行きかふ年もまた旅人なり

日本の歴史や文学(主に近代)について、感想等を紹介しますが、毎日はできません。
ふぅ、徒然なるままに日暮したい・・・。

読書記61 『覇者の条件』

2018-12-31 15:47:59 | Weblog
『覇者の条件』(海音寺 潮五郎 著)

 元々は「争覇と治国」という題名で、とある雑誌で連載していたが、書籍化して出版する際に「覇者の条件」となった。
連載時に日本史上の12名を取り上げ、当時の時代条件、パーソナリティ、家臣団、軍略、国の経営等、現代に通ずる人生のヒントを示している。
筆者は、9人目の家康を執筆している途中、掲載雑誌の趣旨が経営者向きなことを考え、江戸時代以降の人物は改革や経営で成果を挙げた人物にシフトし、掲載先からの要望があれば、更に他の人物も取り上げる予定だったが、12名の依頼が終わり、改めての依頼が無かったためここで終わった、と述べている。

 さて、この作品で取り上げた人物は平清盛、源頼朝、北条泰時、足利尊氏、北条早雲、武田信玄、毛利元就、織田信長、徳川家康、野中兼山、細川重賢、上杉鷹山である。確かに、野中、細川、上杉は藩政改革に成果を挙げた人物、とりわけ野中に至っては、他の11名は主君であるのに対し彼だけは家臣である。主君が自ら率先して取り組みある程度の成功を収めると、後々まで手本となるが、野中はその死後、他の土佐藩士に憎悪され、子女は配流され家名断絶となった。存命中は隠居の山内忠義が全面的に支援していたが、忠義亡き後、反動が起こり活躍の場を追われていった。その原因は本人の気性の激しさもあるが、協力する穏やかな性質の同僚が先に亡くなってしまったのも不運であろう。

 一人ひとりの感想は避けるが、平清盛は港を押さえ、中国との貿易を活発にし、経済センスの高さは織田信長と同時代に存在したら面白いだろうな、と率直に感じた。もちろん清盛一代で繁栄したわけではなく、祖父・父の経済的・政治的財産が清盛の手腕も相まって満開となった。

 ここで扱った人物の中で実体が掴めなかったのは足利尊氏。尊氏の弟・直義、家宰・高師直ら尊氏を取り巻く人物が尊氏を天下人に押し上げたという印象が強く、尊氏個人が特別秀でて家臣団を率いた印象は弱い。そのためだろうか、室町幕府は諸大名の連合で、三管四職の力が強く、基盤の弱い政治体制であった。

 一方、理想的な人物として映ったのが北条泰時、上杉鷹山である。北条泰時は執権職に就く人物はかくあるべき、と後の執権の理想とされ、本人も寡欲で他者に対して慈悲深い一方、和田合戦や承久の乱で武勇を示し、文武に優れた人物であった。幕府と武士の関係は創業者・頼朝時代に確立しているが、更に深めていったのが北条家であった。鎌倉幕府が滅んだ際、多数の鎌倉武士が殉じているのも頷ける。
 上杉鷹山は、九州の小藩出身で名門上杉家の養子となり、旧体制との協力と対立の中で、主君自らが模範を示し、財政の建て直しに成功し、名君として今日でも語り継がれている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする