オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

効率化・合理化

2006年06月11日 | Weblog


運命は変えられないと言う人がいれば、運命は変えられるという人がいる。

 どちらも正しいと思う。変えられない運命もあるし、変えられる運命もある。しかし、変えられない運命を嘆いてもどうしようもない。せめて変えられる運命を自分の望むように作り出す努力をすべきであると思う。不可避的に有無を言わせず訪れる運命もあるが、ほとんどは因果応報で自分で作り出した運命である。運命だと全てをあきらめる前に、自分の将来に禍根を残さない因果を作り出す現在の努力を怠らないことが重要だと思う。その結果が今の自分であり、避けられない運命の訪れはその場ではあきらめるしかないが、遭遇した運命に左右されつつある現在の自分を変えてゆくために今現在から自分の将来に禍根を残さない因果を再び作り出さなければならない。

効率化・合理化

 ゼムクリップを机の下に落として、それを拾うのに3秒かかったとすると、3秒にかかる人件費と一個のゼムクリップの値段を比較すれば人件費のほうが高くつく。よってゼムクリップを拾うのは無駄である。こういう考え方が効率化・合理化です。と得意気に講演していた人がいた。私には馴染めなかった。一個のゼムクリップでも勿体無いという心は値段に換算できない。その心まで捨てて効率化・合理化したくない。どうぞ心の赴くままゼムクリップを拾ってもらって結構だと思う。一日中ゼムクリップを拾い続けるわけでもないだろう。それよりも勿体無いの心、些細なことでも細心の注意を払う心を失うほうが損失は大きい。

効率化・合理化は心に対して害を及ぼす。

 特に「金・金・金」の効率化・合理化はすさんだ心しか育まない。しかし、重大な事故や多大な損失を出すような失敗の原因は、多くの場合些細なことであり、一個のゼムクリップを拾う精神の欠如から生じている。効率化・合理化の御旗の元に大事な心を失っている。金のために心を売っていると言っても過言ではない。そんな心を捨てても何とも思わない心境こそ大いに問題がある。未来永劫にわたって大事な心を捨て続けるのである。一旦始まると止ることを知らない。ウィルスのように蔓延してゆく。これは大変な問題である。効率化・合理化も局所ばかり近視眼的に見ないで、高所大局に立った長期展望に立った施策が必要である。

電車の中で大衆の面前で堂々と化粧する女の人がいる。

 電車に乗っている時間を有効利用できるとってもいい発想である。しかし、これは心を忘れている。他人に与える不快感、見せてはならない自分をさらけ出している破廉恥さ、育ちの悪さ(しつけ、教養、知性)、国際的感覚の欠如(人前の化粧は娼婦のやること)などの心である。効率的だから許されると言う問題ではなく、最初から許されるべきでないのである。時間を有効利用するために周囲を思いやる心を捨てているのである。そのことに気付いて即刻自発的に止めるべき習慣なのである。そして、近しい人達は早い時期からそのことを矯正し正しい感覚を教え込むべきなのである。そのような近しい人がいない事も恥をさらす原因になっているし、正常な感覚が欠落したまま成長すると、もはや矯正も教育も不可能になってしまう。

勿体無いの精神は効率化・合理化ではない。

 効率化・合理化すれば勿体無い精神を切り捨てなければならない。勿体とは本来「物体」である。物体そのものの価値を究極まで有効に使い切ることが勿体無い精神であり、物を粗末に扱うこと、物そのものの存在意義を忘れていることを勿体無いと言う。効率化・合理化は勿体無いことばかりをやっている。金にならないことは切り捨てる精神そのものが勿体無いことである。人も勿体である。人材の育成や適材適所を考えずに経費節減だけのために人減らしをやることは誠に勿体無い。勿体は使い捨てでなく循環してゆく。大きな循環の中で勿体は有効活用され無駄がなくなる。近視眼的な効率化・合理化とは訳が違うのである。


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