オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

思いつきの政策は国をダメにする

2007年12月13日 | Weblog

政治に冒険は許されない。

 安定した着実な政策が必須である。木に例えるならば、幹の部分は太くてビクともしない頑丈なものでなくてはならない。これを育ててきたのはこれまでの我が国の歴史であり先人の功績である。我々は、土を造り、水と肥料を与え、枝を剪定し、内外からの厄災を退け、さらに育ててゆく努力をしなければならない。

今までAが正しいと行われていた政策をBに変えるとき、

 ようく考えると、今までの政策を否定していることでもある。A政策は悪くてB政策が正しいと言っていることになる。そんなに簡単にA政策が悪いと言えるのであろうか。A政策の実施期間が長ければ長いほど否定するのは困難になる。何も変化要因がなくて唐突に政策が変わるのは単なる政策担当者の思いつきや個人的な好みに過ぎない。担当者が変わる度に政策が変わってたのでは混乱をもたらすだけである。これが枝葉の部分であればまだしも、幹を否定されるような政策であったら国の存在すら否定されかねない。

だからといって、永遠に政策が変えられないわけではない。

 世の中の情勢が変わればAもBとなる。ただし、そのためには、正しい情勢認識とその分析、またこの分析に基づく考え方を明らかにすることが重要になる。この考え方が正しくて理路整然としていれば、AがBになろうとCになろうとみんなを納得させることができるはずである。

このしっかりした考えがなく、

 単なる思いつきや個人の好みだけで実行したのでは良い結果がでるはずがない。当然、過去の歴史を全く否定する考えは国を滅ぼす政策であり、過去の歴史を踏まえてさらに改善し発展するための政策でなければならない。このように考えると改善の規模もおのずと限定され夢物語の革命的な政策などはあり得ないはずである。着実にかつ地道に時間をかけて改善するしか道がない。問題点を見過ごしたり厄災の備えを欠いたり改善の努力を怠ったりを繰り返していると長年に渡って営々と成長してきた「日本国」という大木が大音響とともに倒れてしまうことになる。

大多数の人がAが正しいと認識しているとき、

 Bが正しいとして政策を実行する場合、ようく考えると大多数のAを否定していることになる。あえてBを実行するのであれば困難ではあるが大多数のAが悪くて少数のBが正しいと言うことを立証しなければならない。単なる思いつきと個人の好みだけで大多数のAを無視して実行するのは横暴である。これも革新的かつ斬新なアイデアがなければみんなを説得させることはできない。大多数のAの考え方を覆せるしっかりとした考えが必要である。

甲グループに対し特別待遇のA政策を実施し、

 乙グループに対し一般的なB政策を実施している場合、なぜ区別が存在するかを説明しなければならない。そうでないと一部のグループに対するえこひいきになる。これでも正しいというのならばそれぞれの特異性から個別の事情に基づく考え方を明らかにし、みんなを説得できなければならない。説明なしに行き当たりばったりのままで放置することは許されない。白紙的には乙グループにもA政策を受ける権利がある。また、一部のグループが自己の利益だけを主張することは、それに値する特異性がない限り説明がつかず一般的には許されない。政策としては条件が同じであればどのグループにも公平である必要がある。

政策には、自己本位で自分勝手な考えは通用しない。

 過去、現在、未来の時間の流れの中で、自分、他人、第3者、部外者、世界、宇宙の空間的な広がりの中で一般化した偏りのない整合の取れた考えを貫かなければならない。そして誰でもが納得できるものでなければならない。そのためにはしっかりとした説明が必要である。この頃の政府の政策にこのような説明がなされているだろうか。また国民はこの政策に納得しているだろうか。

あちこちで発覚している不正事件は、

 個人が勝手に判断して行ったものに端を発し、最終的にごまかしが利かなくなって摘発されている。例え失策であろうと、国に損害を与えようと、しっかりとした考えに基づいて行われ、国民の信任を得たものであれば、担当者として結果の責任は問われるかもしれないが「不正」として糾弾されることはないはずである。「しっかりした考え方」を説明することと「国民の信任を得る」手続きを踏むことが求められる。

すばらしい画期的な政策を望んでいるわけではない。

 一歩か二歩しか前進できない政策でもいい。その一歩、二歩が何であるかをしっかりと説明して欲しいのである。少なくとも世の中に害を及ぼし、足を引っ張っている政策でないことを説明できれば充分である。どれだけの成果が出せるかは政治家の手腕によるが、その成果にけちをつけるつもりはない。国民は政治家に国政を委ねたのである。政治家はこの国民の信頼に応えるべく努力してもらいたい。

「前進」とは、前を向いて進むことである。

 まずは正しく「前」を向く必要がある。「前」とは進んできた方向の延長線上である。立ち止まって右往左往しているとどこが「前」だったか方向を見失う。岐路に立たされる場合もあるだろう。しかし、横を向いたりましてや後ろを向いたりではいけない。そして、しっかりと前を見定めたら一歩でも二歩でも進まなければならない。その場に止まったままではいくら前を向いていても意味がない。足踏みしていてもしょうがない。まずは前へ向かって最初の一歩を踏み出して行き足をつけることだ。

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