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保守記事.16-38-5 海外にも目を向けよう

2015-04-15 11:36:30 | 記事保守

ナイジェリア 少女誘拐から1年

4月14日 18時30分

去年4月、西アフリカのナイジェリア北東部でイスラム過激派組織「ボコ・ハラム」が200人以上の女子生徒を1度に誘拐し、世界に衝撃を与えました。この事件から14日で1年になりました。
あとを絶たないイスラム過激派によるテロ。なかでもボコ・ハラムは、「アフリカで最も過激な組織」と呼ばれるほど、テロ活動を激化させていて、とりわけ子どもたちがその標的となっています。誘拐された少女たちは今、どこにいるのか。ボコ・ハラムによる残虐非道なテロを封じ込めることができるのか。
ナイジェリアや周辺国で、この問題の取材を続けているヨハネスブルク支局の味田村太郎記者が解説します。
あの日 何が起きたのか

事件は、ナイジェリア北東部ボルノ州にあるキリスト教徒が多い町チボクで、去年4月14日深夜に発生しました。数百人もの武装グループが突然、町を襲い、家々を焼き打ちにするとともに、地元の公立の寄宿学校に乱入。200人以上の女子生徒を無理やり連れ去ったのです。


地元の報道によりますと、女子生徒の1人が、誘拐された直後、携帯から父親に緊急の電話をし、緊迫した状況を次のように語っていました。「男たちが突然やってきて私たちを連れ去ろうとしている。お父さん、みんなトラックに無理やり乗せられてしまった。どこに連れて行かれるか、分からない。お母さんにまた会える日まで、さようならと伝えてください」。
この女子生徒からの連絡はその後、途絶えたままです。

そして、事件から3週間後、ナイジェリア北東部を拠点とするイスラム過激派組織ボコ・ハラムが犯行を認めるビデオ映像を公表。この中で、リーダーの男は、「欧米流の教育をやめさせるために連れ去った。女子生徒たちを売り飛ばす」と脅し、欧米流の教育を廃止するようナイジェリア政府に要求したのです。


事件は、国際社会に衝撃を与えました。「女の子たちを返して!」。これを合言葉に救出を願う活動が各国に広がり、多くの著名人も参加。ノーベル平和賞を受賞したマララさんやオバマ大統領の妻ミシェル夫人も少女たちの解放を訴えました。


誘拐から1年 少女たちの行方は?

事件から1年がたち、ボコ・ハラムは一切、少女たちの解放に応じようとせず、少女たちの行方どころか、その安否さえ、まったく分からない状況が続いています。少女たちはニジェールやカメルーンなど周辺国に奴隷として売り飛ばされたとか、ボコ・ハラムの戦闘員と無理やり結婚させられ、その支配下にあるナイジェリア北東部の集落で今も拘束されているなど、様々な情報やうわさが飛び交っていますが、いずれも確認されていません。
こうした状況に焦りを募らせているのが、誘拐された少女たちの家族です。ナイジェリアの首都アブジャでは、少女たちの救出を求め、家族や市民が連日、集会を開いています。


私たちは先月、ナイジェリアの首都アブジャで、この集会に参加していたヤガさん夫婦を取材しました。長女のセーラさん(18)は勉強が大好きで将来は医師を目指していましたが、去年4月、ボコ・ハラムに誘拐されました。


ヤガさん夫婦は、政府に何度も救出を求めましたが、連絡はありませんでした。このため、自ら救出に向かおうとまで考えましたが、軍に止められたと言います。父親のサミュエルさんは、「誘拐事件のことを思うと怒りで眠れない。政府は私たちのような貧しい人間を救おうとしない」と述べて、政府が娘の救出に向けて動いてくれないと怒りをあらわにしていました。また、母親のレベッカさんは、私たちに娘の写真を見せながら、「妊娠させられているかもしれない。それでもいい。私たちのもとにとにかく無事に戻ってきてほしい」と訴えていました。


ヤガさん夫婦を含め女子生徒たちの家族の多くがボコ・ハラムの襲撃を恐れて、避難生活を余儀なくされています。支援団体によりますと、家族の多くが身体的にも精神的にも追い込まれていると言います。誘拐事件が起きてからこの1年で17人の親たちが亡くなり、女の子たちが無事に生還できたとしても、最も会いたかった両親に会えないという悲劇が生まれているのです。
卑劣なテロをエスカレートさせるボコ・ハラム

女子生徒たちを誘拐し、国際的なテロ集団として注目を集めることになったボコ・ハラムは、ほかの過激派組織と競い合うように卑劣なテロ行為を続けています。過激派の動向をモニターしている専門家も、「アフリカで最も過激なテロ組織に変貌した」と指摘しています。
ナイジェリア北東部を中心に住民の虐殺を繰り返すとともに子どもや女性を次々に誘拐。ボコ・ハラムからの襲撃やテロから逃れようと、すでに100万人以上が周辺国などに避難し、重大な人道危機を引き起こしています。


私たちは、ボコ・ハラムによる卑劣なテロの実態を明らかにしようと、周辺国で難民キャンプの取材を続けています。逃れた住民のなかでも、とりわけ子どもたちが心に深い傷を負っていました。難民キャンプの子どもたちがボランティアの人たちから鉛筆や紙を受け取ると、真っ先に描くのはボコ・ハラムが襲撃してきたときの様子です。銃弾を浴び、首を切られる人々。炎に包まれた集落。絵には、血や炎を表す赤色が多く使われていました。


ボコ・ハラムに捕らえられていた12歳の少年が取材に応じてくれました。少年は1か月にわたって監禁されていましたが、そのときのことをこう語っています。「家から次々に人を引きずり出して、1人ずつナイフで殺しているのを見ました。僕らに銃を握らせ、神のために戦えと脅したんです」。少年は、戦闘員になることを拒否すると、激しい暴行を受け、体には今も傷痕が残っていました。


同じキャンプで13歳の少女にも話を聞くことができました。少女は、ほかの少女たちとともに集団で監禁され、戦闘員と結婚するよう脅され続けました。「女の子が1人ずつ、戦闘員に無理やり連れて行かれました。近くで銃を撃たれて脅され、本当に怖かった。なかには恐怖で気絶してしまった子もいました」。


この少年や少女は、見張りの隙をみて何とか逃げ出すことができましたが、子どもを標的にしたボコ・ハラムの卑劣な手口はエスカレートしています。ことし1月、買い物客で賑わう市場で爆発物を身につけた10歳ぐらいの少女が自爆し、19人が死亡しました。少女に自爆テロを強制するという過激派組織IS=イスラミック・ステートさえ行ってこなかった手口にボコ・ハラムが手を染めたとみられています。


子どもたちの教育の機会を奪い、勢力の拡大を狙うイスラム過激派とどう対峙するのか。国際社会の対応が、今、真剣に問われています。

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