オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

5W1H(Five W's and One H)

2009年08月22日 | Weblog

学生時代に事実を正確に伝える時に必要な要素だと教わった。

 御存知の通り、Who、When、Where、What、Whyの5つの“W”とHowの“H”である。場合によってはWhat forを付け足す時もある。誰が、何時、何処で、何を、何故、何のために、どのように、という問いかけに十分答えられるかを確認するものである。このうちのいくつかの要素が欠けると伝えるべき事実は不明確になる。それでは、この要素を現在盛んに行われている衆議院選挙前の政権公約や選挙演説の内容について検証してみよう。

まず、Who(誰が)である。

 通常、選挙演説の場では立候補者本人の事であるが、中身を聞いていると「あれ?」と思う。大風呂敷を広げて「私が」「私が」とわめきたてている。政治家一人が出来る事は限られている。少なくとも政党が力を合わせて政治を先導し、後ろ盾にいるのは国の組織である。政治家の中には官僚が嫌いな人達がたくさんいるようだが、政治を現実に実行しているのは官僚を中心とする国の機関である。この人達と協力して政治を運営していかねばならない。官僚を信用できなければ政策を実行に移す事はできない。政策を実行する国の機関を頭から信用しない政治家は国を滅ぼす。官僚以下の国の機関を如何に上手く運用するかを検証しなければならない。

政治家一人が出来る事は限られており、

 一人だけで具体的に約束できることは限定される。そんなことよりも立候補者自身が演説するのなら自分の目指すべき目標を語らなければならないと思う。その目標を実現するために党一丸となって官僚を先導して政治を動かしてゆく事になる。政治家と官僚が対立した立場で存在するわけではない。立場が遊離しているのは政治家の指導力不足だったのである。それは与党も野党も関係ないそれぞれの過去の政治家の責任なのである。政治家ができる事、官僚ができる事、団体組織ができる事、地方自治体ができる事そして国民ができる事、それぞれを明確にすべきである。少なくとも立候補者の「私がやります」という言い方はちょっとおかしい。

次に、When(いつ)である。

 まず、たいていの公約にはWhen(いつ)の要素が欠けている。あったとしても任期中の約束しかしない。任期が終われば次の人といった感じである。そうではないだろう。全体の中・長期の計画があって、次の任期中には何を何処までやるかを明確にすべきだろう。選挙のために準備した公約で、選挙が終われば反故にするつもりなのだろうか?過去現在未来の見通しの中で何時までに何をやらなければならないかを明確にすべきである。また、過去に公約したWhen(いつ)がどれほど実現し何処まで達成できたかを反省し明確にすべきである。

次に、Where(どこ)である。

 場所の事であるが、焦点が定まっていない。世界全体を対象にしているのか、国全体を対象にしているのか、地方を対象にしているのかごっちゃごちゃである。天下国家を語っているのか、地方や特定団体の利益代表の話をしているのか明確でない。反対に立候補者自身がどちらに属しているのかも明確でない。利益代表で立候補しているのなら、それでもいいではないか。中途半端にあれもこれもと取り入れてしまうので収拾がつかなくなっている。天下国家を語る人はそれで勝負すればいい。誰に向かって演説しているのかも不明確なままである。

次に、What(何を)である。

 対象の絞込みが足りないと思う。その問題を解決するためにあなたは何をしようとしているのかを明確にすべきである。何を是正すればこの問題が解決に向けて前進するかという考えそのものが、その立候補者の意思や考え方を表明する事になる。また、具体的に「何を」を提示したつもりでも、それだけでは根本的な問題解決になっていない場合がほとんどである。たとえば、補助金や手当てをばら撒いても一時的な対策であり、長期的にはあまり意味がないし、全国民に均等に施す政策にも意味がない。救済される側の国民があれば、これを支援する側の国民も当然存在する。当たり障りのない世間一般で問題となっている事項を羅列して、とにかく「私が解決します、任せて下さい」という論調では何も具体化されない。

次に、Why(なぜ)である。

 Why(なぜ)に答えるためには徹底した分析が必要である。過去の分析と現状の分析から最適解を出すわけであるが、分析がしっかりしていればいるほど、因って来る原因と根拠と理由が明らかになり、何故そうなるかの説得力が増す。単なる直感と思いつきの結論を出す事は簡単であるが、何故そうなるかを説明するのは難しい。通常、政権公約や選挙演説にはこのWhy(なぜ)が欠落している。結論だけで公約としているが、それぞれの結論は短絡的で統一性がなく頭の中は混乱するばかりである。中心となるWhy(なぜ)もないし、個々の結論に対するWhy(なぜ)もない。最初から「分析」を省略し忘れてしまっているのではないかと思えるほどである。

次に、How(どのように)である。

 これが一番難しいと思う。どのように実現するのかの道筋を示すのである。これが一番重要であり、その立候補者の人となりを示す重要な要素になる。これがきちんと語れる人は素晴らしい人である。当然大言豪語を語る(騙る?)だけでは「詐欺」と言われても仕方なく、その内容には実現性と説得力と全体の統一性がなければならない。これがしっかりした演説を私は、これまでに聞いたことがない。名前の連呼と投票のお願いだけでは何にも生まれない。党の政見公約でさえもHowが抜けている気がする。

最後に、What for(何のために)である。

 是非、これくらいは明確にしてもらいたい。立候補者はいったい何処に目標をおいて政策を運営しようとしているのかである。せめてこのくらいの方向性がハッキリすれば、我々国民の重要な選択の基準になる。これは個人の夢でもあり、語るのは自由である。夢が共有できればその人を選択候補にするのはやぶさかではない。大きく言えばその立候補者本人の人生観でもある。大いに個性的にアピールしてもらいたいものである。

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