行きかふ年もまた旅人なり

日本の歴史や文学(主に近代)について、感想等を紹介しますが、毎日はできません。
ふぅ、徒然なるままに日暮したい・・・。

『ワルキューレ』鑑賞

2009-03-29 13:11:51 | Weblog
 「ワルキューレ」、久々に考えさせられた映画を観た。1944年に実際に起こった、ヒトラー暗殺未遂事件の顛末を映画化したもの。
 第二次世界大戦勃発後、ヒトラーが民衆の前に出てくることは殆ど無くなり、1943年のスターリングラードでの敗北以降、総司令部に引籠もり状態となったため、民衆による単独犯的な暗殺は不可能となり、可能性として、ヒトラーの側近が為し得る僅かな可能性だけであった。ナチスの狂気への反発と、誇りある祖国ドイツの名誉を護ることに信念を通したドイツ将校の心情が描かれている。
 ワルキューレ作戦は結果として失敗に終わるが、ナチスへ反発するドイツ人が、ヒトラーの側近として終戦間際まで存在し続けた事は、ドイツ国民全てがナチスへ参加していた訳では無かった事がはっきり分かる。ドイツが大戦中に犯した大罪の中で、一筋の清流が浮き出た感があり、政治的意図など、この際、考慮したくない。同じように全体主義に走った日本やイタリアの人々は、これを観た感想をどう抱くのか、少し気になった。

 この作戦失敗後に「砂漠の鬼将軍」と呼ばれたロンメル元帥は自決を強要され自決している。ワルキューレ作戦に関与していた可能性は無かったようだが、ナチス党員ではなく、優れた戦略家で北アフリカ戦線では、連合国軍を連破し、その名を轟かせた。捕虜にしたユダヤ人虐殺命令書を焼き捨てて命令を無視、他の捕虜を丁重に扱うなど、ヒトラー以上に人気も実績もあり、ナチス中枢は危険に感じていたのかもしれない。神出鬼没の用兵は、「幽霊師団」と呼ばれ、兵を率いれば負ける事の無いロンメルをイギリスの首相チャーチルは、「ロンメルは神に護られている」言った。ドイツ軍だけでなく、イギリス軍やフランス軍内でもロンメルを信奉する者までが出、イギリスは前言を撤回し、人間である事を強調している。現在でも、大戦中のドイツ将校に対する評価は低いが、ロンメルに対してだけは今もなお、ドイツ国内はもとより、戦勝国側や戦場になった中近東においても評価は高い。

 ワルキューレは、ワーグナーの楽劇である。ワルキューレ作戦は表向きは、ドイツ国内に労働力として連行した捕虜が反乱を起こした際、予備軍がその鎮圧に当たるという作戦名である。

 『銀河鉄道999』第44、45話に『ワルキューレの空間騎行』というエピソードがある。その次に『エルアラメイン』という題名が続く。作者松本零士氏が『ニーベルングの指環』に、ワーグナーの楽劇を基に物語を展開した4部作、『ラインの黄金』、『ワルキューレ』、『ジークフリート』、『神々の黄昏』というキャプテン・ハーロックを主人公にした作品があったのを思い出した。
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2009-03-27 23:38:18 | Weblog
 相変わらず、気管支炎の弱さから咳に悩まされている。風邪が治りかけている時期でもあるからだろう、一層苦しい。昨夜は午前3時半頃まで熟睡できず、うたた寝状態が続いた。眠いことは眠いが、眠ろうとすれば激しい咳に襲われる不安があり、横になるのが怖い。
 今週、ブログに書き込む余裕も無く、毎日が残業ばかりだった。唯一、風邪でダウンした日と翌日の欠勤だけが時間が取れた。

 友人からの久々のメールに「ヤッターマンを観に行くと思います」という一言があった。「釣りキチ」の方が絶対面白いはずだと思うのだが、期待していない作品(失礼!)の方が新鮮だし、何だかありがたい気がしてならない。さあ、どうする?オレ。そんなことを考えながら週末を迎えようかと思う。
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期待と期待外れ

2009-03-25 22:50:38 | Weblog
 昨夜から発熱が続き、明け方まで39℃のままだった。インフルエンザに罹ったかな?と思い、これならば3~4日休む必要がある、と期待していたが、翌日検査した結果、インフルエンザではなかった。その結果を聞いて、この忙しい時期にそんなに休めないから良かった、という中途半端な甘さからか、ホッとしてしまった。

