2週間ほど実家に帰って親孝行をしてきた。
84歳と83歳の両親が二人で生活している。近くに姉がいて兄が近県にいて時々様子は見ているが、基本的には二人で生活している。有難いことに今評判の悪い介護保険のサービスを受けて何とかやっている状況である。生活に困ることはないが、何しろ老人二人での生活である。見ていると危なっかしいような心もとないような頼りなさを感じるが、それでも何とか暮らせているので「今のところこれでいいのかな?」と思っている。
兄と姉が一緒に住もうと勧めるが、自分達の長年住み慣れた家がどうしても好きらしい。
兄はわざわざ自宅を新築するとき両親の隠居部屋も作って準備したし、姉は自宅を改造して隠居部屋を用意したが、結局どちらにも行かずに長年住み慣れた自宅でがんばっている。私の自宅は遠すぎて引っ越すわけには行かない。周囲から見ると危なっかしくてしょうがなくて、何か事故でもあった時は大変だろうと心配になるが、当人達は平気の平左であっけらかんとしているし、その時はその時でどうにかなるだろうと気楽なものである。兄が携帯電話を備え付けてテレビ電話がいつでも使えるようにして居間の様子はいつでも監視できるようになっているし、毎日定期的に姉が見ているので一応安心である。
2週間一緒に生活してみて、やはり常人の目には問題だと思えることが多い。
まずは、物忘れが二人とも激しいこと。年をとると仕方のないことだが、1日経つと覚えたことは忘れている。本人達も自覚していてカレンダーにはメモが書き込んであるが、時には書き込むことも書き込んだことも忘れている。手に持ったものはどこかにポッと置いて、どこに置いたかわからなくなってしまう。これを二人でやるので我々常人でも必要なものを探し出すのが困難なほどである。当然老人二人に解るはずがない。よって何かをやるときはいつも探し物から始まる。大切なものは場所を決めて使い終わったらそこに戻すように、もっと大切なものは一箇所にまとめて置くようにしているが、まぁ大変である。
夜に寝入ったら二人とも何があっても起きない。
2、3日前に、親父がどこからか動かなくなった目覚まし時計を見つけてきて、電池を交換したら動き出したと得意そうに喜んでいた。別に気にも留めなかったが、その夜の夜中の3時ころにけたたましい目覚まし音が1階で鳴り響いた。どうやら親父が間違って目覚ましをセットしたままだったらしい。私は2階で寝てたので、二人が気付いて止めるだろうと思っていたが、いつまで経っても鳴り止まない。しようがないので起きて行って止めたが、二人が寝ている1階ではこれでもかというほどの音量で目覚まし時計が鳴り続けていた。障子ひとつ隔てた二人の寝室からは人の気配さえ感じられないほど静まり返っていた。
後から考えると、
寝ている間は二人は何があっても、たとえ火事や地震や泥棒があっても絶対気付かないだろうと確信した。何かそのための対策が必要だろう。火災報知機も地震の警報も地震の揺れも泥棒の物音にも二人は気付かない。気付かせようとするのが土台無理である。そうであれば、警報を感知したらどこかに自動的に通報する仕組みが必要だと思う。また、災害のときは誰かが赴いて物理的に起こして事情を説明して避難させないと手遅れになる。いくら警報を発しても住人が気付かないのでは意味がない。老人対策のひとつとして考えるべきだと思った。
二人がはまってるゲームがある。
「ボケない君」というビー玉を使ったボードゲームで、なかなか老人でなくても面白いのだが、いまひとつルールがはっきりしない。今回いい機会だからと私はその道の達人にルールを確認してみた。当然私の両親は正規のルールを知らない。知らないままで一生懸命上がりを目指して精進しているが、確認するとその最初の条件では絶対に上がらないそうである。それを教えてやろうと思ったが思い止まった。これでいいのではないかと思ったからである。上がらなくても上がると信じて続けることに意味がある。要は頭を使うことが最終目的なのである。それでいい。
