行きかふ年もまた旅人なり

日本の歴史や文学(主に近代)について、感想等を紹介しますが、毎日はできません。
ふぅ、徒然なるままに日暮したい・・・。

温暖化を実感するとき

2008-07-31 23:37:09 | Weblog
 このところ、局地的豪雨が頻発している。5、6年前から回数が増えてないか?と思っていたが、天気予報などでデータを出されると、やはり事実だな、と納得してしまう。雨の降り方も熱帯地方で見られるスコールのようで、同じ市内でも北部は豪雨にもかかわらず、南部では路面すら濡れていなかった。
 環境の変化を知る上で、一つの指標となるのが昆虫の存在だろう。今年は市街地でのセミの発生が少ないように思われる。街路樹など、木そのものは植えられているが、セミが羽化できないようにコンクリートで固めてしまっている。地中から木に登って羽化するのだが、アレだけ見事に固めてしまっては地表に出る余地がない。もっとも、それ以前に個体数が少ない気がする。近くの公園を見たら、セミが羽化のために出てきた穴が殆ど見当たらなく、抜け殻も見掛けない。自然が残っている地域ではあまり変わらないのかも知れない。また、ここ数年、クマゼミの鳴き声を耳にする。クマゼミの分布は、概ね静岡県辺りまでで、静岡に行った際、たくさんの個数を目撃した。しかし、神奈川や東京では生息数は少なく、どちらかと言えば、暖かな地方の昆虫である。数はそう多くないだろうが、何度か耳にするので、「おや?」と思う事が増えた。
 不便かもしれないが、もう少し自然本来の姿を残して欲しい。

