「そうですね。ただ……私たち(専門家)は、あれを見れば<矢穴>だとすぐ思ってしまいます。だからかえって、それ以上の関心や興味を持たず、想像も広がらず、それが人の顔にも見えるなんて考えもしないまま、見逃していたんでしょうね。おかげでとてもいい勉強になりました。ありがとうございます」
そう、
なまじ知識があるから、それにとらわれたり、
あるいは固定観念や先入観で物を見聞きするから
実は新しい発見ができない――
――私たちの毎日も案外、同じ過ちを繰り返しているのかも知れませんね、自分では気がついていないだけで。
それにしても、です。
肉眼ではこの程度(↓)にしか見えない中から、あの「人面石」もしくは「宇宙人の出入り口」を発見なさったpa-mam31さんの鋭い観察眼に、もう一度、拍手です。
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