goo blog サービス終了のお知らせ 

故郷での凱旋防衛戦は厳しい

 今から50年前の75年7月5日に行われたWBC:Jライト級タイト
ルマッチで、王者の柴田国明はアルフレッド・エスカレラと故郷
・茨城県那珂町で4度目の防衛戦を行ったのだが2RKO負けし結果
的にこれが柴田にとって最後の世界戦となった。

 挑戦者エスカレラは身長で10cm、リーチは18cm上回っていた
のだが1Rは柴田が持ち前のスピードで懐に入り優勢に進める。

 ところが2Rに同じパターンでの打ち合いの中で挑戦者の右スト
レートがヒットしてグラついた柴田に、連打をたたみかけてダウ
ンを奪うと柴田は大の字になってKO負け。

 この試合、柴田の地元での凱旋防衛戦だった。

 当時エスカレラのランクは8位でKO負けも多く故郷での防衛戦
の相手として選んだのかもしれないが、地元という事から倒して
勝たねばという意識があったのではないかと思われる。

 とはいえ勝ったエスカレラは後に10度の防衛に成功しアレクシ
ス・アルゲリョからタイトルを奪われるも好勝負を演じているし、
当時の1位は同じプエルトリコのサムエル・セラノで翌年WBA王
者になって10度の防衛に成功しているのだからとんでもなく強い
挑戦者を選んでいた事になるわけだ。

 ちなみに故郷での防衛戦といえば6年後の81年に13度防衛中の
具志堅用高が14度目の防衛戦を故郷の沖縄で行ったものの、12R
KO負けで王座を失っているので故郷での防衛戦は鬼門と言われ
始めたのだが柴田の敗戦はその嚆矢となったのではないか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« ドッジビー朝... ビデオソフト... »
 
コメント(10/1 コメント投稿終了予定)
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。