オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

身体で覚えたことは忘れない。

2018年08月26日 | Weblog
自分の過去を振り返ってみても解る。

 自転車の乗り方、泳ぎ方、スキーの乗り方、車の乗り方、楽器の弾き方、漢字の書き順、英語の時制、化学の周期表、釣りの当りの感覚、音楽の指揮の基本、楽譜の読み方、箸の持ち方、歩き方、走り方、などなど挙げたらキリがないし、日常生活はこれら体で覚えたことの反復がほとんどである。ルーティンの繰り返しで一日を過ごすことも可能で、また、今年も、今月も、今週もそして今日も新たなルーティンが取り入れられるかもしれない。

身体で覚えたことは忘れない。

 頭を使わなくてもすぐにできる。本当は頭も使っているのだろうが、無意識のうちに体が動く感覚である。「この時はこうで、あの時はああして、これをここをこうして、あれをああやって、ここに注意して、次はこうやって、‥‥‥」といちいち頭で考えていたのでは鬱陶しくてたまらないし、スムーズにはいかないし、なかなか前には進まないし、効率も悪いし、使い物にならない。

身体で覚えたことの繰り返しは疲れない。

 何にも苦にならない。これをまた最初から覚えなおすのは相当疲れるだろうし、不可能でもある。特に年齢を重ねると、新しいものを取り入れることに大いなる障害がある。そして、残された時間も体力も気力もなくなっている。だからと言って新しいことに挑戦する気持ちをなくすつもりはないが、若い時のようにはいかないだろう。いつまでも挑戦する気概はなくさないようにしたいものである。

身体で覚えたことはすぐに行動に移せる。

 知らない間に体が動いている。腰の重い人は身体に覚えのない人である。有能な人はすぐに行動に移せる。過去に身体で覚えたことをたくさん身に着けている人でもある。しかも造作なくあまり体力を使わないでさっさとやり遂げてしまう。「えぇぇぇぇ!!」と思うようなことをいとも簡単に躊躇することなくやって見せてくれる。何度も繰り返しているし、過去の経験もあるので、苦にもならないようだ。

こう考えてくると、

 時間と体力と気力を使って疲れるのは新しいことへの挑戦である。最終的には頭を使うことになるのだろうが、たぶん、新しいものに対し状況判断して決心して具体的な行動に移し、結果を修正している時の脳の働きだろう。毎回これを繰り返していては脳は疲れてしまう。脳の機能の総量も上限があるだろうし、酷使し過ぎるとおかしくなるかもしれない。脳の能力にも限界があると考えるのが普通である。

「下手の考え休むに似たり」と言うことわざがある。

 どうせいい考えが出ないのに、あれこれ思案しても時間の無駄だという意味だが、当人にしてみれば、一生懸命頭を使っているのである。ただし、無駄に使っているのである。脳の使い方を浪費しているのである。そんな脳の使い方をせずにもっと重要なことに効率的に使いなさい、と言う教訓でもあるようだ。些細な取るに足りないことに状況判断、決心、行動、修正を繰り返し脳を無駄に使うことはもったいない。

本当に必要な重要で価値のある新しいことに脳を使いたい。

 できれば集中的に使いたいものだ。そうすれば素晴らしい創造的な成果が期待できる。そうするためには無駄な働きをなくすことだと思う。いつまでもグズグズとダラダラとやり続けたり、先延ばしにしたり、区切りをつけなかったりである。いつまでも頭を無駄に繰り返し使い続けなければならない。目標を決めて、集中的に、短期的にやり遂げる努力をするのが理想的なのだろう。

若い人たちは体力のあるうちに身体で覚えることをおすすめする。

 身体で覚えるためには相当の努力と苦労を強いられる。しかし、若さゆえこのことが可能であり、柔らかい脳は無限の可能性を秘めている。人間は3歳で脳の機能が完成し、14歳で大人の脳が出来上がる(必要な要素が整う)。28歳まではいろいろなことを覚える期間、28歳から56歳までは覚えながら覚えたことを活用する期間、57歳からは覚えたことを反芻する期間、84歳以降はボケて穏やかに終焉を迎える。こんなことを考えながら余生を過ごしたい。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 英会話のお勉強 | トップ | 依存症 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事