 たった1日の休みで、机上には城塞が築かれる職場。いつも定時に帰る、部署の異なる同期を見ると舌打ちしたくなる。
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不覚・・・

2009-03-24 19:35:46 | Weblog
 日曜の夜から耳の奥に痛みがあり、「カゼを引くかも」と思っていたが、月曜は無理して残業。明らかにこれが失敗だったわけだが、今日も通常通りに出勤した。
 昼頃、身体の熱さに違和感を感じ、咳も止まらない様子に、疑惑が確信に変わった。体温計で測ると、その数字にメンタル面から崩れるので大抵は避けているが、同僚が勧めてくれたので測ってみた。37.5℃・・・。平熱が低い私にとって、これはかなりマズイ!と思い、勤務終了とともに急いで病院に飛び込んだ。

 待っている時間中、身体のダルさと関節の痛み、寒気を強く自覚し、「やってしまったな・・・」という想いが私を支配していた。

 診察が終わり、身体の節々が痛いようなら、明日もう一度診察しましょう、と薬を処方してもらい帰宅。

 食欲は全く無いが、空腹に薬は避けたいので無理やり食べ、服薬。

 随分寒気が続くな、と思い、試しに体温計で測ると、39℃を超えていた。「よし」という、諦めに近い感覚になった。

 人間、運の悪い時は、何をやっても良い結果は出ない。また、運の無い時は徹底的に崩れる。不運な時は大事な場面でこそ、それが発現する。またか。という気持ちにもなった。
 体調が悪いからといって職場に居れば、必要以上に対応が増える。こうした時は何も考えずに休む事がベストだが、体制が過渡期となっている現状では、休み明けに大変な事になっていそうだ。失笑するしかなくとも、最悪の中でベターを尽くそうというのが仕事の基本的な考え方なので、あまり暗くは見込んでいない。

 いずれにせよ、必要以上に仕事で気を遣っているんだろうな、と自分が憎らしくなる。

 今はまだ、PCを打ち込む元気があるのだが・・・。
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『ツァラトゥストラはかく語りき』

2009-03-21 23:54:32 | Weblog
 ニーチェ(1844年~1900年)は、ドイツの哲学者であり、当時の社会の頽廃を鋭く見抜き、警鐘を鳴らした。力への意志(権力への意志)を体現する超人を理想として、生を徹底的に肯定する思想を展開した。

 力(権力)への意志とは、一切の抵抗を克服して、絶えず、より強大になろうとする本源的な生命力を指す。生命とは本質的には自己主張の力であり、競争に打ち勝とうとする意志である。ニーチェはキリスト教が人間の凡庸化・平均化を生み出す原因となっていることを批判し、これに替わる価値観として、より強大なものこそが善であり真であるという主張を展開した。
 ニーチェが生きた時代、キリスト教を中心とするヨーロッパの伝統的価値観が生命力を失い、人間に頽廃や自己欺瞞をもたらしているとして、「神は死んだ」と表現した。人間は永劫回帰の中、世界は、目的も意味も無い永遠の繰返しである。

 それを乗り越える人間像が超人である。神なき世界、無意味な人生を直視し、己のたくましい生命力を発揮する事により力への意志を体現しようとする自由人を超人という。無意味な世界における苦悩の人生に耐え抜き、運命を積極的に愛し肯定する事が超人の本来の姿である。
 また、ニーチェは永劫回帰の世界の中で、現在の瞬間を意志し、その充実につとめることにより、永遠なるものにふれる事ができる。目標の無い人生を運命として引き受け「人生とはこういうものか、よし、ならばもう一度」と叫ぶ勇気、たくましさ、肯定的意思を重視しこれを「運命愛」と名付けた。

 『ツァラトゥストラはかく語りき』はこれらのニーチェ哲学が詰まっている。従来のキリスト教思想の価値観の無効を確認し、その状況を超人として乗り越えようとしている。

 仏教で説く所の輪廻転生と一見似ているように感じるが、輪廻転生とは過去・現在・未来と永遠に続く時間の中でそれぞれが関連して現在の状況がある、と考える。言うなれば、未来に希望を持つ事ができる考え方である。未来の結果は、現在の因を見よ、という事である。近い未来も遠い未来も含め、今を変えれば未来が変わる。
 これに対し、永劫回帰では、現実の受け入れと、その状況を克服するには超人となる以外ないという、あくまでも現実重視の思想であろう。ともかくも、人間は既に存在してしまっている。その上で現在をどのように乗り越えるかが課題である。

