オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

ゴルフ道具の教訓

2009年08月14日 | Weblog

ゴルフの練習をしているが一向に上達しない。

 当然と言えば当然だが、すぐに上達するぐらいなら誰でもプロになれるし、何年も何十年も練習を続けている人に失礼でもある。うまくいかないのが普通の常識のど真ん中である。ところが何としてもうまくなろうとする時、一筋の光明を見出すのが「ゴルフ道具」である。テレビのコマーシャルでも、新聞や雑誌でも、数々の種類の宣伝文句が飛び交い、ゴルフ用品店に行けばピンからキリまでの商品が並んでいる。

現在使っている私のゴルフ道具は、知人からもらったものである。

 私がゴルフを始めたと聞いて使わなくなったセットをタダで譲ってくれた。どんな「道具」が使い勝手がいいのか初心者の私としては皆目見当もつかないので、とにかく今の「道具」を使うしかないが、うまくいった時には真直ぐにしかも距離も十分に飛ぶので、自分の打ち方が悪いとは思っても、「道具」が悪いとは思ったこともない。たぶんまだ「道具」を選べるような領域に到達していないのだろうと思う。「道具」を選ぶようになるのは当分先の話になるだろう。私としては今のところこの「道具」で十分満足している。

ゴルフ用品売り場では、クラブの試し打ちをすることができる。

 この前時間があったので、新製品と言われるクラブの試し打ちする機会があった。店の人がいろいろな機能・性能を説明してくれ、いろいろと初心者の弱点をカバーしてくれることを強調していたけれども、ようく冷静に考えて見ると、「初心者がいい加減に打っても大丈夫」と言われているような気がしてきた。それじゃ、いい加減じゃなく、まともに打てるように一生懸命練習している自分は一体なんだろうと思えてきた。「私って本当に天邪鬼だなあ」と自分でも感心してしまった。結局は試し打ちだけでクラブは買わなかった。「道具」に頼るばかりでなく、まずは「打ち方」の練習をするのが本筋だろうと思っている。

「誰でも努力せずにうまくゆく」という宣伝を聞けば聞くほど眉唾に聞こえる。

 まずは、「誰でも・・・」とは不特定多数を相手にしている。不特定多数が満足できるものが一つだけで実現できるとはどう考えてもおかしい。個人個人は個性があり一人一人バラバラである。本来であれば個々に対応した「道具」が存在するはずである。多くの中から個々に対応した道具を選定するのは「個人」である。自分を一番よく知っているのは自分だし、少なくても自分のことをよく知っている専属の先生やコーチであろう。果たして自信ありげに宣伝している張本人は不特定多数の人達をどこまで知っているのであろう。

「努力せずにうまくゆく」とは、プレイヤーを馬鹿にしている。

 たぶん、「うまくゆく」とは「そこそこにうまくゆく」と言うのが本心であろうし反対に言うと「決定的な失敗は少ない」ということであろう。しかし、こんな道具で最大の成果を出すことはできないのではないだろうか?極端なことを言えばプロの使う道具は個人の特徴に合わせた個性剥き出しのものであり、練習の成果を最大限に出すために工夫されたものである。まずは練習と言う努力がありその努力の成果を引き出すのが「道具」であろうと思う。「努力せずにうまくゆく」と言われると「努力せずにそこそこの成果でずっと満足していなさい」と言われているような気がする。

果たしてうまくいかない原因は「自分」にあるのか「道具」にあるのか?

 私は、まずは「自分」にあると思う。標準の道具を使って練習すれば標準的な成果は得られるし、標準的な成果が得られないのは自分の打ち方が悪いのである。そして、標準的な道具で標準的な成果が得られる人が、自分に合った道具を選ぶことによって標準以上の成果が期待できるのだと思う。まず初心者の私がやらなければならないのは標準的な道具で標準的な成果を目指すことだと思っている。道具にあまり頼ってしまうと自分を鍛えることがおろそかになりそうで怖いし、道具を変えて期待通りの成果が出なかったときはさらに次の道具を際限なく求め続けることになるのではないかと不安になってくる。

こんなことを考えてゆくと、政治家の選挙公約も同じではないかと思えてくる。

 公約を強調すればするほど「誰でも努力せずにうまくゆく」と言っている気がする。たぶん、みんなに共通の最大公約数の内容だけで話をするから訴えるものがなく、個性を感じないのではないだろうか。まずは「自分」を主張することが第一だと思う。「自分」の良いところも悪いところも含めて「自分」を主張すべきなのである。それは自分の言葉で発せられるべきなのだろうと思う。そこで初めて互いに共鳴し合えるものが見つかるのだと思う。一つの事象に対してその人がどのように感じているのかをはっきり主張すれば、その人の人となりが理解できるし、これを繰り返すことによってさらにはっきりとその人の人格に触れることができる。こんなやりとりをし合うのがコミュニケーションだと思う。



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