重低音のBlue Canary

♪ 思いつくままを、つたない文と photo で …

臨時開店!

2009-10-26 | つれずれ


地元の尾張(名古屋)弁で言えば「どえりゃあ目に遇ってまったがね」。
通訳すると「とても大変な目に遇ってしまったじゃないですか」ということになりましょうか。


なぜなら、
すでに閉鎖中の拙ブログに過日、関西在住のleyさんからこんなコメントをいただいたからです。

「10月25日の日曜日。一宮モーニング博覧会に、やっぱカフェ通のuwanosora443さんは、行かれるんですか??」

そして
「写真付きレポートよろしく」とも。



「モーニング博覧会」?――ここで言う「モーニング」とは、喫茶店が午前中の早い時間帯に行う「モーニングサービス」のことです。

愛知県一宮市は人口に比べて喫茶店の数がきわめて多く、
また、喫茶店が始めた「モーニング・サービス」の「発祥の地」で、
さらに、各店が出す「モーニング・サービス」がとても豪勢であることで知られています。

ではなぜ一宮市には喫茶店が多く、
また、話題になるほど「モーニング・サービス」のメニューが豪勢なのか――

――それには、歴史的な背景が、ちゃんとあるのです。


それは、
愛知県一宮市とその周辺は、かつて日本最大の毛織物の産地だったことです。
親機あるいはその下請けの子機と呼ばれる毛織物工場が軒を連ねる町でした。
ガッチャン、ガッチャン、ガッチャン――と毛織物を織る織機の音が、町の至る所から聞こえていました。

そんな毛織物工場では
取引先の誰かが訪ねてきて商談しようとした時、工場内の事務所では騒音がうるさすぎ、ゆっくり話ができません。

そこで、
取引先が来ると、
お茶の接待をかねて近所の喫茶店まで出かけ、話をしたのです。

そこで市内のあちこちに喫茶店が増え、
増えた喫茶店が各々の固定客を確保するために始めた「モーニング・サービス」のメニューが
ライバル店との競争から少しずつ豪勢になり、だんだんエスカレートして行った

――そんな「モーニング」が、肝心の地場産業である毛織物産業が衰退してしまった現在も、まだ根付いたまま残っている、ということです。



一宮市の喫茶店業界が、その「モーニング」の豪華さを話題にしたイベントを3年前から始めていたことを、ほぼ隣市に住む私は、まったく知りませんでした。


それがなぜか関西の情報誌には載っていたらしく、
話題をわざわざ知らせていただいたわけですから、
たとえブログ閉鎖中とはいえ、無視はできません。

というので昨日の日曜日、
車を走らせてみたのです、
「第3回 一宮モーニング博覧会」に。




ところが、
軽い気持ちで出掛けたのが大誤算でした。

なぜなら――



「10時から」と聞いていたちょうどその時刻に会場付近に着いてみると、すでに長蛇の列。

「ホント、ずいぶん並んでますねえ」ですって?
いえいえ、上の写真は並び始めてから30分後経過後、
家並みの角を曲がってやっと半分を過ぎ、会場が見えてきてから写したんですから。

結局、会場に辿り着いたのはさらに30分後。
その会場も大盛況・大混雑で、



取材のテレビクルーを何組も見かけました。



今年の「博覧会」では、
エントリーした14店の「モーニング」を特設会場で出張販売し、
食べ終わったお客の人気投票で「モー1グランプリ」を決める、という趣向。

というので、
私も、会場で配られていたエントリー店のメニューの中から



こちらを選び、食べてみました。
この「モーニング・セット」で400円。

この会場の雰囲気ではともかくとしても、
実際にお店でこの値段、このモーニングなら、ちょっと嬉しいではありませんか。


というので、
機会があったら、
ぜひ「一宮モーニング」を試してみてくださいね――

――というレポートをお届けして、
「臨時開店」した当ブログを
再び、閉じることにしますね。


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ブログ閉鎖のお知らせ。

2009-09-05 | つれずれ
突然ですが、
本日をもって当ブログを、閉鎖させていただくことにしました。


以前から少しずつ方向性を見失いつつあり、
出直しを考えていました。

しばらく考える時間を持ち、
意欲がまた湧けば
再開もしくは新たに開設し直すかも知れません。


2006年2月9日の当ブログ開設からほぼ3年7カ月の時間が経過しました。
この間、お立ち寄りいただき、さらにコメントまで残していただいたすべての皆さまに、
厚くお礼申し上げます。

本当にありがとうございました。

(「ブログ閉鎖」を告知するため、しばらく休止状態を保ちますことをご理解ください)


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定点観測。

2009-09-03 | つれずれ
通勤途上に毎朝立ち寄る名古屋市北区「名城公園」で最近、
ちょっとした「定点観測」を続けています。

それは――。



  



  



決して同じ日に撮ったわけではありません。
周囲にある物の配置などが、微妙に違っているでしょ?


