日常

原始感覚美術祭2012

2012-09-04 20:26:51 | 芸術
長野県の木崎湖畔で行われている「原始感覚美術祭2012」に行ってきました。

HPによると
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原始感覚美術祭2012について

パプア・ニューギニアの秘境探検を行った食生態学者の西丸震哉のキーワードである原始感覚をテーマにあらゆるジャンルを超えた表現者を集い、滞在制作を行うことで、木崎湖畔の美しい景観 を生かしながら、古民家や寺社、湖面などにインスタレーションを行う美術祭です。滞在制作を行う中で、湖畔に暮らす人々と出会い、湖畔で生活していく中から生まれてくる地形との深い親和感 覚が、巡礼地のような空間の創造を行います。
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(全然関係ないですが、パプア・ニューギニアと言えば諸星大二郎先生の「マッドメン」というとんでもなくすごい漫画があります。サブリミナル効果のように、自分のブログには諸星先生の紹介が入ります。)


9/1土曜に海ノ口上諏訪神社で「田口ランディ×今福龍太対談&雪雄子舞踏「水の巡礼」」というのがあり、土日を使ってそれを見に行ったのでした。

文化人類学者、今福龍太さんの話しぶりがとても心地よかった。
小鳥がさえずるような優しい語り口でした。とても印象深い。2次会でも少しお話させて頂きました。

みすず書房から出ている新刊をまだ読んでないので、読まないと!と思いました。

今福龍太「レヴィ=ストロース 夜と音楽」みすず書房 (2011/7/9)

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今福龍太

文化人類学者・批評家。1955年東京生まれ。
東京外国語大学教授として修辞学・群島論・歴史形象論等を教える。
サンパウロ・カトリック大学コミュニケーション・記号学科大学院客員教授を兼任。
同時に、キャンパスの外に新たな遊動的な学びの場の創造を求め、2002年より奄美群島において 巡礼型の野外学舎〈奄美自由大学〉を主宰する。
著書に『クレオール主義』(ちくま学芸文庫)、『移り住む魂たち』(中央公論社)、 『ここではない場所 イマージュの回廊へ』(岩波書店)、『ミニマ・グラシア歴史と希求』(岩波書店)、『群島-世界論』
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「原始感覚」をテーマにしていたので、自分にとっての原始感覚とはなんだろうか、といろいろ考えさせられました。


自分個人の人生の視点で考えると、赤ん坊のころの感覚が「原始感覚」。
何の偏見も希望も絶望もない状態。何もない、ないもない、の状態。
この世界をありのまま観察し、日々驚き続けるような笑い続けるような感覚。
ただただ、愛の塊のような存在。


自分をヒトという種の視点で考えると、自然そのものの感覚が「原始感覚」。
ヒトは元々、自然の産物に過ぎなかった。その名残は身体にある。
身体の自然を無視するために人間の脳は君臨する。
自然の中に転がる石、萌えいづつ草木、照りつける太陽、吹きすさぶ風。自然。ヒトも元来は自然物。
ただ、「動くもの」として動物はある。
動かない植物に対抗するように、「動く」異質な存在として「動物」は出現する。
動物の中で、脳を異常に肥大させる方向に変化した動物がヒトという存在。
その脳という箱は、自分の内的世界を外的世界に投影する。考えることができる代わりに悩みは深い。
自分の内部の問題を外部の問題と考える癖がある。
怒り、憎み、嫌う。それは全て内部の問題でありながら、外部にあるヒトの問題として投影する。
感情と呼ばれる流動物は、全て自分の内部にある何かしらの反応の残滓なのだけれど、その内部は広く深く暗い。「見えない」世界を、「見える」外の世界と錯覚する。内を外に投影する。
投影すると、自分の内部の「見えない」問題を解決されたかのような錯覚を生む。
けれど、それは外ではなく内側。内側の自分そのものであって、永遠に自分から自分が逃げ切ることはできない。


人間は、脳内に広がる内的活動を目に見える形にしようとして、脳の外に都市や文明や文化や法律を作る。
その果てしない繰り返しの結果、今あるような人工世界が作り出される。
そのプロセスの中では、得たものは「目に見える」けれど、失ったものは「目に見えない」。
そうして失ったものとしての「原始感覚」は目に見えない。だから夢想する。
そうして考えていくと、ヒトという種がこの地球や宇宙の中でどういう存在であるべきなのか、うっすらと見えてくるというものです。



そういう「原始」を思い起こすことは、「わたし」個人としても、ヒトという種の一員としても、初心を思い出し内省するいい機会なのではないかと思いました。


ランディさんは、原始感覚を、人間が持つ生命エネルギーとおっしゃってました。
その生命エネルギーを直感した文様が「渦巻き」。
宇宙生成も含め、自然には無限に現れ出てくるパターンです。
自然の稲妻の雷鳴は稲を増やし、地球物へ生命力を産み出す。
そうして、宇宙と地球とはエネルギーとして連動しながら、地球の生命を豊かに育んできたのでしょう。


天と地を感じるように、天地自然の理(ことわり)を感じること。
そういう天地自然の理(ことわり)を、ヒトは「直感」として受信していたように思います。
感覚はレシーバー。受容し受け止める。
その「直感」の正当性を確かめるために、僕らは「理性」も持っています。

そんな理性と直感のバランスを取りながら、日々過ごしたいものです。



「原始感覚美術祭2012」は、長野県の木崎湖周辺の自然の中を巡りながら、自分が身体を使って動きまわりながら作品を見て歩く。

相変わらず山も空も雲もキレイだった。自然は、きっと古代から永遠に美しい存在として展開し続けています。人間とは無関係に。
とてもいい時を過ごしました。


2012原始感覚美術祭

2 コメント

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マブライマブイ (amyjumy)
2012-09-05 11:20:50
素敵な週末を過ごされましたね。
命の洗濯をなさったことでしょう!

思わず言葉に反応して、
マブイグミ一年前の夏、したといえるかなぁ?いえるよね!
と思いながら・・・

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Unknown (いなば)
2012-09-09 06:57:03
>>amyjumy様
場所はなかなか遠かったですが、楽しい週末でした。いい気分転換になったというか・・。
ああして自分で歩いて回りながら展示を見て回る、というのもいいものですね。
四国の直島も、ああいう風に美術品が点在されたアートの島だって聞いたことがありますし、いつか行ってみたいものです。

原始感覚美術祭もまた来年はPowerUpしてるといいなぁ、
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