オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

原子力の平和利用

2011年12月04日 | Weblog
調べてみると、原子力の平和利用の歴史は、ほぼ私の人生と一致している。

 1950年くらいにドサクサに紛れて国家予算を通したところから芽を出して、結局は国策として経済産業振興の後押しを得て、これまでに発展してきた経緯がある。広島、長崎に原爆体験を持つ日本に平和利用とは言えこれほど核拡散を推進できた事は考えてみれば奇妙でもある。マスコミを筆頭として「原子力安全神話」とか「原子力ムラ」とか称して原子力発電を徹底的に攻撃して全否定して抹殺しようとしているが、これまでの60年の歩みについてはどう思っているのだろう。そんなに危険なものであったら、なぜこの60年の経緯の中で反対し意見を述べ改善を促す努力をしなかったのだろうと、反対に疑問を呈してしまう。賛成か反対か、是か非か、有か無かの2極の過激な意見しかないし、福島原発事故後の今現在は、「言語道断」「なくしてしまえ」の感情的な意見に占有されている。

国民が「騙されていた」という認識は何も解決策につながらないし、不毛でもある。

 なぜ60年間も騙され続けていたのか、という疑問にたどりつく。60年間も騙され続けた側も責任は免れない。見て見ない振りをして、意見をすることもなく、真実を明確にする努力もせず、なるがままに任せて、集団意識の中で何となくの雰囲気に流されて、自分に無関係な世界の出来事として放置してきた経緯がある。そして、自分たちに直接影響が及ぶ状況になって始めて感情的に大騒ぎしている。そう言う私にも責任があると思うが、私は原子力の危険性に怯むことなく、これを制御できる科学技術力によって安心・安全な原子力の平和利用を希求している。「絶対反対」ではないし、問題点は何で、何を具体的に改善すべきかを明らかにすることが必要だと思っている。考え方によっては、原子力はクリーンなエネルギーであり、再生可能なエネルギーでもある。地球に恩恵をもたらしている太陽は核融合反応によって莫大なエネルギーを放出している。地球にミニ太陽を保有できれば人間社会でエネルギーに困窮する事はない。

今現在の原子力はまだまだ発展途上にある。

 最も重要な要素はやはり安全機構だと思う。今回未曾有の災害でこの危険性が露呈してしまったが、この事故は今後の研究の貴重な教訓となり、具体的な改善を図る必要がある。これを有耶無耶にしてしまえば、これまでの60年の原子力の歴史と同様の過ちを犯すことになる。次に、原子力発電のシステム全体の構築を図るべきである。欠落している過程は、燃料の取得と廃棄物処理と燃料の再利用である。この問題が解決しないままに、原子力発電の部分だけがすでに本格的に稼動していることにも大いに問題がある。また、原子力エネルギーの利用効率はまだ低い。そのために大量の海水で冷却しながら稼動しており、その余剰のエネルギーは海水温の上昇をもたらしている。エネルギーの取り出し方についてももっと改良すべきであろうし、効率が良くなれば施設の規模を小さくでき、万一の事故の場合でも被害を局限できると思う。

私の中では原子力の平和利用は将来の夢であった。

 鉄腕アトムのエネルギーは原子力であり、その妹はウランであった。まさに「アトム」と「ウラン」が我々に夢を描いてくれた。また、その頃のアニメノのヒーローであったエイトマンのエネルギーも原子力であったし、サイボーグ009のエネルギーも小型原子炉である。日本に落とされた広島、長崎の原爆に利用された核エネルギーを自由にコントロールでき、平和利用に安全・安心に役立てる夢は本物であったと思う。ただ、その夢の現実化の段階で問題があったのだろう。不完全なままで、問題点を隠したままで、経済的な効果だけを重視して推進されてきた嫌いがある。そのことに対して誰も異議を唱えないで暗黙の了解をしてきた点でも問題はある。もっと真剣に議論する機会と場所を要求し、必要な情報を提供してそれぞれの立場で意見交換をすべきだったのである。これは日本国民全員の責任であり、国の責任でもある。それをさも他人事のように自分達を責任の外において無責任な発言をしている人達を見ると反吐が出る。

これからの原子力平和利用をどのように展開するかもひとつの考えである。

 この意見を一方的に抹殺する暴挙は許されない。我々が幼少・青年期に思い描いた、原子力による平和な社会の実現の夢は、今後も追求してゆきたい。「原子力神話」ではなく、現実化に向けた大きな目標なのであり、不可能な事ではない。現に、これほど危険極まりない空飛ぶ「航空機」が現在では最も安全な交通手段として実現しているではないか・・・・。また、今の所、日本の原子力応用技術は最先端にあり、この技術を全て放棄してしまう事は冷静な判断とは思えない。徹底した安全・安心を追及する体制と技術が実現できれば問題ないはずである。今現在、徹底した安全・安心が追及できる環境にあるのも日本である。このピンチに怯まないで絶好のチャンスとして立ち直ることを切に要望するし、広島、長崎の原爆体験をし、福島原子力発電事故を体験した日本の責務でもある。果たしてこれを放棄する事が将来に向かった正当な判断であるかをよく冷静に考えてもらいたいものである。



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