オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

知ってる人と知らない人の差

2019年03月25日 | Weblog
ある情報や知識を知っている人と知らない人には確実に格差が生じる。

 もっとも端的に理解できるのは、マジックである。マジックを演じている人はその種を知っているが、見ている人は知らない。そのために演じているトリックをみんなが不思議に思う。みんな種を知っていれば何も不思議に思うことはない。これが知っている人と知らない人の差である。昔の神がかりの様々な偉人が奇跡を起こしたと伝えられるが、私にはこの知っている人と知らない人の差を利用して起こした奇跡ではないかと思えてくる。

情報や知識は物的なものではない。

 基本的には物的な生産物は何もない。情報や知識を作り出すのには資金はあまり必要ない。作り出した情報や知識に基づいて何かの生産行動を起こす時に資本投入を必要とする。最初の発想はただ単なる個人の頭脳から絞り出したものに過ぎない。これが労働力であり人件費を生じるということもできるが、この知識なり情報を具体的に現わしたものに価値があるのであり、この価値を取引するところから経済活動につながってゆく。

世界を見回すと先進国と後進国がある。

 先進国は先進的な情報と知識を有しており、後進国は遅れを取っている。この差でもって経済活動がなされている。考え方によっては後進国の弱みに付け込んで先進国が潤っていることになる。後進国を食い物にしているとも言える。そのような歴史と経緯で世界は回っているようだ。これが民主主義社会において公平平等だといえるのであろうか…。私はそう思えない。よく、情報公開と情報の共有が必要だといわれるが、理想はそうでも現実はそんなことは無視されている。

知識や情報を知っている人と知らない人の差をもって金儲けができる。

 本当の民主的な考えに基づけば、知らない人に知っている人が情報と知識を与えて、お互いが幸福になることを追及するのが理想であろう。しかし、それではビジネスは成立しないし金儲けもできない。困ったものである。いっそのこと金儲けを画策しないでお互いのさらなる発展と幸福を目指して事業を発展させればいいと思うが、それは資本主義の精神に反しているようである。世のため人のために貢献できさえすればいいと言う人は希少である。

経済活動の金勘定は単なる物差しに過ぎない。

 継続的に企業活動を行うための収支決算を明確にするための手法に過ぎない。企業活動の目的はあくまで金勘定ではないし利益追及でもない。世のため人のためより良い社会を実現することが最終目的である。その目的を果たすために継続的な活動をすることが必要なのだろうけれども、利益がいくらだったか、増加したか減少したかが問題ではない。たとえ減少したとしても 世の中に有益な事業であれば、周囲から資本は集まってくる。そのための仕組みが資本主義でもある。

個人レベルでも知識や情報の差を使って金儲けができる。

 反対にほとんどの商売が知識や情報の差を利用したものだともいえる。何らかの知識や情報を持っているから仕事やひいては商売が可能なのだろう。それでは、その知識や情報を万人に公開できるかというと、ちょっと躊躇してしまう。やはり金儲けが頭をよぎっているようだ。これをすべて公開してしまう人は素晴らしいが、商売は頓挫してしまう。尽きることのない無限の情報や知識を有しているのであれば問題ないが、凡人としてはとうてい望めそうにない。

知らない人は知ってる人になることを目指すのだろう。

 少なくとも、知る努力は常に怠らないようにしなければならない。この知る努力が報われるような社会が求められるのであり、そのような環境を整備していかなければならない。くだらない知識や情報で赤の他人に金儲けされてはたまらないのである。知る人と知らない人との差を縮めなければならないのである。そのための情報公開であり、それを可能にするのは偏りのない冷静で客観的なメディアによる情報発信であることは明確なようである。

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