読書記39 『島津奔る』

2008-07-30 00:55:46 | Weblog
   『島津奔る』(池宮彰一郎 著)
 薩摩島津藩はその祖を源頼朝としている。真相はともかく、大友、菊池、少弐ら九州の名門に劣らない家柄であった。しかし、戦国時代の幕開けの応仁の乱後は、薩摩の島津家は分立し、それぞれが対立するという複雑な関係にあった。戦国時代に島津忠良という名君が出て、島津の薩摩統一事業は進んだ。その後を継いだ貴久も着実に版図を拡げ、その後の義久は九州を席巻する大勢力へ成長した。
 この作品の主人公は島津義久の弟・島津義弘である。朝鮮の役から関ヶ原後の敗戦処理までが作品の背景である。作品に対する疑義が幾つかあったようだが、気にしないで読み切った。これはこれで面白いから良いではないか、と思ったものだが、この際、それは措いておこう。
 この作品の次代背景の少し前、秀吉による天下統一までの島津家は、いわゆる島津四兄弟と優れた兄弟が結束していた。長男義久、次男義弘、三男歳久、四男家久で中でも、家久は肥前の熊と恐れられた龍造寺隆信を討取った。歳久は智謀が優れ、義弘は智勇兼備の勇将、義久は政治力が優れ、四兄弟が義久を中心に島津を盛り上げていた。ところが、秀吉の島津征伐により義久は恭順を示したものの、歳久・家久は断固反発、止む無く義久による討伐と、不可解な死で義久は島津の家名を保ち、薩摩・大隅・日向を安堵された。
 秀吉は臣従した大名の家臣(=陪臣)を取立てようとする性格があり、直江兼続、石川数正、安国寺恵瓊、伊集院忠練らに領地を与えた。この内、伊集院は島津家中であり、また、島津義久より義弘は、戦場でも武勇を見せ、また、教養に富み中央との関わりを持っていた。一方主君義久はこうした複雑な家中で領国経営に専念し、中央とのパイプは殆ど持たず、持たないほうが島津の安泰と考えていたのかは分からないが、他国の者とは関わりを持たなかった。
 そんな中、朝鮮の役が起き、島津でも出陣要請があった。徳川家康は隠然たる大勢力を有し、また関東へ国替えされたため、一切の出陣を免除されたが、他の諸大名はそのような待遇は無く、仕方なしに出兵させた。島津では当主が出陣できない国内情勢があり、義弘が出陣した。朝鮮に渡った島津勢は強く、加藤清正ら九州の大名と親交を深めると共に戦場でその力を発揮した。この役は、秀吉の死とともに終了するが、明の援軍に包囲され全滅しかかったが、島津勢らの活躍もあり、無事日本へ帰国した。朝鮮半島で更に武名を上げた義弘に対し、義久の嫉妬心も徐々に高まり、兄弟断絶の状態になった。
 関ヶ原の戦はこの様な頃に起こった。天下分け目の合戦にも義久は無関心・中立を決めるが、日本中が東西に割れた戦争に中立を貫き、自国のみの安泰を図る事はできない、と判断した義弘は上洛すべく兄に援軍を要請するが、義久は黙殺した。伊集院を討伐した直後でもあり、島津家内の情勢が不安定だった理由もある。ともかくも無視し続けた。義弘は手勢千人に満たない人数を率いて上洛した。薩摩国内では、義弘が単独で上洛した事実を知っていたが、当主義久から参戦を固く禁じられていた。それでも義弘を慕う足軽達が後を追い、その数は約1500人になっていた。
 伏見に到着した島津義弘は、事前に家康から伏見城の守備を要請されていたが、城に篭った鳥居元忠から断られた上、発砲を受けた。戦場で中立になることはできず、西軍は石田や毛利、宇喜多らが西上していた事もあり、止むを得ず西軍として参戦した。
 関ヶ原の戦場では再三、石田三成に夜襲を提言するが黙殺され、西軍の敗走を確信した。こうなると、後は引き際だけである。島津隊は鉄砲の照準を前方に構えたままひたすら待機した。三成からの再三の督促も無視し、待った。やがて、西軍の敗走が始まる。島津義弘が取った行動は敵中突破であった。徳川の先鋒隊である井伊直政隊に突撃、家康本隊をかすめて、堺へ落ち延びる作戦を決行した。敗走する西軍が逆に突撃してきたため、敵中突破を許してしまったが、すぐさま殲滅しに襲い掛かった。この撤退戦に1500人の兵は次々に倒され、堺に到着したのは80人ほどしかいなかった。
 堺から九州へ落ち延びる中、同じく西軍の立花宗茂と同船し、立花の家臣はかつて島津の攻撃で実父高橋紹雲隊が壮絶な玉砕をした仇討の好機、と息巻くが、宗茂はまずは、お互い無事に九州に帰国する事が優先である、と退け、義弘と和解した。この武将は帰国後改易されたが、間もなく大名に復帰、しかも最終的に元の柳川に返咲く、数少ない西軍大名である。
 さて、九州に帰国した義弘は表舞台には登場せず、ひたすら謹慎した。その間、島津は国境を固めると共に、家康へ和睦交渉を何度も行った。降伏ではなくあくまでも和睦、という強気な姿勢で交渉する一方、徳川の重臣に斡旋を依頼するなど、政治交渉を巧みに行った。取り潰しまたは減封を考えていた家康だったが、それをすれば島津が徹底抗戦を行う事が明白であり、西の果てに位置する島津を討伐すれば、東国は空席状態となり、万が一、戦争が長引けば、伊達政宗を始め有力大名が叛旗を翻す可能性があったため、遂に本領安堵を取り付けた。この結果をもって、島津は当主となった忠恒が上洛し、家康に目通りした。
 その後、時代は流れ、義弘は1619年、85歳で死去した。
 関ヶ原から30年近くが過ぎ、薩摩藩の若武者達は、往時の合戦を学ぼうと生き残った老人を訪ねた。その老人はかつて関ヶ原で戦友が次々に倒れていく中、薩摩に生還できた生き残りだった。話そうとすると、その時の情景が出て言葉にならず、「関ヶ原は・・・」と言ったきり嗚咽して続かなかった。その姿に、若い薩摩武士達は、「今までで一番感動した」と言って泣いたという。島津家の関ヶ原は、外交戦で勝利し、明治維新では原動力となっていくのである。

