行きかふ年もまた旅人なり

日本の歴史や文学(主に近代)について、感想等を紹介しますが、毎日はできません。
ふぅ、徒然なるままに日暮したい・・・。

うるう年

2008-02-29 22:35:43 | Weblog
 4年に1回、1年が366日ある年が2008年である。地球の自転が厳密には24時間ではないため、本来なら少しずつ調整が必要なためである。1日多いからと言って得した気にも、損した気にもならない。勤務日が1日増えた、という面では迷惑な年だ。
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郵便切手

2008-02-28 23:29:48 | Weblog
 PCや携帯でメールのやり取りができ、郵便による手紙が希薄になりつつあるが、切手も同様、消費は減少している。切手収集者も減っているように思われる。私も、時折購入していたが、ここ数年は年賀はがきの当選シートその他、程度しか入手していない。以前は相当熱を入れたものだが・・・。最近は、シートで販売している事が多く、がさばる上、もはや利用に適さず、趣味のためと言える構成になっている。
 ストックブックで4冊あり、評価額が幾らほどか気になる。しかし、それでも手放そうという気はない。
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最近の読書

2008-02-27 00:08:06 | Weblog
 「落花は枝に還らずとも」もいよいよ終盤に差し掛かった。奥羽列藩同盟と新政府軍との戦い、長岡藩が官軍を敗走させている。
 しかし、この戦いは、回避できたものだった。3流、4流の人物を司令官に据えたためである。大局を見れない者ばかりで、無駄な戦いをする事で官軍は幕府軍を討伐した、という事実が欲しかったのだろうか。
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春一番

2008-02-26 00:02:19 | Weblog
 これを聞くと毎年、アントニオ猪木の真似をする春一番を思い出す。彼は今、どうしているんだろうか?そして最近、テレビで見かけなくなった長州小力は元気なのだろうか。
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免許更新

2008-02-24 09:39:51 | Weblog
 運転免許証の更新が近付いている。平日に動かなければ手続き等とり難いので面倒だ。違反しているようで、後日講習を受けなければならず、こちらはKの都合で決められるので、変更の余地は無くこちらはもっと面倒。
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花粉症

2008-02-23 20:47:34 | Weblog
 10年ほど前からだろうか、3月下旬頃になると決まって鼻、くしゃみが止まらず、目の痒さに苦しんでいる。以来、毎年3月から4月下旬にかけて花粉症に苦しめられている
 原因は、どうも杉ではないらしい。檜なのか、と思っているが、病院で診断は受けていない。裏を返せば、花粉症かどうかは断定できない、という事である。思い込みに過ぎない、そう思いながら10年余りが経過したこの時期に対策を始めないと厳しいらしいが、これといった手立ては取っていない。今年は、花粉の飛来が多い予想で・・・
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藤堂家

2008-02-21 00:59:04 | Weblog
 藤堂高虎。戦国時代の激変の中、織田・豊臣・徳川と渡り歩き、伊勢32万石の大名となる。外様大名でありながら、家康の待遇は譜代同様であった。城の縄張り技術が優れ、個人としての能力も高かった。そして、徹底した忠誠を示すため、大坂の陣で長宗我部盛親隊の猛攻を凌ぎ、優秀な家臣を何人も失った。大坂の役最大の犠牲を払った。
 こうした働きもあり、高虎は家康、秀忠の信頼を得、大大名となった。

 幕末鳥羽伏見の戦いにおいて錦の御旗が出現する前日、それまで幕府軍だった藤堂家に新政府の使者が訪れていた。

 新政府軍が旧幕府軍と開戦し、側面を陣取った藤堂家は全く動く気配がなかった。戦場に大砲を向けたまま。幕府軍は、この大砲が新政府軍に向かって発射されれば勝利を確信していた。―しかし、大砲は友軍であるはずの幕府軍に側面および背後から発射された。幕府軍は壊滅した。
この裏切りようはどうだろうか。賊軍として名を残すか、官軍として名を残すか。いずれにせよ、関ヶ原の小早川秀秋のような動きである。錦旗に逆らうのと、千成瓢箪に逆らうのでは比較にならないのかもしれないが・・・。
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怪獣使いと少年

