オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

自然に活きるとはどんなことか

2007年08月18日 | Weblog

我が家にも狭いながら庭がある。

 この庭に野鳥が訪れ庭木の上や草むら(自然に任せているので雑草がはびこっている)で遊んだり餌をとったり休憩してゆく。そのおみやげというわけでもないが、庭のあちこちに鳥の糞に混じった木の実が発芽し育っている。何かの縁でせっかく我が家で芽を出したのだからとそのままにしていると、ずんずん伸びて今では桜(4本)紅葉(2本)ナンテン(1本)ピラカンサ(1本)それにクロモジ(2本)などが立派な庭木として成長した。桑の木やどんぐりやケヤキも生えてくるが、これ以上放っておくとジャングルになってしまうので可哀想だが見つけたら引っこ抜いている。我が家は園芸屋さんから苗木を買う必要はない。

15年前に桜の芽が出てきた。

 面白いのでそのままにしていたら、ずんずんと伸びて10年くらい経ったら立派な4本の庭木になり、ハンモックが吊れるほどの木陰ができて、10年計画の「木陰でハンモックで昼寝」が実現した。山桜で春になると素朴な白い花を咲かせて自宅で花見もできるようになった。しかし、あまりにも育ちすぎて根が暴れて根っこがブロック塀を倒しそうになったので庭師の人に相談して切り倒してしまった。庭師の人曰く「だから素人は困るんだよ、野性の樹木は暴れて始末がつかないんだよ」とぶっきらぼうな助言をいただいた。

ところが、草花はそういうわけにはゆかない。

 放っておくと生えるのは雑草ばかりで、雑草も見ようによっては鑑賞に堪えるが、庭としては貧相で貧乏ったらしい。草花は園芸屋さんで種や苗を買ってきて植えることになる。我が家の女性陣はことのほか花が好きでせっせと買ってきてはあちこちに植えている。しかし、草花をこまめに見てやる面倒見のいい人は少ないために手間のかからないものを選んで地植えして自然にまかせているのが現状である。自生したものは株を増して毎年花を咲かせるが、1年で枯れてしまい自生できないものも少なくない。

近所を散歩していると、

 何でもない道ばたに自生している草花が生き生きと育っている。我が家の庭よりも条件は悪そうな砂利やコンクリートの隙間であってもしっかりと根付いて毎年花を咲かせている。誰かが世話をしているわけでもない、ほったらかしの自然のままである。こまめな面倒こそ見ないが一応手入れをし肥料を与えている我が家の草花が思うように育たないのに、道ばたの悪条件にもかかわらず元気に雑草といっしょにスクスクと育っている。おもしろいものである。どういう訳か我が家で育てている草花は病害虫にも弱く、油断すると集中的にやられてしまう。しかし、道ばたの草花は病害虫にもやられていない。不思議である。

よ~く考えてみると、

 草花の生えている条件が悪いと思いこんでいるのは人間だけで、草花にしてみればその場所が居心地がよくて、我が家の庭のほうが居心地が悪いのである。自然の草花は広い大地の中で好きなところに根を下ろすことができる。それを一方的に我が家の庭に強制的に植えられたのではたまらない。土や環境や日当たりの相性が合えば育つが、そうでない場合は枯れるしかない。本当は自然の大地でも土や環境や日当たりが良くてもその草花と相性が悪い場合はその土地にはその草花は育たないのである。たまたま育っている場所を見て、「こんな変なところに」と人間が思いこんでいるだけである。

その「変なところ」がその草花の唯一の活きる場所なのである。

 自然は淘汰のために無駄が多い。たくさんの種子を広地域にバラ蒔いて、その中で生き残るのはほんのわずかである。そのほんのわずかが生き残っている場所が我々が目にする場所である。そこは「変なところ」かもしれないが、草花にしてみれば子孫を残すためには最適の場所なのである。そういう裏側を理解しないで表面的なことしか見ていないと時に誤解を招く。可哀想だと植え替えてやったり、鉢に入れて育てたりすると自然のたくましさを失って病害虫にも弱くなる。自然の中では病害虫に弱いものは最初から淘汰されて育っていないのである。

我々は、市街地でたくましく活きる動植物を目にしているが、

 この動植物は、好き好んでそんな場所に生存しているわけではない。そんなところしか生存する場所がないのである。また、土も空気も水も日当たりも餌もぎりぎりのところで活きているのである。それをたくましいと思って安心してはいけない。このように自然そのものがたくましいものだと思いこんだがために、取り返しのつかない自然破壊が進行している。止めなければならないのは自然破壊そのものであり、自然の動植物を保護することではない。保護することは動植物から自然のたくましさを奪ってしまうことであり、かえって自然破壊を促進していることになる。