「判で押したような生活」というのは人間社会ばかりでなく、
公園ネコたちもまたそうなんですね。


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怒っています。

2009-09-02 | ぼやき



今朝の中日新聞の1面に、
この記事は載っていました。

 ▽越中 舞い込む秋―― 八尾・おわら風の盆
  北陸に秋の訪れをつげる祭り「おわら風の盆」が1日、富山市八尾町で幕を開けた。
  胡弓や三味線が奏でるおわら節に合わせ、編み笠を被った男女の踊り手が、3日まで坂の町を盛り上げる。

  祭りは江戸時代半ばから始まり、二百十日の台風の季節に合わせ風を静め、
  五穀豊穣を祈り「風の盆」と呼ばれるようになった。
 
  初日は、午後3時に各町内で輪踊りや町流しがスタート。
  おわら節が流れる中、観光客は指先まで神経の通った踊りに目を奪われていた。

  日が傾き、ぼんぼりがともると、町の風情が一層際立った。


地元の富山新聞は、
同じ記事を、さらにこう伝えています。

 ▽哀調の音色、優美に舞う 八尾おわら風の盆開幕 富山に秋告げる
  富山に秋の訪れを告げる「越中八尾おわら風の盆」は1日、富山市八尾中心部で開幕した。

  坂の町は哀調漂う三味線や胡弓の音色と、艶やかな歌声が織り成すおわら情緒に包まれ、
  浴衣や編み笠姿の踊り手が繰り広げる優美な舞に、沿道の観衆が酔いしれた。
  
  日が暮れてぼんぼりに明かりがともると、しなやかな所作を繰り広げる踊り手の姿が幻想的に浮かび上がり、
  祭りの興奮は最高潮に達した。
  …………


徳島「阿波踊り」や秋田「ねぶた祭り」のような、ダイナミックでエネルギッシュな踊りとは対極にある、この静かで優美な越中八尾「おわら風の盆」が、私は大好きです。

だからこそ、
中日新聞に掲載されたこの1枚の写真に、
私は抑えようのない憤りを感じ、
腹の底から怒っているんです。


中日新聞のカメラマンは(実際は中日新聞のみならず他社も同じだったのですが)、
なぜ、
ストロボを焚いてこの写真を撮ったのですか?



「おわら風の盆」は、
道の両側に建ち並ぶ家々が、わざと家の中の明かりを消し、
ぼんぼりの明かりだけがうっすらとともる町の中を、
町内の踊り手たちが、ゆっくりと、ゆっくりと、
「踊る」と言うより「舞い」ながら流してゆく優雅さに、
他の盆踊りにはない特徴的な良さがあります。


そんな町流しの踊り手たちに向かって、
なぜ、
目が眩むようなストロボの閃光を浴びせかけ、
彼らが最も大事にしている、薄明かりの中で踊るからこその幽玄美を
ぶち壊すような真似をするのですか?
それも、アマチュアならいざ知らずプロのカメラマンが。

他人の家に土足で踏み込むようなその傲慢さと無神経さを、
私は断じて許せないんです。



数年前、
縁あって招かれた私も、
2日2晩、「おわら風の盆」を拝見するチャンスを得ました。
もちろんカメラを持参し、それこそ数百回もシャッターを押したでしょうか。

しかし、私の腕前では残念ながら、
ほとんど暗闇といっていい中で、ストロボを使わずに撮った中のたった1枚さえ、
まともに写っている写真はありませんでした。


でも、
そんな失敗を、全然悔やんではいません。

なぜなら、
「写真」というものが、文字通り「真実」の一瞬を「写し撮る」ものであるとするならば、
暗闇での舞いを、まるで真昼のように明るく映し出してしまうような「ニセモノ」写真を撮るよりは、
まだマシだと思っているからです。



死ぬまでに1枚でいいから、
「おわら風の盆」の満足いく写真を撮りたい――それが願いなのですが、
たぶん無理なんでしょうね、
私の、残り時間的にも技量的にも。


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戦い終わって…。

2009-09-01 | つれずれ
480議席をめぐって1,374人の立候補者が争った第45回衆議院議員総選挙。

大方の予想通りだったとは言うものの、
あまりにも劇的な大転換の瞬間を目の当たりに見て、
2日経ってもまだ、どこかに興奮の余韻が残っているような気がします。



ところで――



8月24日付拙ブログ「役に立つのは…」でアップしたこの写真は、
静岡7区に立候補した自民党公認・片山さつき氏が選挙区内のあちこちに張り出したポスターでした。


ご存知の通り片山氏は、
前回選挙で小泉首相の郵政民営化に反対して自民党を離党、無所属で選挙に挑んだ地元議員・城内実候補者への「刺客」として送り込まれ、当選を果たしました。

