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戦争が悲惨なのは解る。
しかし、悲惨な部分だけを見るのは冷静な判断を誤る。戦争は悪だと決めつけるのも真実ではない。少なくとも戦っている者同士は正義のために戦っているのであり、世界の平和のため自国の安全のために戦っていて、悪のためでも世界を不幸にするためでも自国を災難に導くためでもない。結果として犠牲を強いる部分もあるが、それは全体の一部であり、戦争の目的が完全に果たされなかったわけではない。
戦争によってもたらされた善の部分はあまり語られない。
戦争の悪の部分だけ語られ、善の部分は覆い隠されてしまう。悪の部分を前にして善の部分を語るのは良心がとがめるのだろう。充実した達成感を持って戦争を経験した人もいるだろうし、厄災を避けて気楽に楽しく戦争を経験した人もいるだろう。そして不本意で悲惨な目に遭った人もいる。これが冷静な見方だろう。
戦争は悪だ、悲惨だという悲観的な主張ばかりしかない。
戦争というと悲惨な場面しか語られないし、軍隊という怪物がいて全てを強制し暴力を強いている印象で語られる。一兵が個人的に行ったことでも軍隊の横暴と語られる傾向にあるし、一般市民がやったことでさえ軍隊に強制されたと証言する。軍隊は国民の敵であったという主張ばかりが目立つ。これは冷静な見方ではない。
たとえば、
召集令状であり、憲兵の横暴であり、強制労働や強制訓練であり、軍隊生活での暴力であり、悲惨な戦場の状況であり、従軍慰安婦であり、中国残留孤児であり、集団自決である。こういう事実があったのは確かであり、これらを風化させないで戦争の禁止を唱えることに異議はない。ただあまりにも誇張され一方的で形式化した印象で語られると事実と乖離してしまう。
しかしながら、
戦争は必要悪ではあるが、最終的には戦争も辞さないという気概と自立心と誇りを持つことも重要なことである。勇気を持って正義のために戦うことは必要なのである。物理的な戦争に突入するのは避けなければならないが、少なくとも戦う気概と最小限の武力は保持しなければならない。そうでなければ国民の名誉と自尊心は堅持できない。
戦争が全て悪であったと言うことは、
平和のために戦った人達に対する侮辱でもある。平然と戦死者を「無駄死」だったという人がいるが、それは間違っている。少なくても敗戦という結果論で語っている。そして、たとえ敗戦であっても戦争によって日本国民の名誉と自尊心は堅持されているのであり、発展途上国に勇気を与え独立運動を促進したのである。
戦後処理がまずかったという指摘がある。
事実だろう。敗戦国が完全で十分な戦後処理ができるわけがない。全く無視して放棄したら非難もされようが、日本国は最善の努力をして戦後処理にあたったはずである。戦後70年経過して、今になって当時の欠陥部分だけを指摘して全ての戦後処理の評価にしようとしている。しかもまた「日本軍」に全てを押し付けようとしている。日本国と日本軍は別のものではない。日本軍を非難することは日本国すなわち日本国民の自分達を非難することだということを理解していない。
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