今から30年前の今日、大坂の守口市民体育館で行なわれたWBA
:Jフェザー級タイトルマッチで挑戦者の六車卓也は王者のファン・
ホセ・エストラーダに11RTKO負けで2階級制覇に失敗しラストフ
ァイトになった。
試合は1Rからパワフルなパンチを振ってくる王者に対し六車は
様子を見る戦法だが、目が腫れ始めるなど相手にペースを握られ4R
には右のカウンターでダウンを奪われる。
それでも中盤から反撃し6Rと7Rを優勢に進めペースを取り戻し
たかに思われたが、8Rから王者は足を使ってポイントアウト作戦に
切り替えたのに対し必死に追いかけるものの11Rに右クロスをテン
プルにもらいダウンし何とか立ち上がるが追撃の連打を浴びてタオ
ル投入のTKO負けとなった。
六車といえば‘エンドレスファイター’の異名を取る旺盛な手数
で攻めまくるスタイルが持ち味で、東洋太平洋Jフェザー級タイト
ルを取った後に前年の87年3月29日に挑戦予定だったWBAバン
タム級王者ベルナルド・ピニャンゴが突然引退した事を受け2位の
アサエル・モランとの王座決定戦に勝ってファイティング原田以来
のバンタム級タイトルをもたらしたのだ。
ところがタイトル奪取から8週間後の5月24日に1位・朴賛栄
との指名試合で5Rに受けたバッティングによるダウンで流れが変
わり、そのダメージから11RでTKO負けして初防衛に失敗すると
翌88年1月17日に朴をKOしたウィルフレド・バスケスに挑戦し
素晴らしい激闘を繰り広げたものの引き分けでタイトル奪取ならず。
そして9ヵ月後の10月に正規の階級であるJフェザーで挑戦した
もののバスケス戦を含めた歴戦のダメージから、以前ほどの迫力が
見られずに力尽きた形で最終的に引退となった。
六車の世界王者在位56日というのはロイヤル小林の46日に次ぐ
短命記録でパナマの選手との対戦でタイトルを取ったものの初防衛
戦では韓国人選手との指名試合を義務付けられ小林は敵地でスリッ
プ気味の、六車はバッティングをアゴに受けての不運なダウンから
流れを手放して初防衛に失敗と同じパターンで返り咲きを狙った相
手が韓国人王者を倒した‘ウィルフレド’というファーストネームの
プエルトリコ人王者というのも共通している。
しかもゴメス&バスケス共に3階級を制した歴史に名を残した名
王者で小林はKO負けしたのに対し、六車はタイトル奪取寸前まで
追い詰めたものの引き分けで返り咲きに失敗し燃え尽きた感が強い。
試合後にバスケスは‘六車は引退するべきだ’と語っていたが、
あれだけの試合をすれば体が持たないし相当なダメージを与えても
頑張り続けた事から心配したに違いない。