2008-02-20 00:40:06 | Weblog
 『帰ってきたウルトラマン』第33話がタイトルの題名で、脚本・上原正三、監督・東條昭平による作品である。
 佐久間良少年は、一日中河原で穴を掘り続けている。彼の周囲では様々な怪現象が発生。人々は、彼を宇宙人だと恐れた。地球の環境調査に宇宙から飛来したメイツ星人は、怪獣ムルチに襲われた佐久間少年を救い、ムルチを念動力によって地下に封じ込めた。星人は河原に宇宙船を隠し、金山という名を名乗る老人に姿を変え佐久間少年と生活を始めた。
 工場の煙や排気ガスで汚染された地球の大気に身体を蝕まれ、メイツ星人は死期が迫っていた。河原の廃屋に2人は住んでいたため、少年は度々いじめられ、それを念動力で救っていたのが金山老人であった。すでに立ち上がることさえできなくなっていたメイツ星人のために、佐久間少年は河原を掘り続け、宇宙船を探していた。
 佐久間少年に対する偏見は更に強まり、恐怖に駆られた町の人々は暴徒と化した。佐久間少年は、MATの調査の結果、北海道出身で蒸発した父親を探しに来ていたのだったが、暴徒と化した人々に郷の叫びは通じず、金山老人が少年をかばうが、遂に警官が発砲してしまう。
 金山は緑色の血液を流して絶命した。金山(メイツ星人)の死によって、ムルチが再び地上に現れ暴れ始める。死んだ金山の魂が乗り移ったかのごとく、工場地帯を破壊し続けるムルチ。その破壊の前に身勝手に助けを求める人々に憤りを感じる郷だったが、伊吹隊長に諭され、ムルチに立ち向かっていく。
 降りしきる雨の中、ウルトラマンのスペシウム光線がムルチを倒し、危機は去った。

 佐久間少年は、金山の死を信じず、相変わらず河原を掘り続ける。いつの日か宇宙船を掘り出し、汚れた地球を捨てて老人のいるメイツ星へ向かうために・・・。

 試写会を行った当時、殆どの者が絶句。内容の過激さに放送の差し替えを求められたという。しかし、円谷プロは放送を敢行した。それと引き換えに監督は、帰ってきたウルトラマンから降板した。
 放送から37年が過ぎた。しかし、現在でもこの作品はファンの間では圧倒的に支持されているという。

 偏見や無知に左右される事なく、佐久間少年に普通に接したパン屋のお姉さんの(少年にパンを売る事を母親に注意され)「だってウチ、パン屋だもん」の台詞だけが、この暗い作品の救いだった。
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読書記28『王城の護衛者』

2008-02-19 22:58:31 | Weblog
  『王城の護衛者』(司馬遼太郎 著)
 この1冊には5編の短編が綴られている。上記「王城の護衛者」(松平容保)、「加茂の水」(玉松操)、「鬼謀の人」(村田蔵六、後の大村益次郎)、「英雄児」(河井継之助)、「人斬り以蔵」(岡田以蔵)である。
 最近、「落花は枝に還らずとも」を読んでおり、会津藩士・秋月悌次郎が主人公として描かれている。この作品を読むうちに松平容保を扱った「王城の護衛者」を思い出した。

 松平容保の会津藩祖は保科正之で3代将軍家光の異母弟で、将軍を支え会津の名君として幕末まで会津藩士の誇りであった。容保は20代半ばで京都守護職に引き出され、権謀術数渦巻く都に上洛した。長州、薩摩、土佐らの尊皇攘夷派が暗躍し、朝廷も公武合体派と攘夷派に分かれ、幕府に人事にまで口を挟むようになった。当時の孝明天皇は異人嫌いの公武合体の思想であった。容保は、毎日のように天誅騒ぎで治安悪化の著しい京都の治安維持のため、配下に新撰組を抱え不逞の輩を取り締まった。至誠が全てで策略を用いない人物であった。また、容保の会津藩の家訓は徳川宗家と命運を共にするよう定めている。14代家茂が長州征伐の最中、大坂で病死すると一橋慶喜が15代将軍となった。慶喜は聡明過ぎる頭脳を持っており、足利将軍木像梟首事件を通して、水戸学が足利尊氏を南朝に叛いた逆賊として出発している事を十分過ぎるほど理解していた。大政奉還の後、新政府には慶喜の名前も入るはずであった。長州藩はこの段階まで多くの犠牲者を出してきた。長州にとって、明治新政府は人材がいなくなったという妥協の上、ようやく誕生した政府であった。しかし、薩摩藩はあくまでも武力倒幕を図り、岩倉や大久保利通らは何としても幕府と戦闘を開始したかった。薩摩の挑発によって鳥羽伏見の戦いが開戦してしまった。この時点では薩摩藩の私戦として見ている者が多かった。
 ところが、「錦の御旗」の登場により、薩摩藩は官軍となった。この旗を見て最も驚愕したのは慶喜で、味方を騙してまで海路大坂から江戸へそして、水戸で謹慎した。容保を人質として江戸に連れ帰った。
 残された幕府軍は指令官のないまま戦いに晒され、東北戦線まで敗退し続けた。会津藩は長州藩から特に目の敵にされ、白虎隊の悲劇や敗戦後、不毛の地・青森斗南藩に追いやられた。
 政治に翻弄され、新政府から朝敵とされ、将軍が政権を奉還し幕府は滅びたにもかかわらず、最後まで徳川宗家のために戦った会津の人々に同情を感じ得ない。策に走らない純朴な人柄を会津に思う。
 慶喜の評価が一定しないのは幕末のこうした動きのためであろう。彼が将軍だったからこそ大政奉還という形で幕府の幕を引いた、と言えるが・・・。
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読書記27『大改革 長州藩起つ』

