ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
古賀稔彦の勇気ある挑戦から30年
毎年4月29日の旧天皇誕生日=昭和の日は、柔道の無差別での
日本一を決める全日本柔道選手権=天皇杯が開催されている。
残念ながら今年は新型コロナウイルスの影響で延期となったの
だが今から30年前の今日行われた90年度の大会では71㌔級の古賀
稔彦が勝ち進み、決勝では小川直也に一本負けしたものの柔よく
剛を制すという柔道の理想を体現した無差別級ならではの醍醐味
を見る事ができたのだった。
それでも2回戦から登場し4勝しての決勝進出なのだから素晴ら
しい健闘ぶりだったわけで、全て判定での優勢勝ちだった事から
決勝は正しく力尽きたという感じだろう。
早くから金メダルを期待されていた古賀は87年に世界選手権に
初出場し3位に終わり翌88年のソウル五輪でも3回戦敗退と残念な
結果に終わっていたのだが、前年ベオグラードで行われた世界選
手権で優勝して迎えた90年は世界選手権がないという事で無差別
で行われる全日本選手権に出場を表明したのだった。
全日本選手権は体重無差別で行われるとはいえ出場する選手は
当時の86㌔級ぐらいまでで、減量して71㌔級というサイズの古賀
は75㌔ぐらいで臨む事になっているから100㌔を越える選手相手
だと1つ勝つだけでも厳しいと思われたし下手するとケガのリス
クまであるので無謀だという声が多かった。
更に当時の試合時間は国際ルールとは違う6分の長丁場で50㌔
近い体重差の選手を投げ飛ばすというのは厳しい事から4試合全
て判定での勝ち上がりになったし、決勝は試合時間も10分と更に
長くなるから小川のサイズは130㌔と体重差は55㌔もあるので厳
しいものになる事は予想された。
ただ考えてみれば前年のベオグラードの世界選手権では優勝
したのは古賀と95㌔超と無差別級での2冠を達成した小川の2人
だったので、世界王者同士の決勝という形になったわけだから
今にしてみると凄いシチュエーションだ。
更に小川は前年初めて全日本選手権で優勝し結果的に5連覇
となる全盛時での対戦になっていた。
小川にしてみると自分よりも軽い選手に負けるわけにはいか
ないという事で必死になっていただろうから、4分過ぎに足車が
決まって一本勝ちという結果にはホッとしたと思うし妥当な結
果ではあった。
ちなみに小川は山下泰裕の9回に次ぐ7回の優勝を誇るのだが
5連覇した後に94年の全日本選手権では準決勝で78㌔級だった
吉田秀彦に判定負けし6連覇を逃しているわけで、吉田は古賀
の後輩という事もあり無謀ともいわれた古賀の勇気が4年後に
階級の壁を越える快挙を演じさせたわけだ。
その後21世紀に入ってからは19年間で井上康生や鈴木桂治に
石井慧や穴井隆将、ウルフ・アロンら100㌔級上がりの選手や
90㌔級の加藤博剛が優勝するなど19年間に13回も100㌔超級で
はない選手が優勝しているのを見ると小よく大を制する柔道の
醍醐味を味わえる反面100㌔超級の地盤沈下の実感と複雑では
ある。
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