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「パール判事」:書評(東京裁判が否定された訳ではない!)

2013年09月27日 23時59分59秒 | 書評(政治経済、歴史、自然科学)
「パール判事」中島岳志著 「白水社刊」

 この書物は、パール判事の思想の理解を目的としている。また、「パール判決書」の全体を紹介していることに特徴がある。その全体の紹介をしよう。(アトランダムに書いて行く)

 1、パールは戦勝国が裁判所の構成を独占することを問題視し「戦勝国が敗戦国を裁く」という構図を批判する。また同時に、戦勝国の戦争犯罪についても、敗戦と同様、平等に裁かれるべきであるとた。

 2、パールは「通常の戦争犯罪」の訴追については、東京裁判の意義を積極的に認め、その個人責任を厳密に審議すべきことを主張している。

 3、パールは、東京裁判で扱うべき戦争を、蘆溝橋事件以降の紛争であるとした。

 4、パールは「通常の戦争犯罪」については国際法上の意義を認め、その罪を東京裁判で審議することを肯定した。しかし、東京裁判の裁判所憲章第五条にしめされた「平和についての罪」と「平和についての罪」に関しては国際法上の根拠がないとして、その罪そのものを否定した。(これは罪刑法定主義≪行為時に法律上罪とされていた事件にだけ罪が適用されるという考え)に関わる問題である。)

5、戦勝国は、戦争犯罪人を裁くための裁判所を開設する権限を有している。しかし、戦勝国が裁判所憲章で新たな罪を創作し、立法を行う権利はないと、パールは主張する。

6、パールは、敗戦国だけが「侵略」行為を行ったとする連合国の欺瞞を明示するために、ソ連、オランダを例に挙げて、痛烈な皮肉を投げかけた。

7、パールにとって、日本のアジア侵略も西洋諸国の植民地支配も、道義的、社会通念的には、間違いなく不当な行為であった。しかし、法学者という立場上、かれはそれを国際法上の犯罪と認定することはできなかった。


8、パールの認めた事実認定。(1)アメリカによる「原爆投下」は「残忍」で「非人道的」な行為である。 (2)張作霖爆殺事件を「殺人という卑怯な手段」と断罪している。(3)満州事変と満州国建国を「非難すべきもの」「手の込んだ政治的狂言」と批判する。(4)南京事件については、日本軍の残虐行為の証拠は不十分ながらも「実際行われた」のは否定できない、と断定した。(5)フィリピンにおける捕虜の虐待についても厳しい見解を示し、日本軍の行為を断罪した。

9、だがパールは、「罪刑法定主義」「共謀罪の不成立」の立場から、A級戦犯の「無罪」を主張したのだ。

10、したがって、日本軍の行為を正当化したり、日本の責任を免罪したのではなかった。(パールによれば、日本の行為は、帝国主義時代の西洋の悪しき模倣であって、イギリスのインド支配、アメリカによるフィリピン支配と同様、許しがたいことだった。)

 しかし、この「パール判決書」が、「日本無罪論」「大東亜戦争肯定論」に恣意的に使われている。これにパールの息子は怒りを隠さない。

 そして、著者の中島岳志は、次のように結論する。

「近年、パールの言説を利用する右翼論壇は、・・・都合のいい部分だけを流用している。・・・原爆投下の責任も問えず、アメリカの顔色を伺い続ける日本、東京裁判を忘却のかなたに追いやり、アメリカ依存を深める日本、朝鮮戦争をサポートし、再軍備を進める日本。・・・・アメリカ追従を深め、イラク戦争をサポートし、憲法第9条の改変に突き進む21世紀の日本。・・・パールの残したメッセージは、近年の右翼論客にこそ突きつけられている。」





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