 永劫回帰か輪廻転生か、どちらの主張も正しいようだ…。いずれも、現在の自分自身がその鍵を握っている。永劫回帰は、キリスト教の世界の中で誕生した。復活か転生か、これもまた興味深い定義である。

 たまにはこうした哲学的思案も良いが、この世界に進路を執らなくて良かったと思っている。毎日このような思索をしていたら、精神が崩壊しそうだ…。
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疲れた・・・

2009-03-20 21:44:31 | Weblog
 今週、ホントに忙しかった。バイタリティ落ちまくってますが何か?
こんな疲れることあるんだなあ、と初めて感じた。

 何だか、辛くなって『魔女の宅急便』を観た。落ち込んだりもしたけれど、私は元気です。この言葉に救われた。魔法を失って挫折したキキが、再び魔法を取り戻す展開に年甲斐も無く涙ぐんだ。それほど沈みかけていた。

 今ならひとりでディズニーランドに行ける気がする。

 とりあえず、ギレン・ザビの演説を聴いて士気を高めている。
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オルゴールの音色zzz

2009-03-15 15:14:48 | Weblog
 今日は陽気も良く、気温も穏やかで午後の素敵な時間を過ごせそうだ。

 久々に映画でも観に行こうか、と思っていたが、魅かれる作品は無かった
 あらすじに面白そうかも、と思った作品は、まだ公開前だった・・・

 という事で、午後は読書に専念
 相変わらず、『天と地と』の世界に没頭している。
 昨夜は夢中になり過ぎて、時計を見たら午前3時だった

 今月当初、前職の友人の休日と都合が合いそうだった今日だったが、自分なりに調整に調整を重ねていたら、自分の都合がつかなくなってしまった

 今日の読書のBGMにはジブリ作品のオルゴール版が流れている
 オルゴールの音色は何て柔らかのだろう・・・。

 だんだん意識が遠退いて行く
 こうした無防備な時間を過ごせる事に、ちょっとした幸せを感じる
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毎年の事だけど・・・

2009-03-14 20:28:34 | Weblog
 またまた今年も目眩の季節がやってきた。クラクラして仕方がない。私にとって、春到来を感じるイベントの一つである。残念ながら完治する見込みは無い。せめて、その発現の頻度を抑えるか、目眩のレベルを抑えるくらいしか無いようだ。勤務中、酷い目眩に襲われる事が多いように感じる。
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リメイクを希望

2009-03-13 23:50:36 | Weblog
 海音寺潮五郎著『天と地と』は、1969年NHKの大河ドラマで扱われた。しかし、現存する映像は殆ど残っていない。
 後に1990年に映画化されるが、主人公の上杉謙信を予定していた渡辺謙は急性白血病のため降板、次に予定した松田優作はスケジュールが合わず登用できず、最終的に榎木孝明が演じた。

 作家・海音寺に、武田信玄を題材に執筆する依頼が編集者からあり、資料準備にとりかかり、信玄を調べていくうち、当然上杉謙信を知ることとなる。信玄は信玄で執筆したが、どうしても謙信を書きたかった。その発端の一つに、川中島の戦いは、殆どが武田側から描かれたものが多く、上杉方の資料が無く、上杉視点の川中島を書きたかったとの事。

