反体制は体制を越えられない。
体制を批判しているばかりの反体制は永久に体制を越えられない。批判した部分が改善されたにしても、体制が改善されただけで、かえって体制を強化している。どう考えても体制を倒せるほどの力は期待できない。もし、体制を倒すつもりなら体制と同等のもしくは体制以上の魅力と実力と可能性を備える必要がある。
歴史上で改革が起こったのは、
体制批判の部分もあっただろうが、それ以上のパワーを持った新たな怪物が登場したためである。体制が弱体化していたという理由もあるが、とにかくその時点で体制以上のものが出現したことには変わりない。体制を凌駕する新体制を打ち出す機運が熟してこれを牽引する立派な人物が登場したことにより改革は実現できた。
このごろ世の中を見回して見ると、
体制批判ばかりである。しかも被害者意識が強い。自ら光を放ち大衆を魅了するような存在は探してもあまり見つからない。とくに政治の世界で顕著だし、その影響を受けて官僚も民間企業も教育者も文化人も職人も新世代に目だった功績を見ることが少ない気がする。ドングリの背くらべ、五十歩百歩、コップの中の嵐、井の中の蛙、なんて感じである。
グローバル化と騒がれているが、
日本人でグローバル化を体現できる人がどのくらいいるんだろう。世界の諸外国から見た日本を実感している人が何人いるんだろう。ほとんどの人が日本固有の世界から抜け出そうとしていないし、日本国外にあまり目を向けようとしていない。確かに情報はあふれているが、ほとんどは他人事、世間話、面白い話題くらいにしか受け取っていないのではないかと思う。
今の日本を批判して悪口を言っても、
新しい日本は始まらない。そういう私が、このブログでしきりに日本の悪口批判をしている。その真意は昔の日本程度には将来も維持してもらいたいと言う老婆心に過ぎない。そして、日本の将来をしっかりと牽引して行くような立派な人物が登場することを大いに期待している。当然私にその器はない。現世代又は次世代に期待するしかない。
日本国内で人材が不足している。
教育の荒廃のせいもあるのだろうが、日本の社会全体に人を育てる気概が感じられない。将来の日本を背負って立つような大物政治家や実業家や実力者を今現在から育てなければならない。自然発生的にそのような人物が突然変異のごとく出現するわけではない。エリートはなるべくして育てられるものなのである。そんなエリートが日本を、世界を動かしている。
今の日本では、エリート教育というと拒否反応がある。
だからこそエリートが育たないのだろう。確かに世の中を牛耳るのはエリートだけではないし、民主主義の平等も解っている。それでも将来を誤まらないためには全知を注いでエリート教育をしなければならないと思う。そのエリートの中にほんの少数でもいいからすばらしい人材が存在することを期待するしかない。
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