オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

卑しい人間

2007年05月08日 | Weblog

卑しい人間にはなりたくない。

 卑しい人間になりたくなかったら、周囲の人から蔑視され卑下されるようなことをしないことだ。卑しい人間にならないためには周囲の人達の協力が必要だし、周囲の人達の評価を受け入れる謙虚さが必要なようである。

ところが、周囲の人達はあまり蔑視したり卑下したがらない。

 個人を蔑視したり卑下することにはためらいがあるし、蔑視したり卑下する自分そのものが卑しい人間に見えてくる。人を見下したり毒づく人はどう考えても心豊かな人間性の持ち主とは思えそうにない。しかも、その場限りの一面しか見ていない浅はかな行為でもある。それほどその人を理解しきっているとは思えない。

それじゃ、何が蔑視され卑下されることかを経験し理解することができない。

 困ったものだ。現実の社会生活の中で真剣に蔑視され卑下されるのは耐えられないし、こんなことが日常茶飯事になると世の中は険悪になり、ギスギスしたものになる。現実の社会生活では蔑視され卑下されるべきものでも寛容の心で無視するか見て見ない振りをするのが普通であろう。順番待ちの列に強引に割り込む人がいても、「この人にはそんなにしてまで急ぐ都合と理由があるんだ」と思って許してしまう。

それでは、どこで蔑視され卑下されるべきことを教えるのか・・・。

 それが、学校であり家庭であり職場であり特定集団の集まりの中である。ここで教えなければどこも教えるところはない。少なくとも基本の大本はここで教えてやらなければ社会生活の場に送り出すことが危ぶまれる。迷惑の種を送り出したのでは世の中はますます悪化するばかりである。被教育者を十分理解して教育の場において教える側と教えられる立場で教育しなければならない。

躾そのものも知識として教えるが、

 躾そのものを素直に受け入れる感受性と、自分の行動規範をコントロールできる感性も育成しなければならない。感受性と感性さえあれば、あらゆる場面で自分で学習して、教えられた知識に止まらず品格のある人間性豊かな人格を目指してどこまでも成長して行く。単なる知識教育だけで終わらせてはいけない。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 管理されたスリル体験 | トップ | 金儲けの方法 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事