動植物は人間の築き上げた文明社会に

 ある程度は順応するだろうが、順応できない動植物もあり、順応にも限度がある。これ以上動植物に犠牲を強いていると生存そのものが危うくなる。人間も動物である。人間の生存も危うくなる。これ以上の自然破壊は許されないし、「自然を取り戻そう」とか「自然を回復しよう」とか「自然を浄化しよう」などという思い上がりは甚だしい考え違いだ。それによってどれだけ自然が破壊されるかに気づいていない。すでに汚染された自然は仕方ないとしても最優先すべきはこれ以上自然に対して人間の手を入れないことである。ほったらかしておくことである。 自然のままに保存することである。

自然に対してひとつのことに人間が手を加えると

 連鎖反応的に自然のあちこちが狂ってくる。狂ったままにしていればいつの間にか長い年月をかけて自然はまた次の定常状態に落ち着くが、人間はこれを待ちきれずに次の手を加える。まるで核分裂みたいに自然は狂ってゆき、最終的には取り返しのつかないことになる。人間はこれに気づいていない。しかも、人間は自分のエゴしか考えていない。作物の収穫量を増大させ、汚いもの(細菌や微生物)をなくし、害虫や害鳥をなくし、醜い動植物は粛正し、快適空間を作るため森を犠牲にし河を改造し、湖川を汚し、海を汚し、大気を汚す。このことが自然に対しどれほど悪影響を与えているのか正しく認識しているはずもない。認識しているのであれば即刻止めるはずである。

猿が、イノシシが、熊が、シカが

 人里や市街地に出没するのは、人間が森を破壊したからである。日本は世界にも稀にみる森の豊かな国であった。この森をいつの間にか人工的に植林した針葉樹林(国有林)に変えてしまった。針葉樹林には隠れる場所はあるが餌はない。国有林にも農地にも国の規制があり自由に開発できない。ねらわれるのは雑種地すなはち雑木林である。ひところ不動産屋は、とにかく雑木林を見つけだしては次から次に開発していった。雑木林を宅地、ゴルフ場、リゾート地、旅館、ホテルなどにすることは何の規制もないからである。かくして動物の餌場であり住処である雑木林が次々に犠牲になっていった。仕方なく猿が、イノシシが、熊が、シカが餌を求めて人里に下りてくる。これは動物が自然環境の変化に順応しているだけである。人間にこれを閉め出す権限はない。なぜなら、その原因を作ったのは人間だからである。自然の雑木林を作るには50~100年以上の歳月を必要とする。さあ大変だ。



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3 コメント

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35年で雑木林ができました。 (二次遷移)
2007-08-20 20:10:39
>自然の雑木林を作るには50~100年以上の歳月を必要とする。

一般的には、そう言われていますが、先日、1975年に閉鎖されてから、たったの32年で、雑木林ができた事例を、北海道新聞で読みました。きっと、今ごろは、エゾヒグマやキタキツネやエゾシカが繁殖しまくっていることでしょう。あのあたりは、昔、エゾヒグマが出没したところですから。下記に引用します。

にぎわい 今は昔*夕張錦沢遊園跡*サクラひっそり
2007.05.13 北海道新聞朝刊全道 33頁 朝社 【夕張】夕張市富野の山中で、人知れず数本のエゾヤマザクラが咲いている。錦沢(にしきざわ)遊園-。現在は訪れる人すらいないこの地は、かつて夕張随一の花見の名所として、家族連れの歓声が響いた場所だ。
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続きです。 (二次遷移)
2007-08-20 20:11:11
 錦沢とは、石炭を運び出していた夕張鉄道(夕張市本町-江別市野幌)が、夕張市街地をトンネルで抜け、一気に駆け降りる峠の途中に設けた駅の名前。一九二六年(大正十五年)の開業当初から、春のサクラ、秋の紅葉が美しく、この名がついた。
 蒸気機関車が急坂を上るため、前進・後退を繰り返す「スイッチバック駅」だった錦沢は、ほどなく市民の憩いの場に。夕鉄は駅周辺に約三百本のサクラを植え、六○年代には釣り堀、ボート池、豆電車や飛行塔、回転木馬などを備える遊園地とした。
 現在はバス会社となっている夕鉄の畠山朗管理部長(52)は「子どもは『札幌よりも錦沢』でしたよ」と、親に連れられて行った遊園地を懐かしむ。一日の乗降客は最大六千人に上った。
 七五年に廃線、その後に駅の前後のトンネルがいずれも崩落の危険があるとして封鎖され、錦沢へ行くには山道を分け入るしかなくなった。現在は数本のサクラの木が残るだけ。原生林に戻りつつある遊園地跡では、「昭和八年建」と裏書きされた「錦沢遊園」の石碑だけが、この地が夢の跡であることを伝えている
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Unknown (ugotn)
2022-06-10 15:33:14
コメントありがとうございます。
大自然の回復力は凄いものですね。人間が害を及ぼさなければ逞しく復活できるんだと安心しました。
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