行きかふ年もまた旅人なり

日本の歴史や文学(主に近代)について、感想等を紹介しますが、毎日はできません。
ふぅ、徒然なるままに日暮したい・・・。

藤堂家

2008-02-21 00:59:04 | Weblog
 藤堂高虎。戦国時代の激変の中、織田・豊臣・徳川と渡り歩き、伊勢32万石の大名となる。外様大名でありながら、家康の待遇は譜代同様であった。城の縄張り技術が優れ、個人としての能力も高かった。そして、徹底した忠誠を示すため、大坂の陣で長宗我部盛親隊の猛攻を凌ぎ、優秀な家臣を何人も失った。大坂の役最大の犠牲を払った。
 こうした働きもあり、高虎は家康、秀忠の信頼を得、大大名となった。

 幕末鳥羽伏見の戦いにおいて錦の御旗が出現する前日、それまで幕府軍だった藤堂家に新政府の使者が訪れていた。

 新政府軍が旧幕府軍と開戦し、側面を陣取った藤堂家は全く動く気配がなかった。戦場に大砲を向けたまま。幕府軍は、この大砲が新政府軍に向かって発射されれば勝利を確信していた。―しかし、大砲は友軍であるはずの幕府軍に側面および背後から発射された。幕府軍は壊滅した。
この裏切りようはどうだろうか。賊軍として名を残すか、官軍として名を残すか。いずれにせよ、関ヶ原の小早川秀秋のような動きである。錦旗に逆らうのと、千成瓢箪に逆らうのでは比較にならないのかもしれないが・・・。

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