2008-02-18 20:54:55 | Weblog
   『大改革 長州藩起つ』(童門冬二 著)
 長州藩の祖とも言うべき毛利元就の更にその先祖をたどると源頼朝の幕僚、大江広元である。彼は京都出身で朝廷に仕えていたが、頼朝のたっての願いで鎌倉に降って来た。初代政所長官になるなど、幕府の法整備に力を注いだ。その子が相州に荘園を所有し、やがて安芸に所を構える。朝廷出身と言う事もあり、元来勤皇の志が強く、戦国に時代が下り、元就や輝元ら毛利当主は困窮する朝廷に様々な援助を行ってきた。関ヶ原で所領の大部分が削られ、日本海に面した萩の地に藩庁を造らされ、爾来徳川幕府に対して、この屈辱を忘れなかった。歴代の毛利当主は、新年のあいさつで家老から「今年は徳川を討ちますか?」と聞かれ、「いや、今年は止めておこう」と答える習慣があったという。
 3分の1に削られた領地の中、新田開発、特産品開発など、血の滲む様な努力をし、実質100万石と評されるに至った。幕府という中央政府には頼らない完全な地方自治を保った。ヒトとモノの総資力をもって長州藩は経済革命に成功した。他の藩が士農工商の身分と米に執着し破綻している中、こうした視点から藩を変えていった。
 この作品は幕末に活躍した志士らを政治活動以上に経済人として評価し、現在に当てはめて再考してみては?との作者の思いを感じる。「十割自治の実現者」であり、「必要な経費は自らの手によって作る」事を実現してきた。毛利元就は広島の豪族であったが、やがて中国の覇者と呼ばれ、現在の広島、山口、北九州、島根、鳥取、岡山、兵庫諸県にわたる広域管理体制を作った。しかも元就は、あくまでも諸豪族らの盟主であり続ける姿勢を崩さなかった。共同統治の中心者でもあった。諸豪族も元就を推戴した。
 現在であれば中国州と呼ぶべき道州制をすでに完成させていた。
 ヒトとモノをどのように活用するか、それがこの作品の主題であり、歴史から学ぶべき事を我々は活用しなければならない。
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味覚について

2008-02-17 23:48:34 | Weblog
 某社のスナック菓子に「ゆずこしょう味」とあり、どんなものか?と思い食した。・・・失敗だろう
 と同時に何年か前にレモンティーソーダを飲んだ事を思い出した。・・・不味かった。味覚は人それぞれ好みが異なるから違うのかも知れないが、商品化まで何度も検討を加えるだろうに、夜中の3時頃の会議結果のように、翌朝考えると、どうしてこんな結果になったのか冷静に考え直して欲しいものだった
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大江戸捜査網

2008-02-16 15:47:07 | Weblog
 学生時代、火曜日の深夜だったと思うが、やはりテレ東で、「大江戸捜査網」が放送されていた。瑳川哲郎が主演(井坂重蔵)で、映像が時代を感じさせた。
 『隠密同心心得の条・・・我が命、我が物と思わず。武門の義、あくまで影にて。己の技量を知り 御下命いかにても果たすべし。・・・なお、死して屍 拾う者無し。死して屍 拾う者無し。』(2回繰り返すのがポイント。)この台詞、未だに諳んじられる程、強烈な言い回しだった。
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時代劇

2008-02-15 23:40:11 | Weblog
 今日の午前中、仕事で、とある家に行った。TVが点いており、時代劇の再放送が流れていた。
 「三匹が斬る」(続、なのか続続なのか、またまた、なのか見当が付かない)の後、テレ東で「付き馬屋おえん事件帖」が放送されており、さすがテレ東、ひと味もふた味も違うな、と感心した。
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堀のぶゆき

2008-02-14 23:50:27 | Weblog
 『江戸むらさき特急』・・・時代劇通にはたまらない1巻で、4コマに込められた時代劇への愛を感じずにはいられなかった。
 また、『旅マン』と題された1巻もあり、こちらは日帰りでどこまで行けるか、に拘ったドキュメンタリーである。毎週1回旅に出る、あくまでも鉄道で移動する等がルールで、高速移動はルール違反となっていた。これでは厳しいだろうなあ、と思ったが、松島や富山、意外に日帰りってできるものだなあ、と感心した。しかし、神戸に行って寝過ごす、というミスをし、この日帰りの旅は終わりを告げた。
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吉田戦車

2008-02-13 21:38:02 | Weblog
 『伝染るんです』の強烈な印象が忘れられず、もはや暗記するほど読み込んだ全5巻。『戦え!軍人くん』、『酢屋の銀次』、『学活!!つやつや担任』、『殴るぞ』、『ぷりぷり県』などなど、シュールな話が多かった。どうも、ツボにはまる人、全くそうでない人に反応が分かれる気がする。友人らと、ひたすら戦車ネタだけで半日以上話し合った事もある。学生時代、電車やバスの中で読むのは禁止事項だった。周囲の人に戦車マンガを読んでいると怪しまれるだろうし、突然はまると吹いてしまうので、禁止だった。今でも私の中では禁止である。

 『フロマンガ』という作品、一読をお薦めしたい。

次回は堀のぶゆきを出します。
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