行きかふ年もまた旅人なり

日本の歴史や文学(主に近代)について、感想等を紹介しますが、毎日はできません。
ふぅ、徒然なるままに日暮したい・・・。

読書記27『大改革 長州藩起つ』

2008-02-18 20:54:55 | Weblog
   『大改革 長州藩起つ』(童門冬二 著)
 長州藩の祖とも言うべき毛利元就の更にその先祖をたどると源頼朝の幕僚、大江広元である。彼は京都出身で朝廷に仕えていたが、頼朝のたっての願いで鎌倉に降って来た。初代政所長官になるなど、幕府の法整備に力を注いだ。その子が相州に荘園を所有し、やがて安芸に所を構える。朝廷出身と言う事もあり、元来勤皇の志が強く、戦国に時代が下り、元就や輝元ら毛利当主は困窮する朝廷に様々な援助を行ってきた。関ヶ原で所領の大部分が削られ、日本海に面した萩の地に藩庁を造らされ、爾来徳川幕府に対して、この屈辱を忘れなかった。歴代の毛利当主は、新年のあいさつで家老から「今年は徳川を討ちますか?」と聞かれ、「いや、今年は止めておこう」と答える習慣があったという。
 3分の1に削られた領地の中、新田開発、特産品開発など、血の滲む様な努力をし、実質100万石と評されるに至った。幕府という中央政府には頼らない完全な地方自治を保った。ヒトとモノの総資力をもって長州藩は経済革命に成功した。他の藩が士農工商の身分と米に執着し破綻している中、こうした視点から藩を変えていった。
 この作品は幕末に活躍した志士らを政治活動以上に経済人として評価し、現在に当てはめて再考してみては?との作者の思いを感じる。「十割自治の実現者」であり、「必要な経費は自らの手によって作る」事を実現してきた。毛利元就は広島の豪族であったが、やがて中国の覇者と呼ばれ、現在の広島、山口、北九州、島根、鳥取、岡山、兵庫諸県にわたる広域管理体制を作った。しかも元就は、あくまでも諸豪族らの盟主であり続ける姿勢を崩さなかった。共同統治の中心者でもあった。諸豪族も元就を推戴した。
 現在であれば中国州と呼ぶべき道州制をすでに完成させていた。
 ヒトとモノをどのように活用するか、それがこの作品の主題であり、歴史から学ぶべき事を我々は活用しなければならない。