乱鳥の書きなぐり

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『言語的な、余りに言語的な―現代社会とことば』3,3★/5  (明治大学公開文化講座) 新書 – 2004年 明治大学人文科学研究所、 明大人文科学研究所 風間書房

2022-06-17 | 読書全般(古典など以外の一般書)

 

 

『言語的な、余りに言語的な―現代社会とことば』3,3★/5  (明治大学公開文化講座) 新書 – 2004年 明治大学人文科学研究所、 明大人文科学研究所 風間書房

 

 

『言語的な、余りに言語的な―現代社会とことば』を読了。

 目次は

 ことばが紡ぎ出す準体験の世界―文字と言語
 マスメディアと言語―ジェンダーの視点から
 現代日本語にみるジェンダーの様相
 遠くて近きは言語とスポーツ

 

 

 ことばが紡ぎ出す準体験の世界―文字と言語はかなり面白い内容で、一気に読む。

 読んで為になる項目だと感じる。

       大当たり!

 

 

 いっとき大変なブームになっていたジェンダーの観点から見た言語については、世に言うジェンダーを前に出してくるものでは無い。

 言語に即した内容で興味が持てた。

 ジェンダー問題も言葉を軸に考えると、興味深く、奥深いと感じた。

 


 そして最後の、遠くて近きは言語とスポーツ はつまらなかったので、途中でやめた。

 例えば、[レールに乗せられて一流大学に入るエリートたちは、、、(要約)]

[レールに乗せられて一流大学に入るエリートたちは、、、(要約)]を書くのであれば、極論を申すならば、[レールに乗せられてただただこなすスポーツバカ、、、]という言い方も成立するでありうかもしれない。(ただし上に書いたことは、私は微塵にも思ってないことを付け加えておきたい。

『言語的な、余りに言語的な―現代社会とことば』の公園で話した内容を収録した本書の第4話目を読み、反発が生じただけである。

 遠くて近きは言語とスポーツで話された(書かれている)内容は余りにも一方できで近視眼的である。

 一方を肯定するが為に他方は否定するといった、小学生のいじめのような、多角的に物事をたら得られない内容は、公の場で話すべきでは無いと私は考える。

 

 

明治大学人文科学研究所 

明大人文科学研究所

風間書房

 

 明治大学人文科学研究所の公開文化講座の講演集。今回のテーマは「言語(ことば)」。

 4人の講師陣が、文学と言語、マスメディアと言語、現代日本語にみるジェンダーの様相、言葉とスポーツについて明快に論じる。

 

 

 
 2009年〜2010年に9冊読んだことのある明治大学公開文化講座 (風間書房)が気になったので、読んでみる。
 
 私の場合はコロナが怖いので、講座も講演も聴きに行くことのできないこういった今、明治大学公開文化講座はありがたい。
 
 気になる本を再読したり、また新たなものも読む進めようと思う。
 
 このシリーズはありがたい。
 
 
 
 
 
 
 
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映画『Seven セヴン』 4,3★/5 1095年 監督 デヴィッド・フィンチャー 脚本 アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー  モーガン・フリーマン ブラッド・ピット

2022-06-17 | 映画

映画はセブン、写真は八橋

八橋の近くには業平という名のカキツバタあり。

 

 

 

映画『Seven セヴン』 4,3★/5 1095年 監督 デヴィッド・フィンチャー 脚本 アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー

 

 映画『Seven セヴン』をみた。

 筋書きとラストがよく、見ごたえのある映画であった。

 映画としては、私は好きな作品だと感じた。

 

 映画を見ていると、ダンテの『神曲』を軸に、筋書きを更生させ展開させている作品を見ることがある。

 日本ではアメリカやヨーロッパに比べて『神曲』に馴染みが薄いので、調べて見ることにした。

 

    

 

 

「七つの大罪」とは

  キリスト教の教義

「七つの大罪」

 高慢(Pride)、

 貪欲(Greed)、

 嫉妬(Envy)、

 怒り(Wrath)、

 色欲(Lust)、

 貧食(暴食)(Gluttony)、

 怠惰(Sloth)

 もともとの八つの人間一般の概念にはこれに 悲嘆(憂鬱)が組み込まれていた。

 