親父はまだ運転免許証を持っていて、時々乗っている。
助手席で親父の運転を見ていると、運転暦が長いので安心して乗っていられるし、きわめて安全運転である。ただし五感は弱っているし、運動神経も鈍っているので、その分は無理をしないように気をつけないといけない。そんなことを考えると、老人用の乗用車が必要ではないかと思えてくる。大体が、乗用車は足腰の弱い人のための道具である。足腰の強い人は長距離 は別として自分の足で歩いたり走ったりすればいいのである。老人から弱った足代わりの乗用車を危険だからと取り上げるのは酷である。反対に老人でも安全に運転できる乗用車を開発すべきである。
たとえば、
急発進しないような、弱った力でも運転できるような、最高速度を制限できるような、計器類が老人にも見やすいような、車体が視認性が良く操縦しやすいような、乗り降りがしやすいような、車体の色を老人が運転していると一目でわかるような、etcである。考えればいくらでもあるが、今の乗用車はほとんどが健常者が乗るように設計されている。考え直す必要があると思うが、こんなことは国も指導しないし、自動車会社も目も向けない。できれば発作を起こして運転ができなくなっても、判断ミスで危険な状態になっても安全に停止できるような老人専用車を開発してもらいたいものである。行く行くは自分が老人になって行くことを思えば他人事でなく切にお願いしたいものである。
老人介護の問題もある。
今の制度では、在宅老人で健常な家族と同居している家庭では介護サービスが受けられない。健常な家族がいる世帯はその家族が面倒を見ろということだろうが、健常な家族とは言え共働きや幼児を抱えていたのでは老人介護も大変だし老人にとっても十分なサービスは望めない。反対に老人は家庭不和の原因を作るような悩みの種になってしまう。これを解消するためには最低限老人だけの世帯にしなければならない。こんな制度では核家族化を促進するようなもので、老人世帯の老老介護を増大させるし、老人と同居しようとする家族を失くしてしまう、もしくは老人と同居しようとする芽を摘んでしまうようなものである。できれば家族と同居している老人世帯にも必要な介護は受けられるように、必要な補助が受けられるように改善してもらいたいものである。
滞在中に花の終わった庭のつつじとサツキの剪定をした。
剪定の間、よせばいいのにお袋が鎌で下草を刈っていたが、作業も終わりかかった頃に足場の悪いところでかがみこんで草を刈ったはずみに踵が後ろに沈み込んで転倒し、その拍子に鎌で右手を切ってしまった。老人は筋力が衰えて後ろ側へ倒れる際の突っ張りが利かなくなっている。ものの見事に仰向けにドーンと倒れたのを目撃した。傷は大した事なかったが、なかなか血が止まらない。おまけに血液サラサラの薬を飲み続けている。次の日に病院に行って、老人は治りにくいということで傷口を縫ってもらったのはいいが、ますます血が止まらない。怪我した直後から血栓予防の薬は止めさせたが、すぐには効果が出ないようだ。結局3日目にようやく出血が止まって傷口も落ち着いた。老人の怪我は健常者以上に気を使わないといけない。
まぁ、いろいろと大変なことはあったが、
二人の生活を見ていると毎日が漫才みたいである。深刻な事態にならない限り笑ってすごせる毎日は天国のようでもある。おかげで掃除や食事等の出張介護サービスも受けているし、近くの介護施設でデイケアサービスも受けている。二人も楽しく余生を過ごしている。近所に話し相手もいるし、お客も訪問してくれるし、家族や親族が訪ねてきてくれる。自分のできる範囲で趣味も楽しんでいるし、その趣味の成果を発揮したり発表したりできる機会もある。今のところ陽気で開放的で気楽な隠居生活をエンジョイしている。ただし、こうした中にも何かの事故が起った時の対応策が不安であるし、どちらかの健康が損なわれた後の生活の不安もある。いつまでもこんな呑気な暮らしが続くことを切に願っている。
