なぜか西本聖に縁があった

 以前記したように40年前の81年11月22日に行われた日米野球ジャ
イアンツーKCロイヤルズ戦を観戦した時の、ジャイアンツの先発投
手は西本聖で正直言って‘また西本か’と思ってしまった。

 というのも同じ年の8月15日に神宮でスワローズージャイアンツ
戦を観戦した時にも西本が先発しているので、贅沢な話ではあるが
‘違う投手を見てみたい’と思うのも人情ではある。

 実は8月14日からのスワローズ3連戦はスワローズが2位だったの
だが11日・江川卓、12日・西本聖、13日・定岡正二というローテ
だったため、江川が中4日の16日登板で14日は加藤初が投げるのだ
から谷間になり新聞の先発予想は藤城和明や新浦寿夫となってい
たのだ。

 めったに行けない東京でのジャイアンツ戦が谷間の藤城や新浦
とは2人には申し訳ないが残念に思っており、一緒に行った叔父
さんは‘首位攻防戦だから中3日で江川が来るのでは’と言ってくれ
ていたが無理だろうと思っていたら先発発表で何と西本だった。

 実は西本は12日のタイガース戦で4回ぐらいでKOされており、
少ない球数での降板だったからローテの谷間に中2日で先発した
わけだ。

 結局この試合で西本はスワローズ打線を若松勉に打たれた2点
に抑える好投で完投し、原辰徳のプロ入り初の1試合2HRやゲー
リー・トマソンや松本匡史の三振振り逃げ取り消し後のHRなど
が見られて6-2で完勝したのだ。

 それから3カ月経っているのだから今度こそ江川が投げてくれ
ればと思っていたら、江川は翌日行われる最終戦先発のためブル
ペンにも入らずに終わったのだった。

 ちなみにそれから7年後の88年7月18日に行われた横浜でのジャ
イアンツ戦で、中5日でビル・ガリクソンと思われたら何と西本
ではないか。

 この頃のジャイアンツのローテはガリクソン・槇原寛巳・桑田
真澄・水野雄仁・香田勲男の5人ローテで回しておりオールスター
前9連戦だった事もあり、ガリクソンだと思っていたら‘まさか’の
西本で横浜スタジアムのレフトスタンドはガッカリ度満点だった。

 対戦投手がジャイアンツが苦手にしている新浦で‘西本で勝てる
のか’という思いが多かったわけだが、3塁線への不運な2ベースで
決勝点を取られるものの2失点と好投している。

 それでも4番・原辰徳をアキレス腱痛で欠くジャイアンツ打線は
1回に4番・呂明賜の三振振り逃げで挙げた1点しか取れず、新浦に
完投を許したわけだ。

 翌89年に西本は中尾孝義とのトレードでドラゴンズに移ったた
め先発・西本を見る事がなくなったわけだが、3度とも西本の登板
は‘まさか’だった事になるので西本と縁があったという事だろう。

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