しかし今回は、
これまたすでにご存知の通り、



城内氏に対し、大惨敗を喫したのです。

なにしろ2人の得票差は、

     片山さつき     城内実     得票差
前回  85,168票      84,420票     748票
今回  54,128票     129,376票    75,248票

というありさまですから。


「本当に困った時、誰が 役に立ちますか?」

このポスターの、胸にグサリと刺さるキャッチコピーを、
片山氏自身はいまどんな気持ちで見直しているのだろうか、と思いながら、
早々と彼女の落選を伝える選挙特番を見ていました。




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足元からも、秋。

2009-08-31 | photo



通勤途上、今朝も立寄った名古屋市北区「名城公園」。

気が付くと、

足元に
少しずつ、少しずつ
「秋」が積もっていっているんですね。


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切り返し。

2009-08-29 | photo



自宅の近くに最近オープンしたイタリアン・レストランの駐車場。

「切り返し」をしたタイヤ痕が異様に多いことを不思議に思い、
私もとりあえず駐車だけしてみた結果、
その理由が分かりました。


3台分の車止めブロックが、ほぼ等間隔に置かれているため、
サイドミラーだけを見てバックすると、
隣りの駐車スペースとの区別が分かりにくく、
中途半端な場所に車を停めそうになってしまうのです。


たぶんこの駐車場には車を停めないのであろうお店のオーナーはそのことに気が付かず、
日に日に増えるタイヤ痕を見ながら、
首を傾げているのかも知れませんね。


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済ませてきました。

2009-08-28 | photo



済ませてきました、
「第45回衆議院議員総選挙」の投票を。


期日前投票が簡便・容易になりとても助かってはいるのですが、
半面、
投票所での本人確認の手続きがあまりにも緩やかに思え、
これで不正投票をきちんと防げるのかしらと気になってしまいます。


ともあれ、
私としてはこれで、有権者としての責任は果たしました。

あとは明後日のいま(午後10時)頃、
どんな思いでテレビの開票速報を観つめていることになるのかに、
とても、とても興味があります。


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うわのそら的寸撮/違和感。

2009-08-27 | photo



過日、所用で出掛けた福島県福島市の
ここでもまたシャッターを降ろしたままの店が目立つ、とある商店街で。


この㈲○○畳店が、たまたま盆の休み中だったのか
それともすでに廃業してしまったのかは、一見しただけでは分かりませんでした。

でも、
いずれにせよ店舗の土間に引き込まれていたポルシェの姿に、
正直言って私は、少なからぬ違和感を覚えたのです。


日本という国は
本当に「豊かな国」なのでしょうか。
それとも「虚栄の国」なのでしょうか。


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こんな所に…

2009-08-26 | つれずれ


浜松市の市街地から北北東へ車で約1時間、
すでに山間部といえる浜松市北区引佐町(旧静岡県引佐郡引佐町)の郷社「六所神社」の参道入口に
この構築物は建っています。

お分かりでしょうか、
この構築物が何か?


「凱旋門」です。


えっ?、読み間違いではありませんよ、
「凱旋門」ですこれは、
フランスのあの凱旋門と同じ。


ただしここでは



「凱旋紀念門」(右から左へ)と銘打たれていますけどね。


明治37年(1904年)に勃発した日露戦争に出征し、無事生還した地元の凱旋兵士たちを迎えるため、
同39年(1906年)に建てられたものです。



明治27年(1894年)の日清戦争に続き、日露戦争でも戦況を有利に進めた日本。
勝って帰ってきた兵士たちを迎えるため、
実は全国各地に「凱旋門」が建てられました。

しかし、
そのほとんどがその後取り壊されてしまった中、
いまも名残りをとどめて現存する「凱旋門」が全国に2つだけあります。

1つは鹿児島県姶良郡姶良町下名に残る石造りの通称「山田凱旋門」、
そしてもう1つが
この引佐町のレンガ造りの「凱旋紀念門」なのです。





幅3.2m、高さ3.6m。
石製の柱脚の上に、レンガをの、側面の大きな面と小さな面を交互に積み上げる「フランス積み」で作り、
最上部には江戸切り仕上げの石材を乗せられています。

平成14年に国の「登録有形文化財」に指定されましたが、
保存管理状態を見る限り、
残念ながら、それに相応しい扱いを受けているようには思えません。


戦争に関わる「凱旋門」だからという意味では決してなく、
せっかくの歴史的構築物なのですから、
もう少し大切に扱われてよいのではないかと思うこの「凱旋門」を
近くにお出掛けの機会があれば、ご覧になってみてはいかがですか?


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