サンマの塩焼きを食べる時、
内臓部分をおいしく食べられる若者をあまり見たことがない。鰯の丸干しや目刺しを頭から丸ごと食べる若者をあまり見たことがない。魚の内臓部分や頭は綺麗に残して身の部分だけを食べている。どうやら苦いものを最初からおいしくないもの、不快なものと認識しているようである。私は、あの苦さがたまらなくおいしいと感じるし、苦さがなかったら味の深みは消失してしまい、平板で単純な味わいしか残らなくなってしまう。
テレビでのグルメ番組をたまたま見ていると、
「甘い」「柔らかい」「まろやか」「ジュウシー」という言葉が飛び交っている。刺身を食べても、ステーキを食べても「甘い」「脂がのっている」「舌の上でとろける」と言う反応が返ってくる。そしてそれが最高の美味のほめ言葉だと思っているようである。いったいどんな味覚をしているのだろう。苦みもあるし、辛みもあるし、渋みもあるし、歯触りも、舌触りも心地よいだけの刺激では面白みがない。堅いスルメを噛み締めて口の中にじんわりと浸み出てくる味も上等の美味である。
今年も自宅の庭で蕗がたくさん取れた。
以前からたくさん蕗の薹が採れていて天ぷらにして食べていたが、あまりに増えすぎて地下茎を剪定したために一昨年は少ししか収穫できなかった。時期的にも育ちすぎていたので、蕗味噌にしているが、出来立ては野性的な苦みが強いが、味がなじんでくるとおいしくなってくる。たくさん作って、あつあつのご飯につけたり、椎茸のヒダに塗り込んで焼いたり、ステーキ肉にのせて食べたり、そのまま酒の肴にしたり独特の季節感を十分楽しむことができる。
たぶん、苦みを楽しめない人にはこの味は理解できないだろう。
味覚を育てることは、苦さを理解させることだそうである。サンマの内臓の苦さを「うまみ」と感じられない人は味覚が劣っている。現代の若者は子供の頃にこの経験をさせられていないために味覚音痴になっている。そのかわり人工調味料や甘味料の味を好み、柔らかくてとろけるような食感を心地よいものとして追求する。食生活が裕福になったのかそれが当然のように思っているが、反面可哀想な気もする。サンマの内臓には様々な種類の何とも言えぬ「味」がタップリと潜んでいるのである。それを探索する喜びを失っているのは何とも可哀想である。
春は山菜のオンパレードである。
ゼンマイ、ウド、タケノコ、ワラビ、アシタバ、タラノメ、フキノトウ、ツクシ、ノビル、ナノハナ、セリ、クレソン、ミツバ等々である。中には癖の強い味と香りの山菜もあるが、この独特の風味と香りと歯ごたえが食感をくすぐり季節感を感じさせる。この贅沢を現代の若者は理解できずに、ただの雑草か粗末な食物としか認識しないのであろうか。困ったものである。
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なにせボランティアですので・・・。
今後、ずっとブログを見れる券を差し上げます。
何か粗品でもいただけるのでしょうか?
テレビのグルメ番組で何でもみんな「甘い」「柔かい」「とろける」とばかり言うので書いたけど、ちょっと偏ってるかも・・・。チョコレートやコーヒーのの苦味くらいは理解できるでしょ?それで十分です。その味覚を大切にしましょう。
いわし・ししゃもは内臓は食べますが、頭はとります。
苦味の美味しさはまだよくわかりません。
味覚音痴かもしれませんが、何を食べても美味しいです。
これが肥満の元ですね。