オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

長いものに巻かれていた人達の反乱

2018年08月07日 | Weblog
あちこちで、権力の頂点にある人に対する非難が集中している。

 ただ、非難する人達の顔が見えないで、非難されている人がただ一人矢面に立たされている。そして、その組織の関係者が、個々の立場から過去の権力の横暴とそれに逆らえなかった状況を淡々と語っている。しかし、今までその人は長いものに巻かれることを続けてきたのである。このことは棚に上げて、人のせいにしている姿勢に違和感を感じる。その権力の横暴を可能にしていたのは、その組織の関係者が黙ってこれに従っていた過去の実績の積み上げでもある。各人が黙認してきたことが権力の増長を許してきたことでもある。その部分は自分達も大いに反省すべきだと思うし、この反省がこれからこのような事態を招かない方策を見出すと思う。

このような事態にならないためには、

 最初の段階で理不尽な横暴を食い止めておくことである。これを食い止める人にはそれ相応の勇気と使命感が必要であろう。その人が諦めてしまえば、一つの理不尽な横暴を許してしまい、一つの許されない罪の事業を既成事実として認めてしまう。一旦認めてしまうとその事業は途中でこれを新たに食い止める人が出てこない限りそのまま継続されてしまう。新たな人にはさらなる勇気と使命感が必要になる。そして、この事実はがん細胞のようにいろいろなところに転移して、さらに理不尽な横暴は組織全体に蔓延していき、最終的には食い止めることが不可能になるほどに成長する。それでも、その成長を促進させているのは「長いものには巻かれろ」の考え方で従順に権力にひれ伏している人達である。

権力を取り巻く人達からの一方的な非難だけ聞いていると、

 最終的には「権力者が悪い、権力そのものが悪い、権力を持たせるのが悪い、権力は持たせるべきではない、みんなの話し合いで解決すべき」と言う風な結論に導かれる。権力の正当な行使をさせるためには自分達がどうあるべきかと言う反省がないのである。そのことを棚に上げてただ権力者を個人攻撃して、組織の異端分子もしくは敵対分子か反逆者みたいな言い方をする。その権力者も組織の一部であり、その権力者を作り上げたのは組織全体なのである。組織自体が反省し改善されない限り、第二、第三の横暴な権力者が生まれ続けることになる。組織においてその立場立場で権力を行使しないと組織は動かないし、ただ停滞し混乱するだけである。「権力」が悪いわけでなく、「正当な権力の行使とその監視・是正」がなされていないことが悪いのである。

昨今の権力者を取り巻く不祥事を見ていると、

 ただ、権力者をこき下ろしているだけに見えてしまう。そしてその権力者を排除して辞めさせれば目的を達成し問題は解決したというような短絡的な考えであるが、そのような権力者を輩出した組織そのものや、その組織からそのような権力者しか選定できなかったことへの反省、もしくは、そのような権力者しか育てられなかったことや、中途段階で監視し、指摘し、是正できなかった組織そのものの反省と是正、改善は見られない。このまま行くと、権力を行使しようとしても周囲に反対され、権力そのものが行使できなくて、適正な権力の行使さえも危ぶまれて躊躇してしまう権力者が増大してしまう。周囲の顔色を窺いながら権力を行使しなければならないし、周囲の者は「権力」の兆候を察知しただけで拒否してしまう状態に陥ってしまう。これが本当のあるべき姿なのか大いに疑問である。

権力に対する権威が衰退している。

 権力そのものに権威がなくなっている。権力そのものに権威がなければ、その行使は困難になるし、誰も従わない。権力に権威を伴うのは、正当な権威の行使の積み重ねと、その成果に基づく実績と信用の積み上げである。そのことを可能にするのは組織全体が有効に機能し本来の目的に向かって一丸となって努力するしかない。当たり前のことを当たり前のこととして従来通り権力を行使することに異議はないし、誰も反対する人はいない。今までとは違う新しいことに挑戦する時には誰かが判断し決心してその決心に基づいて権力を行使する段階がないと前に進まないし新たな成果も望めない。見た目には権力の横暴に見えるかもしれないが、本来の目的に合致し、論理的な説明が可能で、現時点で最善策だと多数の賛同が得られれば何も問題ないし、時には反対者が多数であっても権力の行使は可能である。当然、権力者はその結果に対しての責任は免れないし、最悪は権力者の座を失う。

権力者の権威が衰退しているのはその組織の責任である。

 「正当な権威の行使の積み重ねと、その成果に基づく実績と信用の積み上げ」をないがしろにしてきた結果でもある。権威が衰退すれば組織そのものも衰退する。それを阻止するためには、優秀な権力者を選定し、その権力の行使を監視し、成果に基づいて評価し、将来にわたって組織として是正してゆくことが重要である。日本の国全体の権力者の権威が衰退しているように見えてならない。このことにより国家から父性が失われている。権威に基づいて信念を貫き、国のために最善を目指して尽力くするような人物を見つけるのは難しい。天下国家を語る権力者が見当たらないのも寂しい限りである。特に政治家や国の代表となるべき人達は大いに天下国家を語ってほしい。そして、その信念に基づいて新しい日本を築いていってほしい。一般大衆によるポピュリズムだけではそれは不可能なのである。

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