どうでもいいです、の話

「どうでもいい」トピックスを載っけていたり、公記事の保守をしたしするページです。

保守記事.1-10 終わらない戦禍

2014-02-26 13:02:16 | 記事保守

イスラエル軍がパレスチナ人未成年者を虐待、ユニセフ報告

2013年03月07日 18:16 発信地:エルサレム/イスラエル

【3月7日 AFP】国連児童基金(ユニセフ、UNICEF)はこのほど、イスラエル軍の勾留制度の下で身柄を拘禁されているパレスチナ人の未成年が「広範囲にわたる計画的で制度化された」虐待を受けていると強く非難する報告書を発表した。

「イ スラエル軍拘禁施設における子供たち」と題された22ページに及ぶ報告書の中でユニセフは、子供が軍事裁判で裁かれることが制度化されている国は世界でイ スラエルだけだと批判。「残虐、非人間的、卑劣な扱いや懲罰」が行われていることを示す証拠を挙げ、38項目の改善を要求している。

 ユ ニセフによるとイスラエル軍は、過去10年間に12~17歳のパレスチナ人の未成年者7000人を逮捕、尋問、起訴した。大半は少年で、毎日平均2人が拘 束されている割合だという。今年1月末の統計によれば、現在イスラエル軍に拘束されているパレスチナ人の子供は233人で、うち31人が16歳未満だ。

 児童保護に関するユニセフの地域アドバイザー、ジャンニコラス・ブーズ(Jean-Nicolas Beuze)氏は、「逮捕された子供が自動的に軍事法廷にかけられるのは、世界でイスラエルだけだ。その他の国でもみられるが、例外的なものだ。子供は民間人だ」と報道陣に語った。

■投石で逮捕、恐怖の尋問で自白強要 最高20年の実刑も

 パレスチナ人の子供たちが逮捕された最も多い理由は、投石だという。適用される最高刑は、12~13歳なら禁錮6月だが、14歳以上になると突然厳しくなり、最高で禁錮10~20年の判決を受ける可能性があると報告書は指摘している。

  さらに、拘束されている多くの子供たちは共通して、「大勢の武装した兵士に夜中にたたき起こされ、手を縛られ目隠しをされて尋問部屋に連行され、寝かせて もらえず、異常な恐怖状態に置かれる」といった扱いを経験しているという。中には、尋問に連行される際に身体的虐待を受けたり暴言を吐かれた事例や、痛み を伴うほどきつく拘束され、水や食料をほとんど与えられず、トイレに行くことも制限されたという報告もある。

 ユニセフによれば、尋問中 に「弁護士や家族の立ち会い」があるという証拠も全く得られなかった。また、尋問の際に子供たちが「被疑者の権利について知らされることもめったにない」 という。さらに「尋問は脅迫と身体的暴力が混ざったもので、子供に自白を強要するという明確な目的をもって行われている」と非難している。

 子供たちの多くは最後に「自白」し、自分では読むことのできないヘブライ語で書かれた証書に署名させられる。そして、軍事法廷においてはこうして「多くの場合、強要された」自白が、主たる証拠として扱われるという。

 報告書は、改善要求の中で「イスラエルの根拠ある安全保障上の懸念を考慮したとしても」、イスラエルが締約している『「子どもの権利条約(Convention on the Rights of the Child)」に違反する扱い方を子供たちが決してされないよう』早急の措置をとる必要があると述べている。(c)AFP/Selim Saheb Ettaba


娘3人を殺害されたガザの医師 「憎しみを越えて」

2014年02月19日 22:30

 2009年、イスラエル軍の軍事侵攻で娘3人を失ったガザの医師がきょう、日本外国特派員協会で会見を開き、「憎しみを乗り越えよう」と非戦を訴えた。

 会見したのはパレスチナ・ガザ地区で初めて医師免許を取得したイゼルディン・アブエライシュ氏(1955年生まれ)。現在、カナダのトロント大学 で教鞭をとる。自著「I Shall Not Hate ( 邦題:『それでも、私は憎まない』 亜紀書房刊)」のプロモーションのため来日した。

 アブエライシュ医師は21歳のビサンさんを頭に、マヤールさん、アヤさんという3人の娘達を一瞬にして空爆で失った。自宅がイスラエル軍の爆撃を受けたのだ。

 イスラエルの病院で働いていたアブエライシュ医師にまさかの仕打ちだった。周囲は「きっと復讐心に燃えるだろう」と期待したのだという。

 09年イスラエルの軍事侵攻直後、筆者はガザに入った。空、海、陸からの猛攻撃で一面ガレキ野原と化していた。パレスチナ人権センターによると非戦闘員926人が死亡した。後に国連人権委員会が虐殺の調査に入るほど、凄まじい殺戮が繰り広げられた。

 生き残ったもう一人の娘は片目と右手指を失ったが「まだ片目がある。もうひとつの手がある」と言って左手で字を書く練習を始めた。

 アブエライシュ医師は「憎しみに気をとられてはいけない。憎しみは自己を崩壊させる病気だ。強くなれ、犠牲者然とすることを受け入れるな」と自ら念じたという。

 「暴力と嫌悪、病気は相互に関係している。相手を憎まない、被害者にならないという生き方を “ガンジーのようだ” とか、 “ポジティブ・サイコロジー” と評する人も出てきた。私は、弾丸は弱い者達の武器、智慧は強い者の武器だと思っている。この希望のメッセージを伝えることが私の使命だ」と語り、憎しみ を超越する心を持つことを強調した。

 空爆当時の記憶は今もアブエライシュ医師の胸をしめつける。「5年の月日もほんの一瞬のことのように思える。今も脳裏から離れない」「私は決してリラックスしないと娘達に誓った」。目頭を赤くしながら語った。

 のちに彼がカナダで立ち上げたイスラム女性の教育支援団体「the “Daughters for Life Foundation”」は、国籍を問わず奨学金を授与する。記者団に配られた財団のカードにはガザの海岸で憩う3人の娘たちのありし日の姿が印刷されていた。

 会見後、アブエライシュ医師に「もしハマスなどがこの“相手を憎まない”考えを受け入れ、復讐せず攻撃をやめたら、ガザの状況は好転するか?」と問うた。

 「イスラエルが協定(オスロ協定1993年)を守り、入植をせずに攻撃をやめることが必要だ。そうすれば誰もイスラエルを攻撃することはない」。アブエライシュ医師はきっぱりと断言した。

 ◇

※オスロ合意
1993年、イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)との間で結ばれた和平協定。
1)パレスチナはイスラエルを国家として認め、イスラエルはパレスチナ自治政府による自治を認める。
2)イスラエルが第3次中東戦争(1967年)で獲得した占領地をパレスチナに返還する。

オスロ協定は「土地と平和の交換」といわれ、PLOのアラファト議長とイスラエルのラビン首相は、合意翌年(1994年)にノーベル平和賞を受賞した。

 

保守記事.1【FT】なぜ中東の炎は鎮火できないのか
保守記事.1-3 エルサレムの平和のための
保守記事.1-4 エルサレムの平和のための

保守記事.1-5 エルサレムの平和のための
保守記事.1-6 分かってはいたことだけど
保守記事.1-7 エルサレムの平和のための
保守記事.1-8 どこまで本気。。。。
保守記事.1-9 いろんな意味で、タイミング良過ぎ



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 保守記事.101-171 この国の現状 | トップ | 保守記事.6-2 どっちがほん... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

記事保守」カテゴリの最新記事