 当時の大河のキャスティングは以下のとおりである。

長尾景虎→上杉謙信:中村扇雀→中村歌昇→石坂浩二
長尾為景:滝沢修
長尾晴景:山本耕一
長尾房景:志村喬
長尾顕吉:芥川比呂志
長尾俊景:加藤武
長尾景康:小倉一郎→三浦弘久
上杉定実:原保美
上杉憲政:大山克巳
上杉景勝:中村信二郎(現・中村錦之助)
金津新兵衛:高松英郎
鬼小島弥太郎:市村竹之丞(現・中村富十郎)
服部玄鬼:長門裕之
武田信玄:高橋幸治
武田義信:あおい輝彦
武田勝頼:中村まなぶ(現・中村梅雀)→小川吉信
武田信繁:浜畑賢吉
諏訪御寮人:上原恵子→中村玉緒
北条氏康:中村梅之助
北条氏政:森次晃嗣
柿崎弥二郎:藤木悠
柿崎弥三郎:名古屋章
本条慶秀:内藤武敏
鉄上野介:伊東四朗
宇佐美定行:宇野重吉
宇佐美定勝:高橋悦史
平田喜兵衛:毒蝮三太夫
新発田掃部介:和田孝
新発田尾張守:高桐真
斎藤道三:中村翫右衛門
太田資正:松村達雄
北条高広:和崎俊哉
村上義清:北村和夫
高遠頼継:戸浦六宏
佐野昌綱:佐々木孝丸
佐野宗綱:中野誠也
今川義元:根上淳
今川氏真:阿知波信介
中条藤資:樋口功→吉田柳児
中条尾張守:河原崎次郎
鈴木国重:鈴木瑞穂
神保良春:安部徹
杉原壱岐守:仲谷昇
会津伊豆守:久富惟晴
昭田常陸介:加藤嘉
黒田和泉守:中山昭二
納屋助八郎:藤田まこと
飛加当:米倉斉加年

 40年前の作品だが、キャスティングは今日では豪華過ぎる!!
新潟では、謙信公まつりにGacktが招聘され、『風林火山』で演じた上杉謙信の出で立ちで登場した。『風林火山』の謙信は当り役だったが、年配の方は石坂演じる謙信の印象が強い。
 何事にも筋を通す、という家風は愛弟子の直江兼続に引継がれ、今日の研究では後世の創作の意見が多いが、「直江状」に込められた文意にその家風を感じる。徳川家康に売られた喧嘩を正々堂々と正面から買った態度が、徳川政権に服属するかつての戦国武将が、その気概を思い出した一件である。
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気になるってば!

2009-03-12 23:53:22 | Weblog
 今日は仕事の関係で出張。子ども達のお守りがいなかったため、子ども等と同室で話合いを行った。子ども達にはとりあえず、ビデオでも見せておこう、という事で、彼らが選んだ番組を再生した。『千と千尋の神隠し』を選びおって・・・。私はテレビを背中に話合いを続けていたが、背後の音声が異様に気になる。仕事どころではない。カオナシと千が、銭婆の所へ向かう場面で話合い終了。もう少しで結末なのだが・・・、と感じながら続きが気になって仕方がない!!

 昨夜、散々ジブリ曲を聴いていただけに見たくなってしまった。仕事である事はすっかり忘れていた。

 また、待ち時間が長過ぎて、この時間から再読し始めた『天と地と』で長尾為景の死まで読破してしまった。ホントに仕事・・・ですか?
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癒やしの音楽

2009-03-12 00:50:12 | Weblog
 昨年の11月に発売された「スタジオジブリの歌」。

 『風の谷のナウシカ』から『崖の上のポニョ』まで19作品の主題歌を中心に収録されている。このうち14作品を観ていた事を知った。ジブリ作品のうち、私が最初に出会ったのは『天空の城ラピュタ』だった。いや、宮崎監督作品であれば『カリオストロの城』だったかもしれない。

 たかがアニメ、とは思わない。作り手が真剣で、また、作品に込められたメッセージがあればあるほど、作品の質は格段に上がる。その表現方法がアニメだったに過ぎない。

 さて、仕事に擦り減らされた心を癒やしてくれる曲はたくさんあるが、最近、『猫の恩返し』(風になる)が心地よく心に響く。いいなあ、ねこ。気ままな姿に憧れる。
 『紅の豚』(時には昔の話を)は聴いていて泣いてしまった事があった。『火垂るの墓』は中学生の頃観たが、アニメであんなに泣いたのはこれが最初で最期だった。この作品だけは二度と観れない。もし、精神的に落ちている時に観たら、自分自身が何て小さな存在なのか、この程度で落ち込むな、と思うか、一緒になって落ちる所まで落ちるか、危険な賭けになりそうだ。

 各作品、一つのメッセージがあり、その作品をイメージした一貫した一言となっている。糸井重里氏が優れたコピーライターなのだ、と実感せずにはいられない。「4歳と14歳で生きようと思った。」(火垂るの墓)、「生きろ。」(もののけ姫)は強烈だった。「好きな人が、できました。」(耳をすませば)はストレートで、清々しい気持ちにさえ、させてくれるコピーだと思う。もう少し頑張れるぞ、と励まされる気分になるのは、「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」(魔女の宅急便)であり、最も気に入っているコピーである。

 寝る間も惜しんで思う存分観たい衝動があるが、現実に戻れなくなりそうなので、思ってみただけである。
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仕事ですが

2009-03-10 22:00:42 | Weblog
 先日、こんな景色のするところへ行きました。
間違えがないように断っておきますが、私は事務職です。事務職です。事務職です。

 うろうろしていたら撃たれますよ!

