悠々time・・・はなしの海     

大学院であまり役に立ちそうもない勉強をしたり、陶芸、歌舞伎・能、カメラ、ときどき八ヶ岳で畑仕事、60代最後半です。

歌舞伎の「世界無形遺産」登録に違和感

2005-12-08 20:10:00 | 社会的行事

        
          <朝日新聞の記事

縮小してあるので読みづらいが、12月1日の朝日新聞コラムには
 
         歌舞伎が「無形遺産」とは         

         盛況の裏で伝統の危機

という見出しで問題点をコメントしてあった。


     


実は11月25日に、松竹の永山会長と伝統歌舞伎保存会の中村
雀右衛門会長が、歌舞伎座で「喜び」の記者会見をしているのを
見たときに、私は奇妙な「違和感」を覚えた。関係者はみんな「おめ
でとうございます」という挨拶で、祝賀ムードであったが・・・。

これより1ヶ月くらい前に、歌舞伎俳優のある大幹部が別の番組で、
これを予測した記者の質問に対して、「大変素晴らしいことなので
しょうが、オペラが申請していないと聞いたのですが、なぜ歌舞伎
だけが世界遺産なのでしょうね
」と言って不審な表情をあらわして
いたことを思い出した。

私は、「白川郷・五箇山の合掌造り集落」を始めとする「世界自然
遺産についても、商業主義との関係で違和感を感じたことがあり
いつかユネスコの世界遺産というものを検証してみよう、と思って
いる。「世界遺産」に登録したことによって返って環境が悪化して
いるところがでているのではないか、と危惧していた。

今回の歌舞伎については、完全に「違和感」を感じていたのだが、
1週間後に朝日新聞が、やはり「違和感」を感たらしい記事を書い
たので、やはり私の変な「感じ」は「変」ではなく、「正常」だったの
だと納得した。朝日新聞は問題提起だけして矛先を収めている。


<人類の口承及び無形遺産に関する傑作宣言>

<世界無形文化遺産>
一見、おめでたいことのように思えるが、「遺産」という言葉に違和感
を感じている。私は、能・歌舞伎の愛好者である。大学の先生やその
道の専門家の講義を聞いて勉強もしている。私は、能や歌舞伎や
人形浄瑠璃・文楽などは、わが国の優れた伝統芸能であり、当然、
次世代に引き継がれてゆくことを願いながら楽しんでいるが、
「遺産」という感覚はなかった。

なぜなら、能も歌舞伎も国民的人気が高く、特に歌舞伎は生きた
芸能として、劇場は盛況である。歌舞伎興業を一手に取り仕切っ
ている松竹の演劇部門などは売り上げ好調といわれている。と
ても「遺産」を観劇しているという雰囲気ではない。

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 <「遺産」という言葉に違和感>
この地球上で、もはや再生することのない貴重な遺跡などは、
「遺産」としてその姿を保存することが中心になるが、現代に
生き続けているものについては、当然現代という時間の中で
生きながら、発展、継承していくのが自然の摂理である。

今、歌舞伎は現代の中で、厳然として生きており、むしろ発展
している。そういう意味で、「遺産」という表現に違和感がある、
と申し上げている。

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 <保護手段の欠如や消滅の危機性>はない?
更に、選定条件の中に、「保護手段の欠如や消滅の危機性」
という基準があるが、現在時点で、こんな「危機性」は全く感じ
られない。

もしそのような「欠如」や「危機性」があるとすれば、それは一手
に興業権と大半の歌舞伎俳優を傘下に収めている松竹自身で
あり、家系で参入障壁を形成している歌舞伎業界であり、それ
を保護観察下においている文部科学省自身の方である。

つまり、この優れた伝統芸能を継承、発展させる責任者はわが
国自身であり、わが国自身の対応次第で、発展もありうるし、
衰退もありうる、ということである。 この優れた伝統芸能を守る
ために世界遺産という呼称を利用する、という発想があるとした
ら、それは完全な発想の取り違いである。

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<無形遺産申請のためのレトリック>
実は、文部科学省は、歌舞伎を世界遺産に登録するために、
一般国民には分かりずらいレトリックを使っている。一般国民
は、「歌舞伎=世界遺産」と理解するが、申請基準との関係が
あるため、「伝統的な演技様式によって上演される歌舞伎」に
限定しているという。
それなら地方に残る「田舎歌舞伎」のことを指しているのかと
いうと、そういうことでもないらしい。時代を分けて「古典歌舞伎」
に属するものを指すらしいのだが、今やその古典も、伝統的な
演技・演出方法によって上演されているものも多い。歌舞伎が
死んだものならともかく、現代に生きている歌舞伎を無理に
古典技法のみ「世界遺産」だというレトリックは姑息な手段では
ないのか。

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世界無形文化資産
世界無形文化資産、という呼称はないが、私は、「遺産」ではな
い、と思う。世界には「遺産」もあり、「資産」もある。「遺産」のみ
を取り上げるのであれば「遺産」のみを選出すればよい。世界
無形遺産の一覧を見ればよく分かるが、まさに「遺産」的なもの
が多く選出されている。

[一例]
・シシリアの人形劇
・「古琴」(七弦琴)演奏技(中国)
・昆曲(中国)
・カンボジアの宮廷舞踊
・パンソリの詠唱(韓国)
・能楽
・人形浄瑠璃文楽
その他多数


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<古典芸能に対するわが国の対応>
現代に引き継がれている「歌舞伎」自体は、今や正々堂々といえ
ることは、「遺産」ではなく、国民「資産」であるということだ。

もう一度言う。危機的な状況がありうるとすれば、それは、わが
国自体の対応の問題以外にないのである。




               


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<オペラとの関係>

「歌舞伎」を「世界無形文化遺産」にしたことによって、選定
されていない「オペラ」との関係で言えば、「オペラ」は消滅の
危機にある「遺産」ではない、ということになる。オペラは
世界的な「文化資産」であるということか。

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