 七つの大罪が初めて登場するのは4世紀ごろ。

 エジプトの修道士であるポントスのエウァグリオスの著作

 誘惑や困難を引き起こす「八つの人間一般の概念(八つの枢要罪)」が七つの大罪のもとになったとなったという説がある。

 

劇中で紹介された文学作品

  ダンテ「神曲」

  ミルトン「失楽園」

  チョーサー「カンタベリー物語」

 

ダンテ「神曲」

 映画で『神曲』を取り扱いテーマにした作品は多い。

 

『神曲』(しんきょく、伊: La Divina Commedia)

 13世紀から14世紀にかけてのイタリアの詩人・政治家、ダンテ・アリギエーリの代表作。

 地獄篇、煉獄篇、天国篇の3部から成る。

 全14,233行の韻文による長編叙事詩

 聖なる数「3」を基調とした極めて均整のとれた構成から、しばしばゴシック様式の大聖堂にたとえられる。

 イタリア文学最大の古典とされ、世界文学史上でも極めて重きをなしている。

 当時の作品としては珍しく、ラテン語ではなくトスカーナ方言で書かれていることが特徴である。

 

『神曲』は、三部構成

 地獄篇 (Inferno)

 煉獄篇 (Purgatorio)

 天国篇 (Paradiso)

 

 あらすじ: 

 ユリウス暦1300年の聖金曜日(復活祭前の金曜日)、暗い森の中に迷い込んだダンテは、そこで古代ローマの詩人ウェルギリウスと出会い、彼に導かれて地獄、煉獄、天国と彼岸の国を遍歴して回る。

 ウェルギリウスは、地獄の九圏を通ってダンテを案内し、地球の中心部、魔王ルチーフェロの幽閉されている領域まで至る。

 そして、地球の対蹠点に抜けて煉獄山にたどり着く。

 ダンテは、煉獄山を登るにつれて罪が清められていき、煉獄の山頂でウェルギリウスと別れることになる。

 そして、ダンテは、そこで再会した永遠の淑女ベアトリーチェの導きで天界へと昇天し、各遊星の天を巡って至高天(エンピレオ)へと昇りつめ、見神の域に達する。

 

 

 ミルトン「失楽園」とは

 『失楽園』(しつらくえん、英語:Paradise Lost)とは、旧約聖書『創世記』第3章の挿話である。蛇に唆されたアダムとイヴが、神の禁を破って「善悪の知識の木」の実である「禁断の果実」を食べ、最終的にエデンの園を追放されるというもの。楽園喪失、楽園追放ともいう。

 

あらすじ:

 叙事詩は、神の軍勢に敗れたサタンと悪魔たちが地獄にいるところから始まる。

 悪魔たちはパンデモニウム(Pandaemonium、伏魔殿)を作り、神への反乱をどう続けるかを話し合う。

 ベルゼブブは、神の新しい創造物である地球を破壊することを提案し、サタンもそれに同意する。

 サタンは一人で奈落の底を越えて地球を探すことを提案する。地獄を出たサタンは、自分の子供である罪(Sin)と死(Death)に出会い、彼らはサタンの後を追って、地獄から地球への橋を架ける。

 神はサタンが人間を堕落させることを予言し、御子(the Son)は人類のために自らを犠牲にすることを申し出る。

 サタンは混沌(Chaos)と夜(Night)を通り越して地球にたどり着く。サタンはケルビムになりすまし、天使の見張りをかわしていく。

 楽園(Paradise)に入ったサタンはその美しさに嫉妬する。

 サタンは最初の人間であるアダムとイヴを見て、彼らが知識の木の実(fruit of the Tree of Knowledge)を食べることを禁じた神の戒律について話し合っているのを耳にする。

 その夜、アダムとイヴは罪のない性行為をして眠りにつき、サタンはヒキガエルに姿を変えてイヴにささやきかける。大天使ガブリエルはサタンを見つけ出し、対峙する。サタンは戦おうと考えるが、その時、神が空に金の天秤を吊るし、サタンは逃走する。イヴは不服従の夢から目覚める。