84歳と83歳の両親が二人で生活している。近くに姉がいて兄が近県にいて時々様子は見ているが、基本的には二人で生活している。有難いことに今評判の悪い介護保険のサービスを受けて何とかやっている状況である。生活に困ることはないが、何しろ老人二人での生活である。見ていると危なっかしいような心もとないような頼りなさを感じるが、それでも何とか暮らせているので「今のところこれでいいのかな?」と思っている。
兄と姉が一緒に住もうと勧めるが、自分達の長年住み慣れた家がどうしても好きらしい。
兄はわざわざ自宅を新築するとき両親の隠居部屋も作って準備したし、姉は自宅を改造して隠居部屋を用意したが、結局どちらにも行かずに長年住み慣れた自宅でがんばっている。私の自宅は遠すぎて引っ越すわけには行かない。周囲から見ると危なっかしくてしょうがなくて、何か事故でもあった時は大変だろうと心配になるが、当人達は平気の平左であっけらかんとしているし、その時はその時でどうにかなるだろうと気楽なものである。兄が携帯電話を備え付けてテレビ電話がいつでも使えるようにして居間の様子はいつでも監視できるようになっているし、毎日定期的に姉が見ているので一応安心である。
2週間一緒に生活してみて、やはり常人の目には問題だと思えることが多い。
まずは、物忘れが二人とも激しいこと。年をとると仕方のないことだが、1日経つと覚えたことは忘れている。本人達も自覚していてカレンダーにはメモが書き込んであるが、時には書き込むことも書き込んだことも忘れている。手に持ったものはどこかにポッと置いて、どこに置いたかわからなくなってしまう。これを二人でやるので我々常人でも必要なものを探し出すのが困難なほどである。当然老人二人に解るはずがない。よって何かをやるときはいつも探し物から始まる。大切なものは場所を決めて使い終わったらそこに戻すように、もっと大切なものは一箇所にまとめて置くようにしているが、まぁ大変である。
夜に寝入ったら二人とも何があっても起きない。
2、3日前に、親父がどこからか動かなくなった目覚まし時計を見つけてきて、電池を交換したら動き出したと得意そうに喜んでいた。別に気にも留めなかったが、その夜の夜中の3時ころにけたたましい目覚まし音が1階で鳴り響いた。どうやら親父が間違って目覚ましをセットしたままだったらしい。私は2階で寝てたので、二人が気付いて止めるだろうと思っていたが、いつまで経っても鳴り止まない。しようがないので起きて行って止めたが、二人が寝ている1階ではこれでもかというほどの音量で目覚まし時計が鳴り続けていた。障子ひとつ隔てた二人の寝室からは人の気配さえ感じられないほど静まり返っていた。
後から考えると、
寝ている間は二人は何があっても、たとえ火事や地震や泥棒があっても絶対気付かないだろうと確信した。何かそのための対策が必要だろう。火災報知機も地震の警報も地震の揺れも泥棒の物音にも二人は気付かない。気付かせようとするのが土台無理である。そうであれば、警報を感知したらどこかに自動的に通報する仕組みが必要だと思う。また、災害のときは誰かが赴いて物理的に起こして事情を説明して避難させないと手遅れになる。いくら警報を発しても住人が気付かないのでは意味がない。老人対策のひとつとして考えるべきだと思った。
二人がはまってるゲームがある。
「ボケない君」というビー玉を使ったボードゲームで、なかなか老人でなくても面白いのだが、いまひとつルールがはっきりしない。今回いい機会だからと私はその道の達人にルールを確認してみた。当然私の両親は正規のルールを知らない。知らないままで一生懸命上がりを目指して精進しているが、確認するとその最初の条件では絶対に上がらないそうである。それを教えてやろうと思ったが思い止まった。これでいいのではないかと思ったからである。上がらなくても上がると信じて続けることに意味がある。要は頭を使うことが最終目的なのである。それでいい。
親父はまだ運転免許証を持っていて、時々乗っている。