 「頼む!撃たないでくれ!」←この台詞の出典が分かるあなたは恒点観測員340号ですね
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MSN-00100

2009-03-09 23:08:44 | Weblog
 ジオン・ダイクンの子として、血筋も能力も申し分ない彼がZGでは独立部隊エゥーゴに参戦している。
 しかも、自らがリーダーシップを執る訳でもなく、一人のMS搭乗員として参加している事に、「逆襲・・・」に続く布石を感じる。Zでの期間は雌伏期間であり、葛藤期間であった。この時期の彼のもどかしい気分が何となく、最近分かるような気がする。
 ところで、タイトルは型式番号。Zの試作品という設定だが、試作品とは思えない性能を持っている。操縦者の力量に大きく影響されているのだろうが・・・。

 シリーズ後半、キリマンジャロでの攻防の際、仇敵だったアムロと合同戦を張るが、カミーユには悲しい結末が・・・。「同じか・・・。」と呟くクワトロ大尉の込められた想い。「人は同じ過ちを繰り返す。」ズシリとする一言だった。
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人斬列伝

2009-03-08 21:00:28 | Weblog
 幕末、狂騒した時代背景の中には、平穏な時代と全く異なった人種が出現した。

 平素、日本人は平穏な人種で、他の文化と融合できる柔軟な思考回路を有している。例えば宗教に対する寛容力は、ヨーロッパや中東に比べ緩やかな物が多い。

 極限の精神状態が時代背景ならば、平素では見られない特異な人物が数多く出て来る。幕末維新史は、政治、文化、経済と劇的な変革を遂げたが、表舞台には出てこない陰惨な暗殺史でもあった。

 「人斬り」の異名を持つ人物は多くいるようだが、勤王・倒幕派中心に展開しようと思う。薩摩藩の田中新兵衛、中村半次郎、土佐藩の岡田以蔵、肥後藩の河上彦斎は、幕末の四大人斬として大いに怖れられた。中村半次郎が薩摩示現流であったこと以外、他の3人は流派を修めておらず、我流で剣術を磨いたようである。彼らに共通するのはいずれも下層出身で、剣の腕だけでのし上がった。

 安政の大獄・・・、黒船来航以来、佐幕か開国かで大いに揺れていた日本を大老・井伊直弼が強引なほどの辣腕を振るい、朝廷の勅許を得ないまま日米修好通商条約を締結。もっとも、朝廷は列強各国を毛嫌いしており、勅許など下りようはずが無かった。1854年の日米和親条約時と異なり、攘夷を掲げる藩は井伊大老の頃には激減、1858年の日米修好通商条約時には消極的開国も含め和親条約時32藩から40藩に、攘夷は34藩から7藩に変わっていた。当時の幕臣の多くは、列強と戦っても勝ち目が薄い事、最悪の場合、日本が列強によって分割される事まで予期していた。特に1840年に始まったアヘン戦争の結果は大きな教訓となっていた。この事も有り、開国は止む無しという風潮であったが、やり方が強引過ぎた。しかもその後、条約締結に反対した人物を弾圧する手段に訴えた。徳川斉昭、徳川慶篤、徳川慶喜、松平慶永、山内豊信ら大名クラスの人物を隠居、蟄居に処分し、親藩であっても容赦しなかった。そして、橋本左内、吉田松陰、梅田雲浜、頼三樹三郎らを死罪に処した。対象は幕臣、公卿にも及び、一時的に幕府が強権を発動し、不穏な空気を封じ込めたかに見えた。特に水戸藩は藩主の永蟄居をはじめ大打撃を受け、井伊大老への憎しみは爆発寸前だった。1860年3月3日、水戸藩士を中心とした十数名は江戸城登城中の井伊直弼を雪の降る中暗殺。桜田門外の変である。白昼に幕府の大老が十数名に討取られるという失態に、幕府の権威は失墜した。

