今日は3.11 11年目の日だ。
ここから東北は遠く、街と原発の映像を見た時の喪失感、無力感、絶望感は消えない。
失われたものすべてに手を合わせ祈るだけだ。
破壊された街を、また見ることになった今日の異国の映像。
例えば、親戚のおじさんは強権的な人で、理屈の通らぬ人であったとしよう。昔は反社会的な仕事もしていたらしい。おじさんの子である従姉妹はいとこの家を自分の資金を出して改修し、家財も買いそろえた。おじの理不尽な振る舞いに、いとこは独立したいと思って当然である。何年も自費を投じてきたものも自分のものとしたい。が、おじは育ててやった恩は返さないのか、親子ではないのか、水臭い。この家は俺のものだ、いやなら全部残して出て行け、といいとこに暴力をふるう。おじの妻であり、いとこの母であるおばは、生計をおじに委ねているためにいとこの味方になってはくれない。いとこの心身の傷は深く、今も増えている。一度あの家を出れば、いとこは築いてきたものを手放し、あの家に二度と帰ることはできない。
警察やら、役所やらが仲介に入ってくれると思ったが、身内のことはできるだけ身内で解決してほしそうだ。取り返しのつかぬ状況にならねば介入できないということを痛感する。
わたしには何ができるのか。おじと親せきづきあいを辞めてみても、おじは家さえ手に入れば、誰とも付き合わなくとも生きていけるという。いとこが周りを味方につけ、おじに敵対し、おじを窮地に追いやっているという。
永久凍土のようだ。凍り続ける大地。
本来は自分のものであるものと、自分のものであるという主張と尊厳を放棄し、心身の安全を守るべきなのか。逃げながら尊厳を守ることなんかできるのだろうか。おじが年老いて面倒を見るものが必要となった時、やはりその面倒をいとこが見なければいけないのか。愛され憎まれ、身の内にしたいと欲され、愛することができなければ見えぬところに行ってしまえと言われる。
よその家の話である。しかし、いつ自分の家の話になるやもしれぬ話である。捨てて逃げろというのも、そこに留まり自分の権利を守れというのも正しい。いつだって正しいことは一つではないのだ。
あの家を思う。懐かしく思い出す。それらを愛している。
ラフマニノフ、エカテリーナ宮殿、ニジンスキー、プルシェンコ、ジャムの入った紅茶、ピロシキ、ボルシチ、ポーリュシカポーレ、黒い瞳。
ここから東北は遠く、街と原発の映像を見た時の喪失感、無力感、絶望感は消えない。
失われたものすべてに手を合わせ祈るだけだ。
破壊された街を、また見ることになった今日の異国の映像。
例えば、親戚のおじさんは強権的な人で、理屈の通らぬ人であったとしよう。昔は反社会的な仕事もしていたらしい。おじさんの子である従姉妹はいとこの家を自分の資金を出して改修し、家財も買いそろえた。おじの理不尽な振る舞いに、いとこは独立したいと思って当然である。何年も自費を投じてきたものも自分のものとしたい。が、おじは育ててやった恩は返さないのか、親子ではないのか、水臭い。この家は俺のものだ、いやなら全部残して出て行け、といいとこに暴力をふるう。おじの妻であり、いとこの母であるおばは、生計をおじに委ねているためにいとこの味方になってはくれない。いとこの心身の傷は深く、今も増えている。一度あの家を出れば、いとこは築いてきたものを手放し、あの家に二度と帰ることはできない。
警察やら、役所やらが仲介に入ってくれると思ったが、身内のことはできるだけ身内で解決してほしそうだ。取り返しのつかぬ状況にならねば介入できないということを痛感する。
わたしには何ができるのか。おじと親せきづきあいを辞めてみても、おじは家さえ手に入れば、誰とも付き合わなくとも生きていけるという。いとこが周りを味方につけ、おじに敵対し、おじを窮地に追いやっているという。
永久凍土のようだ。凍り続ける大地。
本来は自分のものであるものと、自分のものであるという主張と尊厳を放棄し、心身の安全を守るべきなのか。逃げながら尊厳を守ることなんかできるのだろうか。おじが年老いて面倒を見るものが必要となった時、やはりその面倒をいとこが見なければいけないのか。愛され憎まれ、身の内にしたいと欲され、愛することができなければ見えぬところに行ってしまえと言われる。
よその家の話である。しかし、いつ自分の家の話になるやもしれぬ話である。捨てて逃げろというのも、そこに留まり自分の権利を守れというのも正しい。いつだって正しいことは一つではないのだ。
あの家を思う。懐かしく思い出す。それらを愛している。
ラフマニノフ、エカテリーナ宮殿、ニジンスキー、プルシェンコ、ジャムの入った紅茶、ピロシキ、ボルシチ、ポーリュシカポーレ、黒い瞳。