書きかけなので

2008-07-29 23:40:14 | Weblog
 途中で止める事ができなくなった久々の読書記。今日は稽古があり、身体は疲れているが、頭はスッキリしている。昨夜は「史記」の読みすぎで夜更かし、今日は、多分まだ起きているだろう。
 毎日、あくせくして働かなくても良いではないか。と言い聞かせてみる。しかし、現実は甘くない・・・。

U検定

2008-07-28 19:00:04 | Weblog
 我が暗黒史の1ページが刻まれた。受けた事実を隠蔽したいが、敢えてここで公開している。とりあえず3級から、という気持ちで始めた。

 今日、解答をチェックしたところ80問中75問の正解であった。私より知識の多い彼も受けていれば、全問正解も夢ではなかったのでは、と思った。

 詳細はともかく、確実に合格する、という勝利感に浸りたかっただけだが、満点であれば「圧倒的ではないか、我が軍は。」と言えたのに残念である。

大熱戦

2008-07-27 16:44:33 | Weblog
 第90回夏の全国高校野球の地方予選もいよいよ大詰めとなった。昨日は埼玉の浦和学院VS立教新座、西東京の日大鶴ヶ丘VS早実をテレビ観戦した。残念ながら早実も立教も敗れたが、両校とも胸にはローマ字で校名が入り、六大学野球でおなじみのユニホームを甲子園で見たかった。
 今日は北神奈川で東海大相模VS慶應で、慶應も、やはり大学と同型のユニホーム。ゲームは一進一退で、感動さえ覚えた。延長13回、ようやく決着が付いたが、どちらが代表であっても本当に久しぶりで、気になって仕方なかった。
 毎年毎年、見入ってしまう甲子園。慶應は選抜初戦敗退。春の雪辱を是非雪いで欲しい。

横山光輝『史記』

2008-07-26 12:53:10 | Weblog
 「春秋左氏伝」、「孫子」、「呉子」も作者と考えられている人物の登場を始め、歴史的価値が群を抜いている「史記」。漫画家横山光輝がライフワークとして描き続けた同作品を、今更ながら読み直している。
 面白い。ついつい熱中してしまう。気付くといつも夜中。これでは身体に悪い、と思いつつ読んでしまう。小説版も読んだが、その時も夢中になりすぎた。
 歴史ものはいつも歯止めが利かなくなる・・・。

2008-07-24 22:30:17 | Weblog
 公園内を闊歩する鳩たち。人が近くを通ろうが、殆ど動じない。中には、座り込んで眠っているような猛者もいる。車道でも呑気に歩いている奴がいて、車の方が驚いて止まっていた。空を飛ぶのも面倒なのだろうか?それにしても油断し過ぎている。だから、猫に捕まったり、車にはねられているのが目に付く。空を飛んだり、木の枝に止まったり、もう少し鳥類らしさを見せて欲しい。轢かれた鳩を目撃すると、鳥なのに・・・と考えてしまう。そしてその骸を片付けるカラス。鳥の世界はこうやって回っている。

ムカエハマダカ?

2008-07-23 22:18:06 | Weblog
 ウルトラセブン第37話「盗まれたウルトラ・アイ」は脚本・市川森一、監督・鈴木俊継による作品で、私の独断と偏見で、常にベスト3に入る質の高い作品である。怪獣の登場やセブンのアクションは無い。しかし、台詞、映像、構成の全てが綿密に、丁寧に仕上がっており、ダンと諜報員であるマゼラン星人マヤとのテレパシーでの遣り取りは、群を抜いている。地球侵略のため、最も妨害となるセブンのウルトラ・アイを盗むのがマヤの使命であった。任務完了とともに母星に回収を要請するが、返答は全く無い。やがて、マゼラン星から恒星間弾道弾が地球へ発射、マヤの回収は時間が無いので不可、と通信があった。自分の星に見捨てられたマヤ・・・。
 スナック・ノアのリズムボックスの音に合わせて踊る若者に混じってマヤも踊る。「迎えは来ない。君は始めから見捨てられていたんだ」とダンのテレパシー。
 マヤは、「こんな狂った星、侵略する価値があると思って?」と投げかける。幾つかの会話の遣り取り後、ダンは「一緒にこの星で生きよう」という言葉に、無言でウルトラ・アイを返し、ダンはセブンに変身して弾道弾を阻止するため宇宙へ。
 弾道弾をUターンさせ、爆破回避。そして地球へ帰還した。
 マヤは、爆破予定時刻を過ぎても何も起こらない事を見届け、自らの命を絶った。
 スナックに急いで戻ったダンが見たものは、マヤの付けていたブローチだけだった。
 「なぜだ、他の星でも生きようとしなかったんだ。僕だって同じ宇宙人じゃないか。」ダンはそう呟いて、苦悩しながら夜の街に消えていった。

