オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

八方美人

2007年06月29日 | Weblog

1974年米国TARP社が調査した結果によれば、

 一般的に、どんな商品でも買った人の中で満足する人が60%、不満を持つ人が40%であるという。いかに優れた商品でも完全にお客を満足させることは不可能に近い。すべての人が満足できる商品とは、個性もなければ特徴もなく利点も優秀性も感じられないありきたりの単純な取るに足らないものであろうが、これでさえありきたりで単純で取るに足りないものに対して不満を持つ者が少なからずいることになる。八方美人はそれぞれ個別に対応する分には存在しうるが、ひとつのものでまとめて同時に対応しようとすると無理が生じるし、そんなものは存在しないのである。なぜならば、八方にいる人はそれぞれ好みの異なる人達なのである。

どんなすばらしい商品であっても40%の人が何らかの不満を持っていることになる。

 商品そのものには満足するが価格が高いかも知れないし、価格は満足するがその分品質が劣るかも知れない。ある要求を満足することは別の要求を満足していないことでもある。この40%の中で実際に苦情を言う人は4%だそうである。あとの96%は何も言わないで次からその商品は買わなくなるそうである。全体が1000人だとすると、600人が満足し、400人が不満を持ち、16人が苦情を言い、あとの384人は何も言わないで次からその商品は買わないことになる。このことを良く理解していない人は16人の苦情しか眼中になくなる。そして、1000人中のたった16人だからとこの苦情を無視して何も対策をしないことになる。

ところがどっこい、これからが大変なのである。

 商品に満足した人は口コミで平均4人に商品のすばらしい点を伝えるが、不満を持った人は平均12人に商品の悪口を伝えるそうである。これを何も対策をせずこのまま放置していると、商品に対し良い印象を持った人が口コミで2400人、悪い印象を持った人が口コミで4800人開拓されることになる。この段階でこの商品を受け入れる人が3000人、受け入れない人が5200人になってしまう。全体の40%弱が受け入れる人で、60%強が受け入れない人で最初の結果と反転してしまう。

悪口や中傷は万人に受け入れられ易いという結果でもあろうが。

 このまま放置したらますます悪化してしまうことになる。対策として考えられることは1000人中たった16人の苦情であっても貴重な意見として積極的に聞き入れることである。そしてその水面下にある384人の不満や不快をそのまま放置しないことである。苦情を聞き入れるだけでもお互いの信頼関係は向上する。ましてや具体的な対策がともなえばもっと心証は良くなる。この苦情を聞き入れて具体的な対策がその場で即座になされれば、商品に不満を持つ人は商品に満足する人に変わり、なおかつこの商品を扱う企業に対する安心感、信頼感さえ抱くことになる。要は即断即決のスピードである。

ひとつの主張がなされると、賛成、反対、中立、無関心などの反応がある。

 これは自然のことで当然の成り行きである。すべて賛成とかすべて反対とか言う主張はどこかおかしいと思った方がいい。一般的な主張は賛成が60%で反対その他が40%くらいが普通なのである。これでもこの主張はこの時点で賛同を得ることができるのである。しかし、引き続き継続して賛同を得ようとすれば、反対の40%の意見に耳を傾けなければならない。そして、その意見に基づく具体的な対策を即座に実行しなければならない。そのまま放置するといつかは賛成と反対が逆転してしまうことになる。それでも強引に「多数決で決まったから」と押し切ると、その度にたくさんの不満が溜まって膨らんで不信の輪が広がって行くことになる。

1000人の中で苦情を堂々と発言する人はたったの16人である。

 勘違いしている人は、この16人を封じ込めれば問題が解決すると思ってしまう。しかし、16人は氷山の一角であり、その水面下には384人の賛成しない人がいるのである。当然、賛成する人600人の内賛成意見を堂々と発言する人は約4%の24人である。賛成意見を積極的に引っ張っている人も24人くらいしかいないのである。そう考えると、1000人中16人の意見がいかに貴重かが解ってくる。貴重な反対意見として現出するのはこの16人しかいないのである。この16人の意見を無視して抹殺してしまったら反対意見は水面下に潜ってしまい、訳の解らない不満が鬱積し蔓延することになる。まるで正体不明の特定できないビールスに冒された病気のように・・・。

この満足と不満足の関係はテーマが一致していることが必要最小限である。

 違うテーマ同士で満足と不満足を比較しても何にもならない。しかし、こんな場面を国会審議でよく見る。Aという議題について議論しているのに関係ないBという議題を持ち出して、Bについて納得のいく結論が出ない限りAについての議論に応じないというやり方である。本来であれば、Aについての反対意見を堂々と述べて議論するのが筋であるが、その議論は避けようとする。おそらく反対する側に勝ち目がないのであろう。いや、しっかりした反対意見さえ持っていないかも知れない。それでもAを承認することは反対勢力にとっては不利である。よって議論の矛先を賛成側に不利で反対側に有利なテーマに誘導し、Aに対する賛成意見を封じ込め阻止しようとする。Bのテーマは賛成側に対する国民の不満を増幅するものであればゴシップでも何でもいいことになる。

テーマをしっかり決めて正面切って正々堂々と賛成派と反対派で議論したらいい。

 日本の人口1.2億の4%は480万人である。国、都道府県、市町村等で代表として政治に携わっている人は全体で何人だろう。また政治に関わっていない人でも指導的立場または頭脳集団として活躍する人も多いであろう。これらの人々(賛成派も反対派もその他も含む)が正々堂々と議論すれば正当な結論が出てこれに対する方法論も出ると思う。まずは結論(選択肢をもった方法論)を出すべきである。そしてその後に世に問うべきである。世間を気にした世間に迎合する結論は「正当な結論」ではない。そんなことをするのだったらすべての政策を国民投票にすればいいし、政治のやる決議は国民投票事務だけになる。それではうまくいかないから代表制にしているのではないか。国民をミスリードしないためには政治家は時には国民に対する説得も必要なことを肝に銘じてもらいたいし、これこそが政治家の仕事でもある。

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