オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

政界の派閥はやめにしよう

2009年09月27日 | Weblog


閥(ばつ)とは、

 「血縁、地縁、出身校などの属性や関係性に基づいて形成される集団。公的・社会的な場における私的な集団で、排他性が強く、その成員を外部の競争者、敵対者から守り、有利な地位におこうと努める。藩閥、軍閥、財閥、学閥や、政党内の派閥、婚姻関係から生じる閨閥(けいばつ)などの形をとる。」とある。文面だけを見ていると先進国のしかも近代的民主主義を掲げている国家には全くふさわしくない内容である。

派閥の誕生はいつ頃なのだろう。

 サルの集団にボスの地位を巡って派閥争いがあるように動物の本性として種の保存のための生存競争(派閥争い)は避けられないであろう。そう考えると人類の有史以来、派閥は存在し現在もそして将来も存在しつづけるのであろう。しかし存続しつづけることだけが目的の派閥の論理を政治の場に持ち込むことはいかがなものかと思う。政治活動の目的は日本国憲法前文に記載されている通り、「国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」となっている。この中に「派閥」の入り込む隙間なんて一切ないと思うがどうだろうか。

「派閥の領袖」という言葉も厳然として残っている。

 派閥の頂点に立つ人物である。サル山のボスと言ってもいい。このような風習が今も残っているのは、天皇制の名残ではなかろうか。天皇は神聖不可侵の統治権者として巨大な権力を一身に集中する存在だったが、実際の政治的決定はほとんどこれを補佐(むつかしい言葉では「輔弼(ほひつ)」)する元老、閣僚、軍部などによって行われ、天皇はそれに合意を与える役割を担った。したがって、実態は統一的意思を欠いて派閥などに分裂し、水面下で壮絶な争いを展開した。この名目と実態の乖離は責任主体を不明確にし、権力の恣意的運用を助長することになる。まさにこの形が現在の派閥の本質ではないかと思う。いまだにこの頃のやり方を旧態依然としてやっているのである。

少なくとも、派閥争いは水面下でやってもらいたい。

 それなのに、派閥が学歴や経歴と同様に堂々と扱われ、「私は○○派です」と胸を張って国民に向かって申告しているし、マスコミも躊躇することなくこれを大々的に報道している。派閥などと言うものは憲法のどこにも認められていない。それが大手を振ってまかり通っていると言うことは得体の知れないものに政治が根本から振り回されていることでもあると思う。ただの派閥でなく、思想や理念に基づく対立や分立は大賛成である。おのおのの思想や理念を掲げて自派の正当性を主張して相互に大いに議論してもらいたいが、現存する派閥には過去のしがらみはあっても思想や理念は皆無と言っていいほど「ない」(いや、過去にはあったかもしれないが徐々に崩壊しつつある)。その証拠に派閥は集散離合を繰り返し、派閥を渡り歩く蝙蝠みたいな人もいる。思想や理念が根底にあれば時代は変わっても中身は普遍のはずである。

派閥争いは国政とは無関係であり、国民とも全く無関係である。

 派閥争いは、政治家や閣僚の内輪だけのものである。内輪のものは少なくとも内輪にとどめてもらいたいし、いつまでも時代遅れの派閥争いに明け暮れている政治家や閣僚や政党は即刻国民が離縁状を突きつけるべきである。なぜならば、国政にも国民にも関係ないことにうつつを抜かしているのだからである。この派閥に頼っている限り責任主体が不明確なままで、権力の恣意的運用が公然と行われる政治が続くことになると思う。何でこのような古くて時代遅れで捨て去るべきものが未だに残存しているのか不思議でたまらない。第一、派閥名に政治家個人の名前をつけるのがまた滑稽でならない。サル山のボス猿以外の何者でもない。せめて、保守派・革新派・中道派とか、ハト派・タカ派とかに分かれるのには賛同できるのだが・・・。

国政で戦わせる議論には派閥を持ち込まないでほしい。

 この時こそ個人名で堂々と意見を述べてもらいたい。そして述べた意見にはしっかりと個人で責任をとってもらいたい。これでこそはじめて責任主体が明確になる。そして決定した結論には誰がどの意見をどれだけ採用したかを明確にすべきであり、その決定に至った考え方や理由も明確にすべきである。これで権力の恣意的な運用を阻止できると思うし、公明性・公正性・透明性のある国民をも巻き込んだ活発な議論が可能になると思うし、この議論を尽くすことで国民を納得させることも反対に説得することもできると思う。これこそ本来の近代的民主主義であり、日本国憲法前文にある通り「国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」ような政治が実現すると思う。


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