・・・子供の頃、こうした話は面白くもなく、派手なバトルがあれば、それはそれで満足していた。しかし、成長するにつれ価値が分かるようになり、とりわけウルトラセブンには、こうした完成度の高い作品が集まっている。
 金城哲夫、上原正三、市川森一、若槻文三ら優秀な脚本家が筆を執り、特撮の神様と称された円谷英二が監修し、海外での放送も視野に入れ、単なる子供番組とは一線を画した一つひとつ作品は、放送から40年を経た今日でも本当に色褪せていないのが不思議だ。何時観ても近未来を感じる作品群である。

暑さも稽古のうち、と思うが・・・

2008-07-22 23:47:19 | Weblog
 夕方、風が吹き、日中の熱が和らいだ。自転車で通勤し準備運動を兼ねている。
 風に当たると熱が篭らないため、少しは動けるか、と思い、立会いへ。
 ところが、防具をしっかり着けているからか、熱が逃げず、面に篭ってしまった。徐々に動きが鈍くなる。酸欠、熱中症、とにかく面を外したい、思いながら最後まで乗り切った。稽古後、汗が引かず顔が真っ赤で、本当に苦しかった。
 500mlのお茶を2本空け、それでも汗が吹き出て夜半近くまで身体の中から熱が抜けなかった。

安かろう不味かろう

2008-07-21 20:07:18 | Weblog
 夕飯に蜆の味噌汁が出た。昔、鬼平犯科帳だったか、二日酔いの翌朝は蜆の味噌汁が良い、とあった記憶がある。もちろん、二日酔いをする以前に、私は飲めないが。
 久しぶりだな、と思いながら、椀を口元まで運んだ。何となく匂いがおかしい。臭い。恐る恐る一口飲んだ。口の中に広がる、むせ返る様な刺激臭。例えて言うなら「ドブ臭」である。これは飲めない、と思い椀を置いた。私以外はまだ誰も口を付けていない。私は静かに家族へ聞いてみた。「この蜆、腐ってないか?」と。試しに一口含んだ母親が吐き出した。「何これ?臭い!」その後、父親に向かって「20%引きの貝類なんて選んでくるからよ!」と怒りをぶつけていた。母は、水洗いした時に死んでいる蜆が多く不審に思っていたらしい。父親は笑っている・・・。妹夫婦が食事に間に合わなくて幸いだった。間違いなく、阿鼻叫喚の姿が想像される。

 このドブ汁、いや、味噌汁は即、廃棄処分に処された。結局、インスタント味噌汁に代替わりした。

 魚介類の値引きは基本的に危険である。これを身をもって学んだ。「安かろう、不味かろう」この言葉は格言である。そしてその夜、私と母親は腹を下し、トイレの座を賭けて雌雄を決する事となった・・・。

文学作品の表紙

2008-07-19 22:03:30 | Weblog
 表紙で選ぶわけではないが、『人間失格』、『こころ』、『地獄変』、『伊豆の踊り子』と、新装表紙が強烈だった。思わず手を伸ばしてしまうが、こうした試みは本を選ぶ上でも楽しい。『伊豆の踊り子』の表紙は荒木飛呂彦氏が描いており、女性ではあるが、ジョジョの女装?のようで、それはそれで新鮮だった。
 
