行きかふ年もまた旅人なり

日本の歴史や文学(主に近代)について、感想等を紹介しますが、毎日はできません。
ふぅ、徒然なるままに日暮したい・・・。

海音寺短編集「人斬り彦斎」

2018-05-31 23:26:15 | Weblog
 引き続き、海音寺の短編集を大事に、大事に読んでいる。
作者は鹿児島出身で、薩摩隼人の気質、風土などの背景もあり男気溢れる作品が多い。否か応の二択しかないような登場人物の描写も読んでいて清々しいくらいだ。
薩摩を題材にした作品が多い中、「河上彦斎」は短い文章の中に、彼の無意識のうちに抱いている恐怖心の描写が実に面白い。

「人斬り彦斎」と呼ばれた彼だが、実際のところ、人斬りと呼ばれるほど人を斬ったのかよく分からない。或いは、殆ど切っていないのかも知れない。
彼の名を世に知らしめたのは、佐久間象山の暗殺であった。彦斎が二の太刀を躊躇するほど、象山の気概に飲まれていた。

 象山を暗殺した以降、彼は人斬りを辞めた。肥後に戻った後、政情のため獄に繋がれていたが、明治維新が成ると、新政府に顔つなぎできる人物の一人として彦斎が選ばれた。
上洛の後、中山道を通り松代へ。松代は佐久間象山の故郷である。高田源兵衛と改名していた彼は、松代藩士から象山暗殺の無念と、象山の子息が敵討ちを目指して修行していることを聞き、是非力になりたい、と他人事のように応じた。全く動揺の色は無かったという。松代を辞して越後に入り、その途上、同行の佐々に象山暗殺の様子を語り始めた。象山暗殺の件は、彦斎が手を下したことに間違いないが、彼が一向に語らなかったため誰も聞くこともなかった。しかし、松代での態度に不快な念を抱いた佐々が、ついに象山暗殺について真相を聞いた。その口調、態度など、他人事のように話す彦斎だったが、人を斬ることのコツを聞かれ、刀を抜いて、身振りを入れながら説明した。象山を暗殺した時のことを思い出したのか、半分笑ったような不気味な表情で、刀で空を切った。そこには斬られたトンボが落ちていた…

 作品はここで終わる。彦斎は象山を斬ったが、象山に心を掴まれたままとなり人斬りを辞めた。