行きかふ年もまた旅人なり

日本の歴史や文学(主に近代)について、感想等を紹介しますが、毎日はできません。
ふぅ、徒然なるままに日暮したい・・・。

異動

2019-03-31 22:39:19 | Weblog
 4月1日からの異動を控え、30・31日の土日は引継ぎの準備に追われた。

 後任者へ残す書面は完成しているが、書面だけで理解しかねることが多い。
対面の業務が多く、表向きだけでも、人間関係が構築できないと仕事にならない。

 直接の上司に、私の抱えている仕事をお願いしたところスルーされたので、「仕方ないな」と残念な気持ちになった。

もっとも危惧しているのは、異動先への問合せで、本来の業務が止まるので迷惑以外何物でもない。
2つ前の職場はとにかく問合せが多く、引継ぎして来なかったのか、という周囲の冷ややかな目を気にしながら応対した。
今回もそんな感じになりそうだが、折返し連絡する、で徹底しておこうと思っている。

 新年度開始、少しは未来へ希望をもって過ごしたい。
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紆余曲折したが

2019-03-24 18:50:33 | Weblog
 「私本太平記」をアップしようとして挫折した10年前…。
10年前の書きかけの読書記を見ると、結果的に今回と同じだった様な気がする。

 軍記物はどうしても歴史の流れを追ってしまうので作成しては削除し、を繰り返していた。また、長編作品でもあり、より難しさを感じていた。

 物語序盤に登場する佐々木道誉は、足利尊氏方で戦い、新田義貞に敗れ南朝に降伏している。また、鎌倉執権北条高時が亡くなり幕府は滅んだが、子の時行が信濃から鎌倉へ攻め込み、一時占領している。

 本当の意味での勝者は誰だったのか。足利尊氏が勝ち残ったのは間違いないが、戦いに次ぐ戦いで国力は相当低下していたと思う。尊氏が開いた室町幕府も有力大名の連合政権に感じられ、足利義満の苦慮が推察される。

 この程度かな、と力量不足を感じるが、自由な感想だし、まあ良いか。と一方では安堵している。
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読書記63『私本太平記』

2019-03-23 15:16:17 | Weblog
『私本太平記』(吉川英治 著)

 太平記は、鎌倉時代末期の後醍醐帝即位から室町幕府2代将軍足利義詮の死去までおよそ50年を扱った古典的な歴史文学である。

 鎌倉幕府は承久の乱で朝廷側に勝ち、武家社会の確立を決定付けた。しかし、前時代から続く荘園制度を始めとした貴族制度も混在する時代であった。
承久の乱の他、和田合戦や宝治合戦など、幾多の内乱を経て幕府の中央集権化がやや進んだが、一方で、相次ぐ戦乱は幕府の崩壊を進めていった。特に文永・弘安の役という外国との戦は、防衛はできたが、戦に駆り出された武士達への報償が困難で、まして新たに取得した土地などないため、武士の借金を帳消しにするなど、苦しい対応を強いられた。

 朝廷内でも、持明院統・大覚寺統の2派に分かれ、幕府の追認や干渉を受けながら続いていた。皇位継承について幕府が決定できるわけでもなく、朝廷からの難題に、両者から交代で、という妥協案を提示したに過ぎなかった。後醍醐天皇は大覚寺統、後の南朝で、即位は遅く、さらに次期帝は持明院へ戻すという前提で皇位に就いた。ところが、それに納得できず、幕府を倒して自ら親政を行なうという考えに至った。時の幕府執権北条高時は田楽や闘犬に耽り、政治を疎かにしたため、世の中が乱れていったのも、帝の機運を高めた。

 しかし、討幕の謀議は事前に漏れ幕府の知るところになり遠島に処されたが、討幕への決意は揺らぐことなく再び機会を待っていた。後醍醐帝の長男・護良親王が中心となって軍勢を率い、討幕勢力が大きくなった。楠木正成の登場もこの頃である。

 西国の幕府の要である六波羅探題を攻撃され、幕府は足利高氏を派兵するが、高氏は寝返り、また、新田義貞も鎌倉へ向け進撃を始めた。北条高時は応戦するが、ついに破れ、幕府は滅亡する。
 
 討幕が成功し、帝の親政が始まるが、武家を重視していなかったため武家の信望は足利尊氏(討幕後の論功行賞で後醍醐帝から諱をもらい、尊氏となる)に集まっていった。やがて尊氏と後醍醐帝との武力衝突が起こり、尊氏は弟・直義や高兄弟らの支えで北朝の光厳帝を擁立し、南北朝の争いとなった。
 尊氏は敗れても再び力を盛り返し、ついに後醍醐帝を吉野へ追いやった。征夷大将軍に就任し、幕府を開くに至った。後醍醐帝は失意の中、崩御する。

 幕府成立後、高師直と直義の対立から再び京都が戦場となり、敗れた直義は出家して政界を引退することで決着した。この後、尊氏の嫡男であり、直義の養子である直冬が西国から挙兵した。直冬は父・尊氏とそりが合わず、直義が養子に貰い受け、かつ戦功に報う処遇をしない尊氏に西国探題に任命させた人物であった。幕府成立後の内部闘争を観応の擾乱というが、軍勢を率いた親子、兄弟げんかと言うべきもののような感じがする。この戦いで高師直一族は滅ぼされた。尊氏が京を離れた隙に、直義が上洛し、守護に残っていた義詮を追い払い京都を抑えた。先に直義が、後に尊氏も南朝に降伏を申し出、ついに直義追討の綸旨を貰い受ける。直義を鎌倉で討伐し、ようやく戦乱の終わりかと思われた。

 京に凱旋した尊氏は背中の腫瘍に悩まされ、看病むなしく死去する。

 私本太平記はここでほぼ終わる。最終章の「黒白問答」が尊氏の想いを反映させた内容に感じた。

 第二次大戦前と後で評価が一変した足利尊氏。もともと、幕府を、という野心家ではなく、彼を囲む家臣らが天下人に為らしめた印象がある。楠木正成の活躍と正成・正行親子の桜井の別れとそれぞれの最期、北畠顕家の活躍とその最期、新田義貞の高氏への思いを推察すると、平家物語同様、諸行無常のテーマに行き着く。
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各種検査

2019-03-17 20:43:04 | Weblog
 今年に入り人間ドックを機に、胃カメラ、大腸内視鏡、インシュリン検査と立て続けに検査を受けた。
特に悪いところはなかったが、食生活の乱れを自覚していたので数値ではあまり良くなかった。
インシュリン関係では医師から当然指摘され、予後観察しましょうと言われた・・・

 胃カメラは前日夜から食事制限があり、大腸内視鏡は食事制限と下剤の服用がある。下剤がともかく不味い。
冷やしても美味くはないが、常温だと余計に感じる。

 たまには身体のメンテナンスも必要だと感じた。
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