 一連の安政の大獄で、井伊の配下として志士狩りを行った長野主膳、ましらの文吉、九条家の家令・島田左近は桜田門外の変後も生きていたが、倒幕志士らにとって憎悪の対象だった。薩摩の田中新兵衛と土佐の岡田以蔵が競って彼らをを惨殺し、遺体を河原に晒した。また、越後浪人、本間精一郎は倒幕派の勢力の切り崩しを行っていたため、暗殺標的にされた。現在も、先斗町から木屋町付近高瀬川沿いに「本間精一郎 遭難の地」という碑を目にする。田中と岡田が挟み撃ちで討取った。いずれも陰惨な殺害方法であったという。武士としての教養が無く、背後からでも平気で斬り付ける処に、彼らの限界を感じる。彼らの最期を見れば、どのような生き方をしたのかを考える事ができる。同じように人を斬った、例えば新撰組の永倉新八は、松前藩士であり、斎藤一は江戸の御家人出身で、いずれも武士の素養を持ち合わせ、凄惨な戦場を潜り抜けながら、陰惨な討ち方をせず、大正時代まで生き、天寿を全うした。

 田中新兵衛は攘夷派公卿・姉小路公知暗殺の容疑が掛かり、現場に落ちていたという、新兵衛の刀を見せられ、僅かの隙に脇差で切腹して果てた。姉小路は身体の各所を斬られ、自分の屋敷まで戻り「無念!」と叫んで絶命したが、新兵衛ほどの腕であれば、一太刀で致命傷を負わすだろうし、まして現場に刀を落とすなどという事は間違ってもやらない。結局真相は闇に葬られてしまう。

 岡田以蔵は土佐藩の最下層出身であり、肖像画さえ残らず、どのような形相だったのか判別しない。土佐勤王党主・武市瑞山の懐刀として暗殺を実行、暗殺の度に土佐藩勤王党の勢力は大きくなった。しかし、時代の流れが再び公武合体に傾くと、長州藩とともに京を没落し、勤王党へは弾圧の嵐が吹き荒れる。土佐藩は他藩と事情が異なり、長州藩のように藩論が統一されておらず、藩祖・山内一豊とともに移ってきた支配層が上士、長宗我部の旧臣は藩政に参加できない郷士とされ、差別を受けていた。この層の出身が勤王党である。そのため、前藩主と勤王党は全く異なる存在であった。岡田以蔵は、勤王党が土佐で捕縛された後も暫く京に潜伏していたが土佐藩士に捕縛され土佐に送り返される。最期は武士としてではなく、切腹も許されない無宿人として斬罪に処された。

 中村半次郎は後の桐野利秋である。西郷隆盛に師事し、大いに愛され維新後も高官に昇るが、西南戦争で西郷と共に散る。「人斬り半次郎」と呼ばれていたが、暗殺については記述が少なく、明治政府が、新政府の高官がかつて暗殺を担っていたという事実を意図的に消したのか、それとも名前だけが先行していたのかハッキリしない。

 河上彦斎も同様に暗殺者の記録が少ない。実際には殆ど斬っていないという意見もある。「人斬り彦斎」の名前が有名になったのは、佐久間象山暗殺以降である。彦斎は象山暗殺以降、人を斬る事は二度と無かった。国学者林桜園の門下であった彦斎は根っからの国粋主義者で、本気で攘夷を掲げ続けた人物であった。倒幕後、薩摩・長州が攘夷思想を捨てた開国が許せなかった。しかし、彦斎が反政府勢力を結束できる器量は無く、新政府に対する不平不満だけは鬱積していった。どこかで処分しないと都合が悪い、と考えたのか、明治政府はさしたる罪状も不明のまま1871年、東京で死刑に処した。

 古今東西、暗殺者の最期はまっとうな人生を送れていない。因果応報というのか、血塗られた人物は血塗られて終わる。
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身近な散策を想う

2009-03-07 23:50:10 | Weblog
 井伊家ゆかりの豪徳寺、吉田松陰が祀られている松蔭神社。いずれも世田谷線沿線にある。昔、世田谷区役所に行く事が有り近辺を歩いた。
 世田谷城址公園を発見したり、日本史上有名な人物ゆかりの名所が有り、これ以外にも桂太郎の墓まである事は最近まで知らなかった。
 雑誌に掲載されていて、懐かしさと、今回のように事前に情報収集した上でなら、という事で、休みのひと時、ゆったりと散歩してみたいものだ、と想いを馳せている。
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