助手席で親父の運転を見ていると、運転暦が長いので安心して乗っていられるし、きわめて安全運転である。ただし五感は弱っているし、運動神経も鈍っているので、その分は無理をしないように気をつけないといけない。そんなことを考えると、老人用の乗用車が必要ではないかと思えてくる。大体が、乗用車は足腰の弱い人のための道具である。足腰の強い人は長距離 は別として自分の足で歩いたり走ったりすればいいのである。老人から弱った足代わりの乗用車を危険だからと取り上げるのは酷である。反対に老人でも安全に運転できる乗用車を開発すべきである。
たとえば、
急発進しないような、弱った力でも運転できるような、最高速度を制限できるような、計器類が老人にも見やすいような、車体が視認性が良く操縦しやすいような、乗り降りがしやすいような、車体の色を老人が運転していると一目でわかるような、etcである。考えればいくらでもあるが、今の乗用車はほとんどが健常者が乗るように設計されている。考え直す必要があると思うが、こんなことは国も指導しないし、自動車会社も目も向けない。できれば発作を起こして運転ができなくなっても、判断ミスで危険な状態になっても安全に停止できるような老人専用車を開発してもらいたいものである。行く行くは自分が老人になって行くことを思えば他人事でなく切にお願いしたいものである。
老人介護の問題もある。
今の制度では、在宅老人で健常な家族と同居している家庭では介護サービスが受けられない。健常な家族がいる世帯はその家族が面倒を見ろということだろうが、健常な家族とは言え共働きや幼児を抱えていたのでは老人介護も大変だし老人にとっても十分なサービスは望めない。反対に老人は家庭不和の原因を作るような悩みの種になってしまう。これを解消するためには最低限老人だけの世帯にしなければならない。こんな制度では核家族化を促進するようなもので、老人世帯の老老介護を増大させるし、老人と同居しようとする家族を失くしてしまう、もしくは老人と同居しようとする芽を摘んでしまうようなものである。できれば家族と同居している老人世帯にも必要な介護は受けられるように、必要な補助が受けられるように改善してもらいたいものである。
滞在中に花の終わった庭のつつじとサツキの剪定をした。
剪定の間、よせばいいのにお袋が鎌で下草を刈っていたが、作業も終わりかかった頃に足場の悪いところでかがみこんで草を刈ったはずみに踵が後ろに沈み込んで転倒し、その拍子に鎌で右手を切ってしまった。老人は筋力が衰えて後ろ側へ倒れる際の突っ張りが利かなくなっている。ものの見事に仰向けにドーンと倒れたのを目撃した。傷は大した事なかったが、なかなか血が止まらない。おまけに血液サラサラの薬を飲み続けている。次の日に病院に行って、老人は治りにくいということで傷口を縫ってもらったのはいいが、ますます血が止まらない。怪我した直後から血栓予防の薬は止めさせたが、すぐには効果が出ないようだ。結局3日目にようやく出血が止まって傷口も落ち着いた。老人の怪我は健常者以上に気を使わないといけない。
まぁ、いろいろと大変なことはあったが、
二人の生活を見ていると毎日が漫才みたいである。深刻な事態にならない限り笑ってすごせる毎日は天国のようでもある。おかげで掃除や食事等の出張介護サービスも受けているし、近くの介護施設でデイケアサービスも受けている。二人も楽しく余生を過ごしている。近所に話し相手もいるし、お客も訪問してくれるし、家族や親族が訪ねてきてくれる。自分のできる範囲で趣味も楽しんでいるし、その趣味の成果を発揮したり発表したりできる機会もある。今のところ陽気で開放的で気楽な隠居生活をエンジョイしている。ただし、こうした中にも何かの事故が起った時の対応策が不安であるし、どちらかの健康が損なわれた後の生活の不安もある。いつまでもこんな呑気な暮らしが続くことを切に願っている。
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