 二人の自由意志を確保するために、神は天使ラファエルを送り、アダムとイヴにサタンについて警告する。

 ラファエルはアダムとイヴと一緒に食事をした後、サタンの天国での戦いについて説明する。かつてサタンは神の子に嫉妬し、天使の三分の一を説得して反乱を起こした。ただ一人、アブディエルという天使がその大義から離れ、神のもとに戻った。

 天使の軍勢は戦い、ミカエルが天の軍勢を率いた。

 反乱軍は痛みを感じたが、殺されることはなかった。

 反乱軍は善良な天使たちに大砲を撃ったが、その後、御子が彼らを天国から地獄に追いやった。

 ラファエルは、アダムを堕落させようとするサタンについて警告する。

 ラファエルは天地創造の物語を語る。御子は光を創造し、次に星と惑星を創造し、そして動物と人間を創造した。

 アダムはラファエルに宇宙のことを詳しく尋ねるが、ラファエルは知識を求めすぎることを警告する。

 アダムはラファエルに最初の記憶を話し、イヴに肉体的に惹かれたことを認め、ラファエルは天国に戻る。

 

 七日後、サタンがエデンに戻り、蛇に憑依する。

 一方イヴは、アダムと別々に働くことを提案する。

 アダムはそれに反論するが受け入れる。

 サタンはイヴを見つけ、おだてる。

 イヴがどうやって言葉を覚えたのかと尋ねると、サタンは知識の木の実を食べたと言う。

 サタンは、イヴがその実を食べて勇気を証明し女神になることを提案し、イヴはためらいながらも実を口にする。

 イヴはアダムにも実を差し出し、アダムはイヴが堕落したことに気づくが、二人が離れ離れにならないように実を食べるのだった。

 アダムとイヴは初めて欲情し、セックスをする。 神はこの二人を罰するために御子を遣わす。

 

 御子は、蛇には地面を這うさだめを、イヴには出産時の痛みと夫への服従を、アダムには食べ物を得るための労働を、それぞれ罰として課す。

 一方、サタンは地獄に戻り、罪と死を送り地球を堕落させる。

 その後、サタンと悪魔たちは蛇に変えられるという罰を受ける。

 堕落(the Fall)の後、天使たちが地球を住みにくい環境に変え、動物たちは肉食となり人間に懐かなくなる。

 アダムとイヴはお互いを非難して争い、イヴは責任を受け入れて自殺を考えるようになる。

 アダムは神に従うことでサタンに復讐することを提案し、二人は泣いて悔い改めるのだった。

 神はミカエルを送り、二人を楽園から追放する。

 その前に、ミカエルはアダムに未来のビジョンを見せる。

 そこには彼の子供たちの犯罪や多くの罪深い世代、そしてノアの家族以外のすべての人間を神が殺す大洪水も含まれていた。

 バベルの塔、イスラエルの創造、エジプトからの脱出、そして最後には受肉した御子としてのイエスを見る。

 ミカエルは、堕落を償い、人類を救うための御子の犠牲を説明する。

 アダムは慰められ、イヴとともに涙ながらにエデンを後にしたのだった。

 

 

チョーサー「The Canterbury Tales カンタベリー物語」とは

 14世紀にイングランドの詩人ジェフリー・チョーサーによって書かれた物語集である。

 聖トマス・ベケット廟[注釈 1]があるカンタベリー大聖堂への巡礼の途中、たまたま宿で同宿した様々の身分・職業の人間が、旅の退屈しのぎに自分の知っている物語を順に語っていく「枠物語」の形式を取っている。

 これはボッカッチョの『デカメロン』と同じ構造で、チョーサーは以前イタリアを訪問した時に『デカメロン』を読んだと言われている。

 各人が語る物語は、オリジナルのものもあれば、そうでないものもあり、ジャンルは騎士道物語(ロマンス)、ブルターニュのレー、説教、寓話、ファブリオーと様々である。中英語で書かれている。

 

     (ウィキペディア、他引用)

 

 

 

1095年

監督 デヴィッド・フィンチャー

脚本 アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー

ブラッド・ピット

モーガン・フリーマン

グウィネス・パルトロー

R・リー・アーメイ

ケヴィン・スペイシー

主題歌 「ハーツ・フィルシー・レッスン」 デヴィッド・ボウイ

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