 今後もこうした表紙は増えていくのだろうか?売り上げに大分貢献している、との事。次もあるのなら、個人的には北条司氏の表装を強く希望している。色彩感覚も構成も含め、絵が綺麗で手元に置いて満足できそうだ。

 読書記として『罪と罰』の挑戦を考えていたが、半日以上の時間を要しそうでいずれかの機会にしようと思い、断念。

赤ヘル

2008-07-18 00:25:53 | Weblog
 水曜の夜、横浜スタジアムでYB-C戦を観戦した。打てない。塁に出ても併殺打。止めはエラー。一ファンとしては勝っても負けても応援し続けるが、もう少し、どうにかならないのか、と考えてしまう。戦力的に他のどの球団より弱い。広島の機動力野球の復活を切に願う。

8時だヨ!全員集合2008

2008-07-17 20:08:46 | Weblog
 迷わず予約して購入してしまった。特典に番組のハッピと脚本が付いていた。脚本を見つつ、この番組がスゴイと言われる所以を垣間見た。

 もはや伝説となった怪物番組。お約束のコントだが、番組製作者の息が合わないと、約束事も上手く展開しない。生放送で、あれほど巨大なセットを駆使し、よくも大きな事故も無く続いたものだ。オチが分かっていながらも支持されていた事は、高度成長期を経験しつつ、安定したものを求めていたような感じがする。今日のように、笑いも多様化している現在、子供たちがこの番組を観て笑うのか、少し気になった。

自称・宇宙の帝王(笑)

2008-07-16 22:06:42 | Weblog
 『ウルトラセブン』第19話「プロジェクト・ブルー」を観た。プロジェクト・ブルーとは、地球防衛のため、地球と月の一定空間に防御バリアを張り、宇宙人の地球侵入を防ごうというもの。題名から、青い星・地球を「ブルー」と名付け、その防衛計画と読み取れる。こうした題名の付け方にもセブンの世界観が、国際組織を意識している表れだとも感じる。
 開発を進める宮部博士は、束の間の地球での帰郷中、地下につながる謎の階段を発見する。そこは、プロジェクト・ブルーを阻止しようとするバド星人の宇宙船の入口であった。バド星人は博士からプロジェクトの内容を聞き出そうとしたが、果たせず、逆ギレして博士を拉致し、地球侵略の幸先として時限爆弾をセットした。・・・と、ここまでは展開として良かったが、モロボシ・ダンの登場から計画が狂い始め、外へ逃れようとするバド星人の宇宙船はあっさりとセブンに追いつかれ、地上でタイマン勝負となった。バド星人・・・。「宇宙の帝王」と自称する割りに戦い方がセコイ。セコ過ぎる。身一つでの肉弾戦に突入。セブンを岩で殴りつけ、メリケンまで使うが、セブンに追い込まれ、偽りの命乞いをしたかと思いきや、再び攻撃。最後はセブンに空中に放り投げられ、墜落して絶命。前半と後半でストーリーの重さが全く異なる。容貌も決して帝王ではない。前作の第18話「空間X脱出」のベル星人の方が強く見えた。

連夜

2008-07-15 23:14:35 | Weblog
 今夜も会議のため、夜9時まで拘束された。
 出席者の殆どは、言いたい事ばかり言っていた。今まで自助努力もしないのを棚に上げて。
 ひたすら沈黙して成行きを見守っていたが、我々の責にしようとする言動に、カチンときてしまい、一気に捲くし立て上げ反論を封じた。
 今夜の結果を受け、恐らく、彼らは撤退するだろう。まあ、それは良い。しかし、何のためにその仕事をしているのか、もう少し誇りを持ってもらいたい。慈善事業やボランティアではないから、彼らの言い分も分かる。限られた時間内に可能な内容なのか、そうでないのか、もう少しお互いに話し合っていれば今回の面倒な展開にならなかったのだが。 
 不毛な会議に付き合わされて、やはり得るものは無かった。