悠々time・・・はなしの海     

大学院であまり役に立ちそうもない勉強をしたり、陶芸、歌舞伎・能、カメラ、ときどき八ヶ岳で畑仕事、60代最後半です。

「(身寄りがない人でも)どこかで、だれかと、つながっている(右京)」(ドラマ「相棒」)

2010-03-04 02:31:37 | 独りごと
<「右京、風邪をひく」>
今日の「相棒」は「右京、風邪をひく」という題名だったが、題名とドラマの中身はどのように繋がるのであろうか。あまり関係なさそうにも見えるが、ドラマの最後に右京の相棒神戸尊がクシャミをして、右京から風邪をうつされたと言ったときに、風邪を(周りの人から)うつされないようにすることも「自己責任ですよと」という、いつもの右京節がでた。「自己責任」、これは今日のドラマの注目すべき言葉の一つである。

<面白いドラマの展開・・・フィルムの逆戻し>
次に、今日のドラマは、フィルムを逆戻りさせる手法で、二つの全く別々のストーリーが実は最後に一つの線につながっていく、という展開で、久しぶりに新鮮な演出で面白かった。

伊丹刑事たちが犯人を簡単に逮捕したとき伊丹刑事が右京たちに向かって、(事件を解決するのは右京の得意とする推理力ではなく)、俺たちの刑事としての「足」と犯人を見抜く「目の力」と「ガッツだ」だという意味のことを得意気に言ったが、右京たちは平然として、「今回の犯人逮捕には「縁」というものもあるのではないでしょうか」と言う。ここから急にフィルムが逆戻りして、ドラマは伊丹たちの犯人逮捕の1日前、3日前の右京たちの別の捜査、「大事なネックレスが盗まれた」という捜査依頼に対する活動へと展開して行く。

全然別の事件のように見える、右京と神戸尊たちの捜査の糸が、いつしか伊丹たちの捜査の糸と結びついて犯人たちへと近づいて行くのだが、その糸の流れを知らない伊丹たちが、犯人をいとも簡単に逮捕したかのように錯覚する。そして「あなた方(特命係)が出しゃばらなければ、こんなにすんなりと事件を解決できるんですよ」と胸を張って、最初の啖呵になる、という筋書きである。その裏で展開される真の筋書きは、逆戻りのフィルムを見て行くことによって、伊丹たちよりも視聴者であるわれわれの方が早く分かることになる。

それから、右京の「風邪」と、ネックレスを盗まれたという家の女の子が「ぜんそく」でベッドに寝ているということもドラマの真相への伏線となっている。大した意味もなく「右京、風邪をひく」というタイトルになっているわけではないのである。

<ささやかな、老人と女の子のつながり>
この女の子が、庭にいる右京のところへ出てきて高価なネックレスがなくなる(親は知らない)真相を話そうとする姿を柵の外から見た両親が、「風邪」をひくから家の中に入るようにと声をかけたこととも繋がっている。また「ぜんそく」のためにあまり外へ出られず、2階の部屋の窓越しから外を眺める女の子のために、柵越しに軍手で人形劇のようなことをして喜ばせていた老人との心温まる「つながり」が明らかになって行く。

<(身寄りのない人でも)「どこかで、誰かと、つながっている」>
この(身寄りのない)老人と友達の少ない女の子のささやかだが、貴重な「ふれあい」は、(身寄りのない人でも)実は「どこかで、誰かと、つながっている」のだ、という右京の台詞が、今の世相のテーマとして重く響いた。しかも、この老人がネックレスを盗んだ犯人であるかのようなドラマの展開をしておきながら、最後の謎解きで、この女の子が母の大事なネックレスを、自分を楽しませてくれたお礼にこの老人に差し上げた、ということで、この女の子にとってこの老人との「ささやかなつながり」がいかに大事なものであるかということを言っているのである。このドラマの筋立て、演出は秀逸である。

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